鼻くそ駄文日記
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文章のうまい人というのは、どうしてあんなに文章を書くことを簡単に話せるんだろう。 まあ、それが才能だと言ってしまえば、悲しいのだけど、毎日毎日、一行一行、これで意味が伝わるだろうかとびくびくしながら書いている人間としては、あんなに簡単に文章が語れることを不思議に思ってしまう。 たとえば、十代の頃、起承転結を教えてもらったとき、ある人はまだ若かったぼくにさらりとこう言いました。
起「大阪本町、紅屋の娘」 承「姉は十六、妹十五」 転「諸代大名は弓矢で殺す」 結「紅屋の娘は目で殺す」 と過去の名文を説明し、「この転が大切なんだ。転の外し具合で文章は生きもするし、死にもする」んだと。 なるほどなあ、とそのときは思ったんですが、しかし改めてコクヨの四百字詰め原稿用紙を前にすると、この「諸代大名は弓矢で殺す」のように外すという外し具合がいまいちわからないんです。 人から助言を得ればこんな感じでまったくものにできないし、文章読本を読んでもいまいちわからない。 最近は、文章は技術ではなく感覚なんだ、と料理の下手の人が見かけも味もひどい料理を作って「見かけは汚いけど、大切なのは味よ」と逃げてるような気分で文章を書いています。 結局、こうすればいい文章が書けるという方法はないのかもしれませんね。
テレビのマネしかできません テレビの話しかできません
朝起きると まず テレビをつけます 家に帰ると まず テレビをつけます
朝から夜まで テレビは ぼくらが飽きないように つくられています 一度テレビに目をやると あれよあれよと 時間が過ぎて 一ページの読書も出来ないまま 眠る時間を迎えています
だからぼくは テレビのマネしかできません テレビの話しかできません それでいいんでしょうか? いいんでしょ 周りの友達もみんな テレビの話しかしないから テレビを見ないほうが 話についていけません
水たまりに映る おれの顔は しけていた 腹立ちまぎれに タバコを水たまりに飛ばす
「顔」だけで無理 それが おれが惚れたあの子の 言いぐさ てめえが どんなに努力しても 才能がなければ だめだということさ
もし 神様があらわれて おまえの顔か性格を よくしてあげようと問うたら おれは間違いなく 顔をよくしてくれと 懇願するだろう 性格は自分でなんとかなると 思ってしまうからだ
本音で闊歩する女たち それが大きな欠点とも知らずに 好き嫌いでものを見る 目に見える わかりやすい 単純な物しか愛せない そんな女に おれはふられた
| 2001年10月11日(木) |
煮え切らない秋は(自作詩) |
煮え切らない バスに乗って 暗い車窓をひとりで眺める なんのあてもない なにもない 煮え切らない秋は
君はいつも 笑ってくれる 大雨で空が泣いていても 君はぼくのしゃべりを 笑ってくれる なのに煮え切らない
もう ぼくは疲れたよ 白か黒か はっきりさせたい だけど 弱気の虫が働いて ぼくはそれを言い出さない 煮え切らない秋 煮え切らないぼく
煮え切らない秋だから 君を待ってる ただ君を待ってる また眠れない 煮え切らない秋 煮え切らないぼく
| 2001年10月10日(水) |
ブロック塀(自作詩) |
出口がない 窮屈だ ろくでもない なにもない 気持ちの中に 深々とトゲが刺さる
涙腺が脆いのは 純粋すぎるのだ 不良を卒業し 大人になったのだから 固く冷たい ブロック塀を 作らなければ
芽は摘まれた 何の地位も将来も 約束されてはいない なにもない 気持ちの中に 深々とトゲがつき刺さる
霧のような秋雨に 濡れまくったおれは どこへ行こうか 誰もがこわがっている 行き止まりに 行くのもいい
情熱は消えちゃいないけど やる気がどうも起こらない ぎんなんの実が 道に溶け 金木犀が香ってる
いつもの笑顔でいる奴 テレビのマネしかできないよ おれはひとり黙り込み 退屈な人だと言われよう
曇った空に頭痛が痛い 生暖かい風が眠気を誘う 毎日ノルマを果たせずに 眠れない夜が増えている
夏が消えたんだから 新しい自分を産まなければ 秋雨に濡れ漠然と 勇者になること夢見てる
明日の朝も秋の雨 憂鬱な空気が包むだろう 街は雨が洗ってくれるけど おれは汚れていくままさ
| 2001年10月08日(月) |
さりげなく思ってます(自作詩) |
面と向かって言えないけれど あなたのことを さりげなく思っています
寝る前なんかに考えて あなたのことを さりげなく思っています
さりげなさすぎですか?
恋にに全力投球は できませんが さりげなく愛してます
くさいセリフは言えません だけどあなたを さりげなく愛してます
さりげなさすぎですか?
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