解放区

2011年11月21日(月) 医師法20条


医師法第二十条
医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。


医師法第二十条但書に関する件  
     (昭和二四年四月一四日 医発第三八五号)  
     (各都道府県知事あて厚生省医務局長通知)  
 標記の件に関し若干誤解の向きもあるようであるが、左記の通り解すべきものであるので、御諒承の上貴管内の医師に対し周知徹底方特に御配意願いたい。  

      記  
1 死亡診断書は、診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから、苟しくもその者が診療中の患者であった場合は、死亡の際に立ち会っていなかった場合でもこれを交付することができる。但し、この場合においては法第二十条の本文の規定により、原則として死亡後改めて診察をしなければならない。  
  法第二十条但書は、右の原則に対する例外として、診療中の患者が受診後二四時間以内に死亡した場合に限り、改めて死後診察しなくても死亡診断書を交付し得ることを認めたものである。  
2 診療中の患者であっても、それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は、死体検案書を交付すべきである。  
3 死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるものである。



2011年11月20日(日) 日本シリーズについて

ハマチのアラとカブが安かったので、ハマチはしょうゆとみりんで炊き、カブは油揚げと一緒にかつおだしで炊いた。後者は最後に片栗粉でとろみをつけた。寒い時に体がぽかぽかになるように。

今年の日本シリーズは大変面白かった。第6戦までアウェーのチームが勝ち続けるのも異例だったし、日本一になってもクビが決まっている落合監督の采配にも興味があった。チーム力だけ見ると、パリーグ断トツの首位で優勝し交流戦も優勝、プレーオフも全勝で勝ち上がってきたホークスに圧倒的に分があるし、一方的な展開になると面白くないと思っていたが、実際は大変な接戦となり、結果は最終戦まで持ち越されることになった。

第7戦は、ホークスが3点を挙げたところでほぼ終了。なぜなら、中日は今回のシリーズで3点以上得点しておらず、またその力もなかった。打率が12球団で最下位のチームがここまで勝ち進めたのは、その守備力もあるだろうが、やはり監督力ではないだろうか。1点差の勝利がとても多かったのは、采配の勝利、頭脳の勝利だろう。

中日の監督・コーチ陣をみると、ほぼ生え抜きがいないことに気付く。中日での選手経験はないが、その脳味噌というかコーチ力を買われて落合監督に一本釣りされた人ばかりだ。フロントは実はそこが気に入らなかったのだろう。落合監督のみならず、生え抜きではないコーチも一斉にクビにしている。これだけの実績を残しながら。これだけのことが起きていながら中日ファンが暴動を起こさないのは、ファンもフロントと同じように考えているということなのだろうか。

これが阪神だったら間違いなく暴動が起きているはずだ。連覇した監督及びコーチををクビにしたならば。関西人は勝つ人を重用する。勝てないと用はない。今年の真弓監督のように。

第7戦は、勝っても負けても落合監督最後の試合。実は契約は10月いっぱいで切れており、日本シリーズが終わるまでは日雇いになっていたらしい。落合は、7回には浅尾、8回には岩瀬を投入した。まるで勝っている試合の時のように! この采配にてめえはなぜか涙が止まらなかった。

ホークスはそのままファルケンボーグで終了かと思ったが、まさかの負傷交代。最後は摂津! これもまた涙が止まらなかった。最後はやはり馬原かと思ったが、通常ではありえない起用が続く。最後まで緊張感あふれるものすごい名勝負で、両監督の野球に対する凄ましいまでの愛を感じた。落合もすごいが、秋山もすごいな。両者両チームともどうもお疲れさまでした。



2011年11月19日(土) ラーメンマニアについて

引き続きラーメンの話。

もはや国民食でもあるラーメンが大好きな人々はたくさんいるが、なかでもラーメンマニアを自認する人たちがいる。彼らには一定の特徴・傾向があり、その影響がもちろん悪い方に働いている部分もあると思われる。その一部を取り上げてみる。

・ラーメンは熱々でないといけない。少しでもぬるいと「このラーメンはぬるい」という批判をてめえのブログに展開したり食べログに投稿したりする。

日本のラーメンは熱すぎると思う。これだけの熱さで提供される麺料理は世界中にないのではないか。ラーメンは、麺料理の適温を超えて提供されていると考えている。てめえでも食べ終わった後に口の中が火傷していることがある。これはどう考えても異常である。熱すぎる食べ物がいいのか?

まず、熱すぎると麺が伸びるのが早くなる。つまり、麺がベストコンディションである時間が短くなるわけだ。特に伸びやすい細麺を使用している九州系豚骨ラーメンは「バリかた」でたのまないとあっという間に伸びてしまうが、これは本末転倒ではないか。

また、スープの香りは、高温で香りが逃げてしまう。旨みも高温では損なわれるのではないか。中華料理の鶏ガラスープは、作るときは絶対に沸騰させない。カツオ出汁などの魚介系出汁も、絶対に沸騰させない。香りも旨みもなくなってしまうからだ。ラーメンはなぜか熱々が良いとされているため多くの店ではほぼ沸点で提供されている。料理には「適温」というものがあるだろうと思う。


・どの店に行っても「麺固めで」と注文する人がいる。

「麺固め」注文がデフォルトになっている人々がいる。初めて訪れた店でも麺固めを注文する人もいる。沸点近くで提供される九州系豚骨ラーメンであれば固めでたのむのもありかもしれんが、これもまた「適度の茹で具合」というものがあるだろう。それとも何が何でも固めの麺が好きなのか。君は他の麺屋さん、例えばうどん屋や蕎麦屋、スパゲッティー屋でも「固めで」と頼むのか。


・味が薄いと「湯切りが甘い」と批判する。

ラーメンを作っているところを見ればわかるが、多くのラーメン屋では麺を湯がいている間に丼にたれを入れ、その後スープを注ぐ。このたれの量、スープの量はほとんどの店では「目分量」だ。この時点でかなり適当であることがわかる。この時点ですでに薄い可能性があるだろう。その程度のブレを楽しめるようでないとラーメンを楽しめないぞ。

湯切りが十分でないとしても、さらに加わる水分の量はわずか数ccである。それでスープの薄さが大幅に変わるわけがない。「天空落とし」にどれだけ意味があるのか。むしろ麺そのものや茹で方(テボなのか平ざるなのか、など、こちらの方がよほど本質的では)の質にこだわるべきでは。


ちなみに京都のラーメンはとても柔らかくゆでてある。



2011年11月18日(金) ラーメンと沖縄そばについて

昨日は豆腐を入れたら、やはり思った通りぴったしだった。日本酒がよく進んだ。八角を入れたら美味いだろうなと思うので、次回ははじめから八角を入れてみよう。

てめえは家業がラーメン屋だったので生まれた時からラーメンを食べて育っており、おかげで現在のてめえの血となり肉となっているわけで、もはや体の一部と化しているので、消耗してきたら補ってやらねばならず突発的に食べに行く。もちろん自分でも作る。休日の日には鶏ガラと豚の骨を買ってきて、朝からぐつぐつと作るわけだ。生姜を効かせた方が好きなので、生姜はたっぷりと入れる。家業にしていたときにはスープの原料として野菜は使っていなかったが、てめえは野菜の残りくずなども入れる。麺はパスタマシーンで作る。チャーシューも作りメンマは乾燥メンマを1週間かけて戻して使う。なにやってんだろう。

もちろん一人で食べきれない量になるので、家族で食べることになる。おかわり上等である。余ったスープは冷凍して後日の楽しみにする。

ところでラーメンとは不思議な食べ物である。まず、いったい何をもってラーメンと定義するのか困難である。

麺は定義できるだろうか。「小麦粉を主体とし(そば粉などのほかの粉や卵などを混ぜている場合がある)、かん水で打ったもの」と定義できるか? 今は無かん水の麺もあるので、かん水は必須ではない。とすると、「小麦粉を主体とし(そば粉などのほかの粉や卵などを混ぜている場合がある)、打ったもの」になるが、これだとうどんやスパゲッティーのみならず、蕎麦も含まれてしまうぞ。結論。麺は定義できない。

スープは定義できるだろうか。明らかに無理です。必ず入っているというものが全くない。鶏や豚が主体だが、魚系の出汁のみの場合や牛骨を使っている場合もあり。何でもありだ。

具に至っても、何でもアリだ。チャーシューやネギ率は高いが、それがないとラーメンと定義できるものはない。

結論。ラーメンは定義できない。


さて、ここで新たな問題を提起してみよう。「沖縄そば」は「ラーメン」ではないのか?

沖縄そばを定義するのは容易である。麺は、小麦粉に、かん水などのアルカリ性の水を混ぜて作ったものである。アルカリ性の水はかん水が使われることが多いが、伝統的な店では、ガジュマルやイジュの樹を焼いて灰汁を作りその上澄みを使用する。

スープは、豚骨と鰹節。これ以外を使用している例を見たことがない。

具は多様だが、基本形は豚の三枚肉とネギとかまぼこである。三枚肉はソーキになったり野菜になったりする。

こう見てみると、非常にすっきりしている。ラーメンがいかに適当な食べ物かと愕然としてしまう。

さて、麺が小麦粉とかん水でできており、豚骨と鰹節でだしを取ったラーメンは存在するのか。あるでしょういくらでも。っていうかこれは沖縄そばの定義に当てはまるではないか。沖縄そばではないのか。

なんだか急激にどうでもよくなってきた。続きはまた今度。



2011年11月17日(木) 大阪市長選挙

大阪市長選挙が熱い。

知事が辞任して市長選挙に打って出るというのもたいがい熱いが、極めつけが共産党の候補が立候補を取りやめたことだ。どんな小さな町の選挙にでも候補者を立てようとする共産党が、これほど大きい選挙に候補者を立てないというのは寡聞にして知らない。調整がつかなかったというのはあるかも知れんが、立候補者が決まっているのに取りやめるとは。もはや異常事態だ。

この異常事態を引き起こしているのは、橋下徹という人間だ。

ちょっと興味があったので、いろいろ調べてみた。教育条例はたしかにやりすぎだが、その他ちゃんといろいろ仕事をしている。ただのタレント弁護士から、見事に行政の人になっている。

黙っていれば、知事の二期目にも当選し、さらに大阪府のために仕事されただろう。それを投げうって、今度は大阪市に乗り込むとは。正直仰天した。並の人間ではできないことだ。環境も部下もローカルルールも全て変わってしまうというのに。共産党まで敵に回しており、議会はてめえの大阪維新を除くと総野党ジャマイカ。仮に当選したとして、議会から職員までものすごい抵抗勢力だぞ。並の人間の精神力では不可能だな。


大阪市を解体する。たったその一点で、てめえは橋下氏を支持したい。当選したら公約をことごとく放り投げる現在の政権与党のようにならないことは、知事当選後の言動をみていればわかる。

そして、ぜひ大阪市をぶっ壊してほしい。別に大阪市にうらみがあるわけではないが、大阪市がいかに狂っているかは、この橋下氏への激しい拒否反応を見ても明らかだ。さらにてめえは、もっとどうしようもない京都市と言う自治体を知っている。共に早くから政令都市になっている関西の都市でもあり、おそらく似たような構造があるのは間違いないだろう。

先日も、京都市の現役職員が逮捕されたという記事を読んだ。いや、昨日だった気がする。京都市にとんでもない職員がおり、それを再生産する構造があるのは善良な京都市民ならみんな知っているし、大阪市にもあるだろうことも明らかだ。これは大阪府の長をやっていれば出会わない仕事だ。関西の大都市にあるこれらの闇をぜひぶっ壊してほしい。まあご本人はそこまでは考えていないだろうな。まあ闇は大阪都の区に引き継がれるかもしらんが。



昨日はカンパチのアラが安かったのでそれを炊いて、冷蔵庫に余った肉と根菜で肉じゃがを作った。バラ肉の塊が安くで売っていたのでそれも買ってきて、高野さんのところで読んだ台湾おでんを作ってみることとした。ねぎをそのままとバラ肉をそのまま、大量に醤油を入れて火にかけて3時間放置。これはそのまま今日の晩餐になる予定。だが、あれだけ醤油入れたにもかかわらず味見してみたら少し薄かった。帰ったら、もう少し醤油を足してみよう。加えて、今日は豆腐を買って帰って、ここにぶち込んでみよう。多分豆腐が合うはずだ。


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