朝は7時45分から仕事が始まる。
前日の当直帯で入院となった患者のプレゼンテーションを当直医から受け、内科医みんなで診察する所から一日は始まる。それぞれの専門を持つ医師がそれぞれの議論を行い、入院患者の治療方針が決まっていく。議論の中で、思いがけない疾患が浮かんできたり思いがけない治療法が議論され、プレゼンテーションする側も参加する側も緊張が抜けない。
その後は手早く入院患者の夜の状態をチェックし、時間があればベッドサイドに足を運んで患者を診察し、時間が無くても新たな指示を看護婦に出す。
9時からは外来が始まる。診察を待つカルテは次々と重ねられていく。ゆっくり話を聞いて診察を行いたいが、時間は限られている。決められた範囲内で診断を下し、治療法を決めて処方しなければならない。一つ見逃せばすぐに訴訟につながる時代である。一刻も緊張が抜けない時間が過ぎていく。
診察をしている間も、病棟からのコールは止まない。急変した患者がいれば外来を一時停止し病棟に行き処置を行い、軽度であればとりあえずの処置を看護婦に指示する。そうしているうちに、午前の外来が終わる時間と、午後の外来が始まる時間はほぼ重なることとなる。この間水分を取る時間さえなく、トイレもガマンしなければならない。
引き続き午後の診察が始まった。休み無く患者を診ていく。一つ一つの訴えに耳を傾け、必要な検査をオーダーし、また次の患者を診る。「まだ待つの!」と叫んでいる声が待合室から聞こえてくる。
午後4時、ようやく患者の列が途切れた。ごはんを食べる時間もなく病棟に上がり処置をする。4時半からは当直である。次々と救急車が来れば病棟の患者を診ているヒマもない。この30分の間に重症患者から診ていかなければならない。
4時半きっかりから救急室からのコールが鳴る。「72歳男性、自宅で急に意識を消失。既往歴は不明」「20歳女性、自宅で倒れている所を母親が発見、周りには眠剤の空ケースが100錠ほどあり」「55歳男性、呼吸苦を訴えている。意識レベルは低下している」
救急患者は時間を選ばない。救急車が重なれば、トリアージを行い重症患者から処置を開始する。処置中に病棟患者の呼吸が止まったとPHSが容赦なく鳴る。身体は一つしかないから、時には厳しい決断をしなければならない。
待合室では発熱患者が「何時間待たせるの!」と怒鳴っている。怒鳴れる元気があるのだと安心しながら、どうやって謝ろうかと考えている自分がいる。
午前3時。ようやく患者が途切れた。次々と吐き出される検査結果を見ながら、ようやく初めての水分を摂る。
検査結果を見て家族を呼びいれ説明し、入院の手続きをとる。山のような入院書類を書いていると救急室の電話が鳴った。「66歳女性、全身の痙攣が止まらないとのことです。既往歴及び投薬内容は不明。あと2分で到着します」
必ず朝は来る、と自分に言い聞かせて診察椅子から立ち上がり、てめえは新しいゴム手袋を両手に嵌めた。
知らないうちに年が改まり、また新たな一年を迎えた。らしい。 どうも最近はそんな移り変わりはどうでもよくなってきた。 と言うか、どうでもよくなってきたのではないだろう。 年々何か大切なものをどこかに置き忘れていくようなそんな気がする。 特にこの仕事を始めてからは。
こんなはずではなかったと一人思う。 ときおり、学生時代を思い出しては不覚にも涙がこぼれるときがある。 確かに学生時代は夢のような時間だった。 もう絶対に二度とは訪れないだろう。
気が付くと夜はどんどん更けて行く。 そこには永遠に覚める事のない闇が広がっているような錯覚に襲われる。 いつかきっと日の出はあるのだろうと自分に言い聞かせる。 言い聞かせ続けて2年。
本当に闇は明けるのだろうか。
紫の曲を聞いている。いつだったか、たまたまみていたニュース番組(ニュースステーションだったが)で、昔の沖縄のバンド特集をやっていた。幻のバンドで、すげえテクニックのバンドがいる、アルバムとかももはや入手不可能で全て「伝説」なんだと。そんなバンドが復活した、と言う内容だった。本当にぼんやりテレビを見ていた。
その「紫」のステージが突然始まった。体中に電気が走った。そんなてめえはまだ大学生だった。
いかに判断するか。 これほど簡単そうで難しいものはないような気がする。
カルテが積まれた診察室に入る。一番上に乗っているカルテを手に取り、まずは生年月日を確認する。73歳か。なるほど。一息入れてからカルテの一番最後のページを開く。今日の日付が入ったスタンプと、看護婦が取った簡単な主訴が書いてある。発熱・息苦しい、などと書いてあるわけだ。体温は38.2度。呼吸数は20と。73歳で発熱して息苦しかったら肺炎だろう。単なる風邪かもしれないが、変に帰すとこじらせて肺炎となって帰ってくる可能性がある。入院かなあ。入院の可能性が高いなあ。とりあえず、本人や家族は何を求めてきたのかなあ。入院希望だったら入院だな。帰宅希望だったら肺炎の可能性を十分説明して・・・。
と、患者を呼び入れる数秒の間にこんなことを考える。患者を呼び入れ、挨拶をしてしばらく訴えをじっくりと聞く。情報にならない訴えの場合が多いが、話を聞かないと信頼は得られない。フリートークでないと、本当に重要な情報、こっちが知りたい情報が出てこない場合がある。仮に肺炎を疑っていれば、聞くことはほとんど限られており、あとは胸部の聴診と必要あればレントゲンで片がつく。が、ゆっくり話を聞く。
なんだかここまで書いてあまりのバリエーションの多さにうんざりしたのでいきなり終了。
てめえが物好きに移り住んだ島はそれこそ小さな島だが、その小さな島の周りにも更に小さな島が点々と散らばっていたりして今てめえはそんな小さな小さな島の一つに居る。
島へ行く為のフェリーは一日二便で、この小さなフェリーに自動車を載せる為にはあらかじめ予約が必要だったりする。島に向かうフェリーからは透き通るような青い海の上を気持ちよさそうに飛ぶトビウオが見えた。
島に一つしかない診療所にはたった一人の医師が常駐している。放射線技師も検査技師もいないので、レントゲン撮影が必要な患者には自分でレントゲン撮影を行い、そのあと暗室にこもって医師自らが現像までしなければならない。蒸し暑い暗室から出て、現像したばかりのレントゲンを見ると条件が甘くてレントゲンが真っ白だったりして、そんな間にも待合室には患者さんが溜まっていく。
そんな小さな診療所には薬だけもらいに来る老人から子供の発熱から交通事故から止まらない鼻血からかすみ目から犬に咬まれた人からがんの末期から天井から悪口の聞こえる人から妊婦の腹痛からありとあらゆる患者が集まる。ここでは「専門外」という言葉はなく、限られた資源の中でなんとか診ていかなければならない。注射薬も使い切ってしまうと次の船が来るまで待たなければならない。
誤診があると島では生きていけないかもしれない。現に、何年か前に島で殺された医師も居た。まったく医師という仕事は割に合わないことばかりだが、そんな愚痴は別の機会にたっぷりすることにしよう。
そんなある日の夕方、腹痛を訴える旅行者が診療所を訪れた。腹痛ははじめみぞおち部分が痛く、次第に右下腹部に限局してきたと。腹部を診察すると確かに右下腹部に圧痛があり、反跳痛も認められた。腹部エコーにてやや腫大した虫垂を認める。腹痛は次第に強くなっているという。発熱も出てきた。設備はないのでこれ以上の検査はできない。虫垂炎は否定できない、それしか言えない。
この日のフェリーはもう行ってしまった。明日朝まで待たないといけない。一刻を争う状況であれば自衛隊のヘリを呼ぶが、そこまでの病状ではない。しかも夜間のヘリ搬送はきわめて危険で、過去に一度医師を積んだままヘリが墜落し海の藻屑と消えたこともある。
入院設備のない診療所の小さなベッドに患者を寝かせ、抗生物質を点滴しながら朝まで患者に付き添った。幸い症状は安定し、無事翌日のフェリーで患者を送り出すことができた。搬送先の病院からは、虫垂炎の手術が無事成功したとの知らせがあった。
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