I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean Philosophy is the talk on a cereal box Religion is the smile on a dog I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah
私は多くのことをわかっていないし 身の程はわきまえているつもり 哲学はシリアルボックスに書いてある言葉 宗教は犬の笑顔 私は多くのことをわかっていないし 身の程はわきまえているつもり
Choke me in the shallow waters Before I get too deep
浅瀬で私の首を絞めて 深みにはまる前に
What I am is what I am Are you what you are or what? What I am is what I am Are you what you are or
私は私でしかない あなたもそうでは?
Oh, I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean Philosophy is a walk on the slippery rocks Religion is a light in the fog I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah
Choke me in the shallow water Before I get too deep
What I am is what I am Are you what you are or what? What I am is what I am Are you what you are or what?
What I am is what I am Are you what you are or what? What I am is what I am Are you what you are or what you are and
What I am is what I am Are you what you are or what?
Don't let me get too deep Don't let me get too deep Don't let me get too deep Don't let me get too deep
Choke me in the shallow water Before I get too deep Choke me in the shallow water Before I get too deep
Choke me in the shallow water Before I get too deep Choke me in the shallow water Before I get too deep
source: http://www.lyricsondemand.com/onehitwonders/whatiamlyrics.html
動画はここ
2011年10月16日(日) |
死ぬかもしれないということ |
友人が自殺未遂をした。Drug overdoseなのだが、よくある精神科系の薬剤ではなく、内科の薬だった。しかもてめえが処方した薬だ。まさしく「なんということでしょう」というナレーションが聞こえてきそうだ。ばかすか薬物を大量内服されてしまう精神科の先生方の虚しさが少し理解できた気がした。
朝にこの友人の友人(ややこしいな)から突然電話がかかってきた。まさに晴天の霹靂だった。この人はてめえも高校時代の友人だったが、卒業後は全く音信がなかった。のでまあ驚いたし、電話がかかってきた瞬間には嫌な予感がした(誰かが死んだのだろうと思ったし、それくらい交流がなかった)が、だいたいあたっていたわけだ。
本人は意識も問題なく何の障害も起きずに済みそうだが、経過観察のためしばらくICUに入院となった。落ち着いたらてめえの病院への転院依頼が来ると思われるが、これは受けなければいかんだろうな。小さくため息が出る。
基本的に、友人を顧客にすることに関しては非常に抵抗があり、この人以外にはやっていない。友人関係と顧客関係は両立すると思えないからだ。この人に関しては、初めの状況があまりに悲惨だった(保険証すらもっていなかった)こと、家族も頼れないこと、まともな友人はてめえだけだったこと、持病の状態も最悪であり他の医師にお願いするのは憚られる状況だったことなどが重なった。今後生きていくために生活保護の申請を行い、入院させて治療を行い、てめえでは診れない合併症は他院に紹介してなんとか悲惨な場面は乗り切った(つもり)。以降、友人として馬鹿話をすることもなくなり、主治医としての発言しかしていない。これでまた友人を一人失ったわけだな。てめえの腕もあり、病状は落ち着きつつあったのでそろそろ他の病院に投げようと思っており本人にもそう伝えたばかりだった。
実は最近不眠が続いており、3日まるっと眠れなかった夜中に衝動は起きたらしいが、その後も体調に変化なく、なんだか不安になっててめえに電話してきている。この日はありえないくらいの爆睡だったので気付かなかった。そのまま黄泉に旅立たれていれば、この電話に出られなかったことをてめえは後悔しただろうか。
幸いというのが良いのかどうかわからないが、別の友人に電話したようで、救急車を呼ばれてそのままICU入室となった。「夜通し付き添いしてたんやけど、夜も明けてわしも仕事やし。とりあえず電話して伝えてくれと言われたので電話した」と言い、その友人は電話を切った。いや申し訳ない、どうもお疲れ様でしたとてめえは言った。
ICUにて、「今後どうすんねん」と聞いてみたが、彼にとって意味のある質問になったか? 「ごめんなさい」との発言は、本来産み育ててくれた両親にすべきだろうと思ったが、なぜか口から出なかった。そのご両親も病院にはいない。なんとも虚しい気持ちだけだな。なんとも整理がつかないな。
#内科系のくすりの大量内服は実にやばい。ほんまにやめてほしい。その悲惨さはパラコート中毒に比べることができるのではないか。パラコートの話も、この友人にしようかと思ったがやめた。降圧剤を大量内服して「原因不明の低血圧」として救急車で運ばれてきたが、あらゆる治療に抵抗し血圧が上がらないまま亡くなった人とか、糖尿病の薬を大量内服してこれまた治療抵抗性の低血糖を来たし、脳細胞が全部壊死したひととか。診てるほうも悲惨だ。鎮静剤はたいがいの量では死なないが、内科の薬は生き地獄を見ることができるところがパラコートに似ている気がする。あまりそういった、内科の薬を大量に、という人は診ないが、ほんまにやめてほしい。たぶん飛び降りたり飛び込んだりしたほうが楽。
もっと若いころから徐々に気がついてはいたが、年を重ねるごとに、新しい友人を得るということは困難になっていくわけだ。もちろん、付き合いのある人は社会経験を積めば積むほど増えていくが、「知り合い」以上になることはない。若いころのように熱い議論をすることもなく、無防備に自分の心をさらけ出したりすることもない。そうして、どうでもいい腹の探り合いだけの知り合いがどんどん増えていく。そんな中にも魅力的な人物はいるが、若いころのようにはいかない。もっと若い時に出会っていれば、また違ったのだろうが。
そういう意味でも、昔から変わることなく付き合いのある人たちというのはとても貴重だ。長い間会っていなくとも、一瞬で昔の時間に戻ることができ、普段しないような熱い議論もできる。ただ人間には寿命があるので今後はどんどん減っていくだけだろう。
今のどうしようもない状況を打破すべくひそかにいろんなことを進めており、うまくいけばうまくいくだろうが、その中で新たな知り合いもできることだろう。だが、今までの友人(少なくとも、大学を卒業するまでのまったくただの人間だったときの自分と出会うことができた友人)と同じような付き合いをできる友人には、まず今後は出会わないだろう。
先日、連続して予期せぬ友人との再会あり。個々の再開とは全く関係なかったが、その合間に何故か予期せぬ悟りを開いてしまった。というわけで、これからは今の仕事に見切りをつけて新しい方向に進んでいくことにした。色々あったが、いまは全く食べるためだけに仕事をしている。退職の意向も伝えた。うまくいくといいが、このご時世でもあり簡単には辞めさせてくれないわけだな。
おっさんになったら、若いころには見えなかったことがいろいろ見えてきて、なんだか悲しい。今後は穏やかに生きていきたいが、さてどうなることやら。
今月から、週に1日だけ小さな診療所に勤めることとなった。忙しい病院とは異なり、薬を取りに来るだけの安定した人が多い。検査も限られており、血液検査は外注で結果は翌日になり、レントゲンは技師がいないので自分で撮らなければならない。診察は秒殺で終わるので、残りの時間は取り留めのない話をする。 週に1回くらいこんな日もいいもんや。
久しぶりにここの日記を読み返してみると、まだ若かった自分が必死にもがいている様子がよくわかる。ある程度は時間や経験が救ってくれるのだろうかなどと漠然と考えていたが、どうやらそれは甘い期待だったようだ。結局何も変わらず、もうそろそろ止めにしようかと考えている自分がいる。
医学の目的が救命なのであれば、我々は常に敗北の歴史の中にいる。もちろんそんなことを考えているのは途方もなく楽観的な同業者か、期待の大きい(ほとんどの方がそうだが)顧客なのだが、実際には苦しみを一部取り除く努力をしているにすぎない。医学とは、その努力が成功する確率を上げるだけの学問だが、もちろん100%になることはない。だが、最近は100%を求める方が多すぎないだろうか。
その落差に愕然として、そろそろ身を引こうとしている自分がいる。
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