日記でもなく、手紙でもなく
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一昨日だったか、既に横浜では桜が咲いたという話をきいていました。 そろそろ、私の住んでいるエリアでも、咲くのではないかという予感はありました。
いつもの日曜日の買い物の折、小学校の横の道路を通っていくのですが、ここの桜がまだか、楽しみでした。 校庭の一番端の桜の枝は、蕾が大きくふくらんでいて、もうすぐ咲きそうです。2本置いた桜の木の枝に、ありました、7〜8つほど花が咲いています。校舎に近いところに植えられた木の一本の枝は、かなり花をつけていました。
例年より2〜3週間ほど早い開花。 桜が咲くと、春盛りという感じもします。
久しぶりに、昼間の時間帯に、中距離電車(停車駅が少ない)ではなく、各駅停車のJRに乗った。 一つ一つの駅の、ホームの横に設置されている看板の、<赤いほうがいいじゃないか!>という大きい文字だけの広告が、停車するたびに目につく。真っ赤な大型ボードだけに、始末が悪い。
<135円>と、値段だけ赤字で書かれたボードもそこそこあるのだが、最初見たときよりも大人しく見えたりするから、内心笑ってしまう。
しかし、どちらも芸のない、もっといえば芸も技もない広告だ。
絶対、どちらも飲んでやるものか、しっかりと決意してしまう。 店の店員が、比べる部分が、比べられる部分がほとんどないから、「ねっ、赤いほうがかわいいでしょ」と、口八丁で囁くのと、ちょっとわけが違う。
どうして、こんなふうにしかできないのだろうか。たかだか発泡酒なのだから、もう少し気持ちよく騙されてみたい、そんなふうに思った日曜日の午後。
<幸せ>ということばを使うときに、どうしても照れくささみたいなものが先にたってしまったりする。 堂々と、もっと使ってもよさそうなものなのに。
幸せの青い鳥というお話があったりして、実は幸せというのは自分の心の中にあるものだ、そんな風に思わせられてきたところもあるから、なおさらである。 確かに、心の問題。それに尽きる。
けれども..... このままでは話が続かないので、ちょっと別のことを考えてみる。
心のもち方の問題とすれば、幸せか・幸せではないか、そのどちらかを選ばざるを得なくなったりする。ただ、やはりこの選択は結構辛かったりもするのではないか。 ところが、アンケートなどでは<あなたの幸福度>みたいに、「程度」の問題として捉えられる。程度で考えると、ちょっぴり幸せな感じ、あるいはそのような状態になることというのは、しょっちゅうということではないにせよ、時々はある。そんなとき、ラッキーとハッピーは、そっくりな表情をしてみせる。
心の状態ではなくて、一つの能力と考えてみると、その程度はもっと生き生きとしてきたりする。 それは、様々な環境や様々な状態に置かれている時に、喜びや楽しさを見つけられる能力、みたいに定義してしまうと、心の問題そのものよりも、心の対応力の問題になってくる。
これだったら、もっと堂々と「幸せ」と言えるのではないか。
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