日記でもなく、手紙でもなく
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2002年02月25日(月) 春一番の香


 駅から我が家へ向かう帰りのバスに乗ったとき。
 やたら、醤油のような味噌の焦げたような、要は大豆の発酵したような強く鼻を突くにおいが充満していた。しかも、それがなかなか消えない。

 まいったなぁ、そんなふうに思っていると、降りるバス停に到着。

 下車用の扉が開いて、バスを降りると、少し強い風にのって、良いかおり。バスの中の臭いに辟易していたので、その違いの大きさ。
 ああ、沈丁花のかおりだ....

 思い切り息を吸い込んでみる。

 ちょっとだけ、春を感じた気分。


2002年02月23日(土) カノヴィアーノ・アネックス

 代官山には、今までほとんど行ったことがありませんでした。
 その先の中目黒には3度も行ったことがあるにもかかわらず。

 なかなか面白そうなイタリア料理店があることは、ずっと前からいろいろな雑誌やムックで見かけていました。それでも、この店にはどうしても行ってみたい、という気にさせるような店はありませんでした。

 昨年、カノヴィアーノという店があることを知りました。メニューの写真を見るとなかなか美しい仕上がりでした。
 <見かけ倒し>というコトバもあるのですが、イタリア料理で美しく仕上げるという技を持っている人は、味に自信がなければここまでやらないのではないか、そんな風にも思えました。

 つまり、さぞ美味しい店なのではないだろうか、と推察したわけです。

 確かに今や超人気店の一つに数えられているようです。あまりの人気、あまりに予約がとりにくいということから、その店からすぐのところに、カノヴィアーノ・アネックスという店もできました。
 たまたま、予約を入れた日が、このアネックスだけが開いている月曜日でした。
 「そちらのほうへ伺えば良いのですね?」念を押すと、こちらに席をご用意しておきます、という返答がすぐ戻ってきました。

 今日が予約を入れた日です。

 はじめて下車する代官山ですから、当然のごとく道を間違え、大回りして店に着きました。その日の最後の客だったようです。
 5000円のコース、6500円のコース、更にその上のコース、アラカルトなどありますが、それぞれ、シェフのオススメの内容になっているようです。但し、嫌いなもの、食べられないものは予め確認してくれます。

 せっかくここまできたのだから、そう思って6500円のコースを食べてみることにしました。量が多すぎることはないか、コースのアイテムがとても多かったので少し気になって、聞いておくことにしました。
 少しずつですから、大丈夫です、というこたえでした。

 前菜盛り合わせ(3種)、なかなかいけます。次にカラスミを使った冷製のカッペリーニ、爽やかです。焼きリゾットの上に白子が載っています。豊潤です。ここまでは、文句のつけようはありません。さすがです。

 その後からが、恐らく評価が分かれるようにも思います。
 スパゲティは、京大根とアカザ海老です。悪くはありません。ただ、京大根はいかにも昔の大根の味です。癖の強い味です。
 魚は、小松菜をソテーして、焼いた白身魚とあわせて供されます。小松菜も癖のある野菜の一つです。
 ロース牛の3〜4口ほどで食べられるステーキと京人参、がメインの最後です。この京人参というのも、結構癖のある味をもっています。

 野菜をたっぷり使っているのはよくわかります。京野菜や和の食材を多用しているところに、シェフのチャレンジ・スピリットを強く感じます。デザートもカカオ量の多いチョコレートをうまく使って、斬新な感じがしました。
 ただ、なぜあえて、ここまで癖のある食材を多用しようとしているのか、それが今一つ納得できません。

 イタリア料理がもともと持っている独特の明るさというのは、もっと人に寄った親しみやすさです。スパゲティ以降のメニューに、もう少しまろやかさが欲しいとも思いました。
 京野菜を使うことを否定するわけではありません。うまく使いこなせれば、その独自性は輝きます。
 でも、もう一段うまく使って欲しいと、京都生まれの私には感じたのです。言い方を変えれば、イタリア料理を食べに行っていながら、イタリア料理を楽しんだ、という感覚になれなかったような....
 これだったら、京都で同じくらいの値段で和食を楽しんだほうが、よほど価値があるのではないか、とも思いました。

 全体の量も、やはり少し多い気がします。肉か魚は、一品で十分かもしれません。
 最後の肉料理とデザートの美味しさが、お腹がいっぱいになってしまうと引き立ってきません。

 家に帰ってから、口の中にバター味の感覚が残っていました。たぶん、私には重いところがあったのだろうと思います。
 他のイタリア料理店などに行っていて、たまにこの店に行くのなら、ぜひ行ってみる価値はあります。
 新しいイタリアンの試みを知りたい人にとっては、一度行ってみる価値は十二分にあると思います。

 ただ、毎日でも行きたい店というようには(私には)思えませんでした。2週続けて毎土曜日とか金曜日に行きたいか、と聞かれても、たぶんNoです。
 一回こっきりの評価ですが、一回こっきりでも自分だけにわかる部分はいくつかあるとも思っています。


2002年02月15日(金) ギュンター・ヴァント他界

 2月14日に、世界的な指揮者であるギュンター・ヴァントが他界した。90歳。
 実際にコンサートに行っているわけではないが、80年代に初めてこの人のCDを聴いた時のことは、今でもよく記憶している。

 今では、ベートーヴェンの交響曲集など、それこそ掃いて捨てるほどCDが出ているし、交響曲全集なども、極めて安価な値段で名演奏と言われるようなボックス・セットも入手できる。しかし、当時は好演奏と言われるようなものはかなり限られていたような気がする。ちょうど、LP時代の名演奏アルバムがCD化されはじめるような、そんな時ではなかったかと思う。
 CDで田園交響曲を聴きたくなって、当時何枚か買い込んで聴いてみたのだが、今ひとつ自分のイメージとそぐわなかった。

 さて、と思って店頭で見ていたときに、当時はドイツ・ハルモニア・ムンディのレーベルがEMI傘下にあり、ギュンター・ヴァントという初めて聞く名前の指揮者が(確か)南西ドイツ放送交響楽団を振った盤を何枚か見つけることができた。
 当然はじめて聴く人なので、どうだろうかと半信半疑のところもあったのだが、このレーベルそのものは、比較的信頼を置いていたところもあったので、シューベルトの第9番と一緒に買って帰った。

 田園を聴いて「これは!」と思い、グレートを聴いて大変納得したことは、今でも忘れていない。
 極めてオーソドックスなアプローチながら、きめ細かく聴かせどころをきちんと聴かせてくれる指揮者という印象を強く持った。

 当時、ギュンター・ヴァントという名前は、あまり音楽雑誌では登場してこなかった。CDを探しても、レパートリーが限られていたような気もする。

 ところが、90年代後半の晩年、ライブ・レコーディングを行うたびに(ベートーヴェンやブルックナーなど)、新譜の推薦盤に必ず顔を出してくるようになってしまった。この人ほど、晩年大指揮者に祭り上げられた人というのは、日本では他にあまり例がないほどのことだ。

 ただ、私自身の感覚からすると、いかにもドイツ的なオーソドックスな演奏をする指揮者のような印象が強い。そこに全く新しい解釈を加えている、というような感じは一切しない。
 他の指揮者がそんなことをする中で、かえってそのオーソドックスなアプローチが評価されたような気がしないでもない。

 本人はそんな風に祭り上げられるのを喜んでいたのかどうか?そんなところは、かつてのシューリヒトなどと、少し似たところがないでもないが。



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