解放区

2011年11月16日(水) おいしいもの。

てめえの願いは、てめえが死んだあと「あの人はおいしいものが好きな人だったねぇ」と懐かしがられることだ。自分を形容されるならば、美味しいものが好きな人、と言われたい。

昨日はカレイの切れ端がいっぱい入ったものが100円で売られていたので、それを購入し煮付けて夕食にした。それと、たくさん作り置きして冷蔵庫にしまってある「さつまいものレモン煮」と、アーサと油揚げの味噌汁。煮魚なんて、京都に帰ってくるまでほとんど作ったことはなかった。和食を多く作るようになったのは、明らかにこの土地の影響だ。京野菜をはじめとして、売っているものそれぞれが最もおいしく食べられる調理法を考えると、和食の手法が一番しっくりくるのだ。

料理した後に残る野菜の切れ端は、冷蔵庫の野菜室の中にある袋に入れておき、ある程度たまったら片っ端からみじん切りにして塩と酒で処理し、ひき肉で炒める。以前は甜麺醤(+豆板醤)で味付けしていたが、いろいろわけがあり甜麺醤が使えなくなったので、代わりに赤味噌をみりんで溶いたものを使って炒めている。野菜の下処理に使う酒も日本酒を使っているので、こっちの方がしっくりくる気がする。さらに醤油を入れたり、豆豉を刻んで加えたりする。具も、しょうが醤油をつくるときにできるしょうがの醤油漬けとかなんでも入れる。大根の皮や葉やニンジンの皮や玉ねぎや白菜やキャベツの芯などもとっておき、みじん切りにする。ごはんのよい友になるだけではなく、余れば弁当にできる。元は「泡菜肉末」といって、陳健一の本で知った。こういった始末の仕方を知っているといろいろ便利だ。

赤味噌は、御所近くにある本田味噌のものを使用している。いろいろ試したがここの味噌が一番美味い。明治天皇が東京に引越するまで、皇室や御所付近に住んでいた公家たちは、ここの味噌を愛用していた。いわゆる「禁裏御所御用達」である。値段はそれなりだが、こういった基本調味料を奢っておくと、肉や野菜が安いものでもそれなりの味になる。なんといっても毎日飲む味噌汁が美味いことが一番である。


天皇が東京に引っ越した時、皇室や公家に物を納めていたところは、そのまま京都に残ったものと、お得意先と一緒に東京に移ったところに分かれた。本田味噌は前者なわけで、後者は「とらや」など和菓子の店が多かったようだ。移った和菓子の店は得意先がほとんど皇室や公家だったのだろう。茶の「千家」は3つとも京都に残った。和菓子の店も、京都に残ったところもある。そういった店は、皇室や公家と疎遠になっても商売できる自信があったのだろうと思う。

松風で有名な「松屋常磐」も、御所近くに今でも店を構えているが、京都に残った店である。向田邦子もここの松風が大好きだったようで、てめえ愛用の料理本「向田邦子の手料理」にも出てくる。が、てめえは大徳寺納豆の入った松屋藤兵衛の松風が好きだ。ここは大徳寺の近くなので、皇室の需要はあまりなかったと思われ、今も変わらず営業を続けており、地元の人々を中心に愛され続けている。



2011年11月15日(火) 何が嫌なのだろう

この仕事を始めて早くも8年目になる。なんとか一通りのことはできるようになったし、その中である程度大きな学会などでの発表もさせていただいた。一般的には知識もそれなりにあるし手技もそれなりにできるし、後輩の面倒を見たりなんだりと一番充実しているころのはずだ。

一通りできるようになったところで、意欲のあるものはさらにいろんなことを極めるべくいったん大学に戻って専門分野の研究を始めたり、そのまま現場に残って指導者・管理者への道を歩み始めるころだ。

そんななか、てめえはドロップアウトし始めた。もったいない、といわれるし、自分でももったいないと思う。正直これだけトレーニング受けたものが仕事を減らしていくのは社会的損失だ。最前線から撤退して区ことに対し、家族のこととかなんだと理由にしているが、恐らくそんなところに真実はない。なるべくしてそうなっていると自分では思う。

何が嫌なのだろうか。何に疲れているのか。仕事そのものに対してか、職場の問題か。

仕事そのものに対してとしても、本当にそのものに対してか、専門分野に対してか。

仕事そのものに対しては、そんなに嫌ではないと思う。そうであれば、大学受験から間違っていたということになってしまう。しんどいなりにやりがいはあるし、社会に役立っているという実感もある。なにより、利益を求める仕事ではないのが性に合っている。

専門分野は選択を誤った気がしてならない。ある意味成り行きで決めてしまったが、こんなに精神的にしんどいとは思わなかった。他の国であればお亡くなりになられている方々だけに、全身の管理がとても難しい。あっという間に急変するわけだ。一見本人は元気に生活しているように見えているが、日本以外の多くの国であればもう亡くなられている方だという認識が本人にも家族にもあまりないので、何かあればひどく狼狽される。医療は一体どこまで進歩するのか。亡くなっていたはずの方々が命を長らえるのはいいことでもあり、新たな問題を生じることでもある。


二つ目だが、職場の問題とすれば、職場の人間関係か顧客の問題かそれ以外か。

人間関係は満足している。どこの職場にもいる使えない人は確かに存在するが、医療現場で働く人々は基本的に善意の人である。ので、てめえに関する人間関係には全く問題がない。上司も素晴らしい人だし、全く問題なし。

顧客の問題。デリケートな話だが、てめえの施設は特殊な人々が顧客として多く集うので、対応に難渋することがある。が、これは他の職種の人々と協力し、解決することが多いのであまり問題ではない。


結論。てめえはどうやら専門を間違えたらしい。とすると解決方法としては専門分野を変更するのが一番だが、また一からトレーニングを受けなおす気力はもう残っていない。現実的には、今までの知識を流用した仕事ができればいいわけで、なんとかそれで生き残れないかもがき中の日々。



2011年11月14日(月) 父と暮らす/トランス脂肪酸の恐ろしさ

夕方までの勤務の時は、帰宅時に買い物を済ませるのだが、昼までの勤務の時は、デイケアから帰って来た父と一緒に、近くのスーパーで買い物をする。
「昼は何食べた?」
と聞くが、なんやったかなあと彼は首をかしげる。短期記憶が障害されているのでまあ覚えていないだろうな、と思いながら、いつも同じ質問をする。ふと、何事もなかったかのように彼に正気が戻るのを期待しているかのように。

脳の一部を傷害した彼は、まるで子供だ。欲しいものの前でじっとしたまま動かない。「おっこれ安いやん」と叫ぶのは、たいてい生ギョーザの前だ。刺身のコーナーの前では、じっと刺身を見つめたまま動かなくなる。先日は、イワシの前で彼が動かなくなったので、100円で山盛り入ったイワシを購入し生姜と梅干しで煮つけた。「何食べたい?」ときくと、たいてい「なすび」と答えるので安くて助かる。

料理を盛り付けて机に運ぶと、「わっごちそうや。おいしそういただきまーす」と一人で食べ始める。文句を言ってこないところは人ができているが、きっとろくなものを食べてこなかった人生に違いない。てめえはこの人が、ギョーザと焼き茄子とラーメンと冷凍食品で生きてきたことを知っている。


喫煙もせず、大きな病気もなく、肥満でもない、むしろトライアスロンに出たりチャリで日本一周を実現するくらいのスポーツマンだった父が狭心症を起こしたのは、てめえが南国に行ってすぐのことだった。彼はその時、冷凍食品を運ぶトラックの運転手をしていた。
「ちょっと動くと胸がぎゅーっと重くなるのだが、これはなんだ」と父から電話がかかって来た。よく話を聞くと、典型的な狭心症発作だった。
「電話を切って、すぐに病院に行け。そうしないと心筋梗塞で死にますぜ」と、てめえは父に言った。仕事が忙しくてなんとかかんとかなどと言っていたが、最終的には病院に行くことを了承し、みごと冠動脈に狭窄が見つかった。あと少しで閉塞し、梗塞に至る一歩手前だった。完全に詰まってしまう手前で冠動脈にステントを入れ、彼は生還した。

「なんでこんなことになるんや?」と、まだ正気だった彼はてめえに聞いた。確かに、彼には心臓病のリスクファクターは全くなかった。高脂血症でもなく、糖尿病でも高血圧もなかった。先に書いたように、肥満もなく喫煙もしていない。まったくリスクはなかった。

「まあ、そういう人もおるわ。喫煙したことないのに肺がんになったり、お酒一滴も飲まないのに肝臓壊す人もおるやろ」と、てめえは疫学者が聞いたら卒倒するような詭弁を言った。だが、その時は本当にわからなかった。なぜ彼が、狭心症になったのか。


あれから時も経ち、今ならわかるようになった。まったく、学校では大切なことは学ばないものだ。今ならわかる。冷凍食品、及びそれに多く含まれる、揚げ物のせいだ。コレステロールも高くなかったのだがら恐れ入る。トランス脂肪酸の恐ろしさを父で思い知らされることになるとは思わなかった。

てめえはもともと揚げ物料理をすることが少なかった(めんどくさいからで、ほしい時には買っていた)が、トランス脂肪酸の勉強をしてから、揚げ物を徹底的に避けるようになった。もちろんスナック菓子もである。友人と外食するときは、食べることもあるが、それ以外では意識的に避けている。ので、父の食卓に揚げ物はない。ので、今後彼は長生きするだろうな、などと考えている。



2011年11月13日(日) 小金井市のごみ問題/○○でほしい

小金井市のごみ問題、今日までまったく知らなかった。関西ではニュースになっていないからだろうか、偶然今日初めて知った。ていうか、関西人は誰も知らないのではないか。

このままいくと、ごみを誰も引き受けてくれない可能性があると。これはすごい。ナポリと姉妹都市になれるのでは。ぜひなってください。

私見だが、小金井市の方々は、一度ごみ処理が完全にストップしないとわからないのではないか。ごみが市内の道路を埋め尽くさないと先に進まないのではないでしょうか。元朝日新聞記者の辞任した市長も甘いが議会や市民はもっと甘いのでは。次の市長選挙は誰か立候補するのか。いっそ横粂代議士が立候補してはどうか。

http://ameblo.jp/katsuhito-yokokume/entry-11068404268.html

なんで彼はここに手を突っ込んでいるのかと思ったら、次期選挙で前首相に対抗して小金井氏を含む東京19区から出る予定なのね。がんばれ「総理」。首相選挙の一票はてめえも爆笑させていただきました。笑っている場合ではないが。

http://www.youtube.com/watch?v=CBjVw-Z86W8



「続・落ち穂拾いの記」たしかに死んでほしい。あっ書いちゃった。
しかし、気持ちはよくわかりますぜ旦那。てめえも幾度となく脳内殺人を企てました。これは、そういうことができないような制度を作らないと永遠に続くような気がするぞ。そんなことをすると、善意に基づいて成り立っている医療現場が完全に崩壊するだろうが。こっちも、一度完全に崩壊しないとわからないのでは。まあてめえは最前線から離脱しましたが何か。



2011年11月10日(木) 料理する

最近は毎日料理している。ほとんど加工食品は使用しないので、めんどくさいことはめんどくさいが仕事するよりましだ。今は5時には仕事が終わるので、それから買い物をして帰る。いろんな店で買い物するので、店ごとの特徴もわかるようになってきた。

で、まじめに考えてみたが、きちんと料理するようになった理由はどうやら二つある。一つ目は、京都に住んでいるということである。

沖縄にいるときはあまり感じなかったが、こっちでは旬のものがはっきりしているということ。まあ沖縄は亜熱帯なので旬もくそもあるかと言われればそれまでだが、京都はよりはっきりしているのではないだろうか。その旬のもので、いままでいわゆる京都の家庭料理をいうものを作ったことがなかったので、いろいろと試してみている。「なすとにしんのたいたん」とか、実際食べたことなかったわけだ。これは、子供の時に料理を作っていた母親が、京都出身ではないことと関係しているのだろう。京都にはいろいろ京野菜があるので、ネットや本などでレシピをいろいろ調べたりしながら作っている。ただし、元の味がよくわからないのだな。

本は、図書館で借りてきている。さすがに、図書館に行くと、ちゃんと京料理のコーナーがあるのだ。これはありがたい。

おかげで、今まで知らなかったことがいろいろと分かった。京都では牛肉の消費量が多いとか、こんなことも知らなかったわけだ。母親が南国出身なので、てめえの育った家では豚肉ばかりだったからな。たしかに牛肉コーナーがやたらと充実している。

京野菜も、旬の時期だけどかっと並んで消えていく。以前に、中国では、冬になると八百屋には白菜のみが山のように積んであると聞いたことがあるが、そこまで極端ではないが何となく情景が理解できる気がする。

さて二つ目。これは、偶然ネット上で出会った高野さんの日記の影響である。リンクは張らない。おっさんひとりめしでググると出てくる。これがまた、毎日おいしそうな料理を作ってらっしゃるわけだ。感化されやすいてめえは、たちまち壇一雄の本や池波正太郎の本や海軍レシピの本などを買ってしまった。ちなみにてめえが一番好きな料理本は向田邦子のもので、ずっと台所に置いてあるので表紙は脂でてらてらになっている。これは偶然、一乗寺の恵文社という書店で見つけて衝動買いしたものだが、そんな話はどうでもよい。



さて今日の晩飯は何にしようか。最近近くの店で、香菜がたまに置いてあるので、今日もあれば買って帰ろう。おいてあれば必ず買うので、最近おいてある頻度が高くなった。イカが安かったらイカと炒めてもいいし、そういえば冷蔵庫にブタのバラ肉があるのでそれで炒めてもよいし、サラダに入れてもよいし。豆とキャベツのカレーつくっていれてもいいし。


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加