解放区

2011年10月18日(火) what's new?

同業の大先輩の話だが、海外で行われた学会に出席・発表した時の話。日本での研究成果をまとめ、慣れない英語で一生懸命プレゼンテーションされたらしい。発表が終わり、通常であればその後は会場フロアからの質問タイムになるはずなのだが、座長は「what's new?」と質問者に厳しくただし、フロアからの質問を受け付けてくれなかったそうだ。この話を聞いて、てめえはひどく感心してしまった。なるほど。もちろん、「what's new?」と聞いた座長にだ。

学問の成果に限らず、誰かの何かを焼きなおしたような内容であれば、わざわざ人の時間を浪費するものではないと。まったくそうなんだよな。

自分にとってどうでもいい「ミシュランガイド」だが、ただ一つだけその方針で感心したことがある。オリジナル料理のないレストランには星を与えないというものだ。まさしく「what's new?」だ。確かに三つ星を取ったレストランは、新たな味を生み出しているところも多く、京都でいえば瓢亭の瓢亭玉子(オリジナルか? という意見もありそうだが)や千花の塩昆布で食べる刺身などが思い浮かぶ。逆に言うと、そうでない料理は評価に値しないということができるだろう。代表的な料理はラーメンかと思う。これほど先人の作り方からはみ出ないジャンルも珍しいのではないか。というわけで、ラーメン屋がミシュランに掲載されることはないだろう。(そういう意味では、東京の三つ星に寿司屋がたくさんあるのは解せない。小野二郎氏はすごい職人だとは思うが、新しい寿司を生み出したか?)


急に話が変わるが、てめえの本棚を眺めるとほとんどがノンフィクションだ。小説はほとんどない。小説とは表現力と構成力だと思うがいまいち感心するものもなく、感情移入できぬまま途中で投げ出してしまう。実話のほうがよほど面白い。

その中で、面白く読んだ小説のひとつが「蒼穹の昴」だ。清朝末期のどろどろした時代が舞台になる壮大な話だが、浅田治郎の読みやすい文体と、一気に読ませる構成力に唸る。なかでも面白かったのは、西太后の描き方だ。これこそ「what's new!」だとおもうが、その乙女チックな西太后の描写に賛否両論が渦巻き、直木賞は取れなかった。世の中には了見の狭い輩が多いらしい。

先日ふと思い立ち、蒼穹の昴落選時の直木賞受賞作が気になったので購入して読んでみた。乃南アサの凍える牙だ。まあ面白く読んだが、やはり途中でうんざりしてきた。何故かと考えてみたが「what's new?」だな。女性の刑事というのが新しかったのだろうか? まあよくできた物語ではあったが、何となく腑に落ちなかった。

さて自分に振り返ってみて、新しいことを始めるとして、何か新しいこと、今までとは違うものを盛り込まないといけないわけだな。ここまで書いてしまうと。それはなかなか難しいことだが、模倣から始まってもいつかは新しいものを生み出せればいいなと思う今日この頃。



2011年10月17日(月) What I am

I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean
Philosophy is the talk on a cereal box
Religion is the smile on a dog
I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah

私は多くのことをわかっていないし
身の程はわきまえているつもり
哲学はシリアルボックスに書いてある言葉
宗教は犬の笑顔
私は多くのことをわかっていないし
身の程はわきまえているつもり

Choke me in the shallow waters
Before I get too deep

浅瀬で私の首を絞めて
深みにはまる前に

What I am is what I am
Are you what you are or what?
What I am is what I am
Are you what you are or

私は私でしかない
あなたもそうでは?

Oh, I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean
Philosophy is a walk on the slippery rocks
Religion is a light in the fog
I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah

Choke me in the shallow water
Before I get too deep

What I am is what I am
Are you what you are or what?
What I am is what I am
Are you what you are or what?

What I am is what I am
Are you what you are or what?
What I am is what I am
Are you what you are or what you are and

What I am is what I am
Are you what you are or what?

Don't let me get too deep
Don't let me get too deep
Don't let me get too deep
Don't let me get too deep

Choke me in the shallow water
Before I get too deep
Choke me in the shallow water
Before I get too deep

Choke me in the shallow water
Before I get too deep
Choke me in the shallow water
Before I get too deep


source: http://www.lyricsondemand.com/onehitwonders/whatiamlyrics.html

動画はここ



2011年10月16日(日) 死ぬかもしれないということ

友人が自殺未遂をした。Drug overdoseなのだが、よくある精神科系の薬剤ではなく、内科の薬だった。しかもてめえが処方した薬だ。まさしく「なんということでしょう」というナレーションが聞こえてきそうだ。ばかすか薬物を大量内服されてしまう精神科の先生方の虚しさが少し理解できた気がした。

朝にこの友人の友人(ややこしいな)から突然電話がかかってきた。まさに晴天の霹靂だった。この人はてめえも高校時代の友人だったが、卒業後は全く音信がなかった。のでまあ驚いたし、電話がかかってきた瞬間には嫌な予感がした(誰かが死んだのだろうと思ったし、それくらい交流がなかった)が、だいたいあたっていたわけだ。

本人は意識も問題なく何の障害も起きずに済みそうだが、経過観察のためしばらくICUに入院となった。落ち着いたらてめえの病院への転院依頼が来ると思われるが、これは受けなければいかんだろうな。小さくため息が出る。

基本的に、友人を顧客にすることに関しては非常に抵抗があり、この人以外にはやっていない。友人関係と顧客関係は両立すると思えないからだ。この人に関しては、初めの状況があまりに悲惨だった(保険証すらもっていなかった)こと、家族も頼れないこと、まともな友人はてめえだけだったこと、持病の状態も最悪であり他の医師にお願いするのは憚られる状況だったことなどが重なった。今後生きていくために生活保護の申請を行い、入院させて治療を行い、てめえでは診れない合併症は他院に紹介してなんとか悲惨な場面は乗り切った(つもり)。以降、友人として馬鹿話をすることもなくなり、主治医としての発言しかしていない。これでまた友人を一人失ったわけだな。てめえの腕もあり、病状は落ち着きつつあったのでそろそろ他の病院に投げようと思っており本人にもそう伝えたばかりだった。

実は最近不眠が続いており、3日まるっと眠れなかった夜中に衝動は起きたらしいが、その後も体調に変化なく、なんだか不安になっててめえに電話してきている。この日はありえないくらいの爆睡だったので気付かなかった。そのまま黄泉に旅立たれていれば、この電話に出られなかったことをてめえは後悔しただろうか。

幸いというのが良いのかどうかわからないが、別の友人に電話したようで、救急車を呼ばれてそのままICU入室となった。「夜通し付き添いしてたんやけど、夜も明けてわしも仕事やし。とりあえず電話して伝えてくれと言われたので電話した」と言い、その友人は電話を切った。いや申し訳ない、どうもお疲れ様でしたとてめえは言った。

ICUにて、「今後どうすんねん」と聞いてみたが、彼にとって意味のある質問になったか? 「ごめんなさい」との発言は、本来産み育ててくれた両親にすべきだろうと思ったが、なぜか口から出なかった。そのご両親も病院にはいない。なんとも虚しい気持ちだけだな。なんとも整理がつかないな。


#内科系のくすりの大量内服は実にやばい。ほんまにやめてほしい。その悲惨さはパラコート中毒に比べることができるのではないか。パラコートの話も、この友人にしようかと思ったがやめた。降圧剤を大量内服して「原因不明の低血圧」として救急車で運ばれてきたが、あらゆる治療に抵抗し血圧が上がらないまま亡くなった人とか、糖尿病の薬を大量内服してこれまた治療抵抗性の低血糖を来たし、脳細胞が全部壊死したひととか。診てるほうも悲惨だ。鎮静剤はたいがいの量では死なないが、内科の薬は生き地獄を見ることができるところがパラコートに似ている気がする。あまりそういった、内科の薬を大量に、という人は診ないが、ほんまにやめてほしい。たぶん飛び降りたり飛び込んだりしたほうが楽。



2011年10月15日(土) 徒然と

もっと若いころから徐々に気がついてはいたが、年を重ねるごとに、新しい友人を得るということは困難になっていくわけだ。もちろん、付き合いのある人は社会経験を積めば積むほど増えていくが、「知り合い」以上になることはない。若いころのように熱い議論をすることもなく、無防備に自分の心をさらけ出したりすることもない。そうして、どうでもいい腹の探り合いだけの知り合いがどんどん増えていく。そんな中にも魅力的な人物はいるが、若いころのようにはいかない。もっと若い時に出会っていれば、また違ったのだろうが。

そういう意味でも、昔から変わることなく付き合いのある人たちというのはとても貴重だ。長い間会っていなくとも、一瞬で昔の時間に戻ることができ、普段しないような熱い議論もできる。ただ人間には寿命があるので今後はどんどん減っていくだけだろう。

今のどうしようもない状況を打破すべくひそかにいろんなことを進めており、うまくいけばうまくいくだろうが、その中で新たな知り合いもできることだろう。だが、今までの友人(少なくとも、大学を卒業するまでのまったくただの人間だったときの自分と出会うことができた友人)と同じような付き合いをできる友人には、まず今後は出会わないだろう。

先日、連続して予期せぬ友人との再会あり。個々の再開とは全く関係なかったが、その合間に何故か予期せぬ悟りを開いてしまった。というわけで、これからは今の仕事に見切りをつけて新しい方向に進んでいくことにした。色々あったが、いまは全く食べるためだけに仕事をしている。退職の意向も伝えた。うまくいくといいが、このご時世でもあり簡単には辞めさせてくれないわけだな。

おっさんになったら、若いころには見えなかったことがいろいろ見えてきて、なんだか悲しい。今後は穏やかに生きていきたいが、さてどうなることやら。



2011年10月14日(金) 診療所

今月から、週に1日だけ小さな診療所に勤めることとなった。忙しい病院とは異なり、薬を取りに来るだけの安定した人が多い。検査も限られており、血液検査は外注で結果は翌日になり、レントゲンは技師がいないので自分で撮らなければならない。診察は秒殺で終わるので、残りの時間は取り留めのない話をする。
週に1回くらいこんな日もいいもんや。


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