というわけで、かつてお世話になった「元義父」の通夜に行ってきた。かつて「兄さん」と呼んでいた元義兄も、元義弟君も全然変わっていなかった。一通り挨拶をして、直前まで元気にされていたのは、逆に本人にとって良かったと思いますよ、とてめえは言った。
確定申告済ませた。書類は一式封筒に入れていったが、封筒はいらなかった。来年はクリアファイルに入れて持っていこう。わずかだが還付金が発生するので、小さな春のボーナスにしよう。料理する時に台所で音楽を聴くときのスピーカーを買おうと考えている。もちろんbluetooth対応にするつもり。iphone側で操作できるので便利この上ないが、本当に便利な世の中になったものだと思う。
子供の頃には、21世紀の予想図と言えば、車が宙を飛ぶイメージだった。漫画の世界だが、そのころに電話が個人で携帯できて音楽が聞けて、しかも無線でスピーカーに音を飛ばすなんてまったく想定外だったわけで。
IT前後をある程度の年齢になってから経験しているのは30代以降で、20代はもう気が付いたころからインターネットや携帯電話があったわけで。40代以上は社会に出てからIT化に出会っているわけで。自宅の電話で友人と遊ぶ約束をしていてそれがポケベルに代わって、ポケベルでショートメッセージを打てるようになって携帯電話が出現して、というのを思春期から経験しているのはある意味貴重な年代だと思う。
最近、今30代くらいの世代に思いを馳せることが多い。上記のようにIT前後を知っている世代。バブルの後を生きてきて、美味しい思いを全くせず何をするにもしんどい思いをした世代。スポーツでも日本の枠を出て世界に羽ばたきだしたのはこの世代だ。野球ではイチローや松井、サッカーでは中田など。
「30代」のパズル
リアル30’s:働いてる?
今日は暖かい一日だった。新しい仕事にも少しずつ慣れてきた。まあなるようにしかならんと思うわけで。てなわけでもうすぐ春やん。
2012年02月10日(金) |
亡くなられたことや胃瘻とか |
以前に親しくしていただいていた方が亡くなったとの連絡があった。昨日までは元気だったが、今日風呂場で亡くなっていたのを発見されたらしい。直近まで元気にしていただけに家族としてはやりきれないというか納得いかないのだろうが、「ぽっくり逝った」ということで本人としては良かったのだろうと思う。長く患って真綿で首を絞めるように悪くなっていくのだけは、てめえでも嫌だ。そんな人をたくさん見てきた。
石原氏が胃瘻についてエイリアン発言をして波紋を広げているが、どうして政治家は意味の分からない比喩をしようとするのだろうか、と思う。きっと救いがたいほどにアレなのだろう。
そんなてめえも胃瘻に関してはネガティブであるが、それにしても石原発言はどうだろうか。
結局問題は、自分の意志もはっきりしないような寝たきりの人が胃瘻で生かされていることを批判したかったのだろう。それに関しては全く同意できる。「真綿で首を絞める」よりも残酷だと思っているからである。
胃瘻の適応に関しては、自分の意志で「胃瘻を作ってほしい」と表示できる人だけにすべきだと考えている。現在は、ほとんど家族の意志で胃瘻造設されている。極めて不自然な状態となっている。
てめえは、自分のことに関しては、口から食事がとれなくなれば生物として終わりだと思っているので、どんな状態になろうが(きわめて一部の例外を除けば)自分に胃瘻を造設することだけはやめてほしいと思っている。
しかしてめえもたくさん胃瘻患者を作ってしまった。その多くは、自分の意思が表示できない方で、家族がなにがしかの希望を持って強く胃瘻造設を希望されたケースであり、次に多かった理由は、胃瘻造設しないと施設が受け入れしてくれないからだった。自ら希望された方はたった一人だった。
家族が希望されるケースに関しては、現状の認識に問題のある場合が多かった。例えば、胃瘻を作れば元気になって食事がとれるという誤解。もちろんそういう方もいることはいるが、稀であり、ほとんどは亡くなるまで栄養は胃瘻に依存する。もう一つは、誤嚥が減るという誤解。減らないということは証明されているのに。
胃瘻を作らないと施設に入れないというのはいわば常識だが、それはそれで大きな問題だろう。
いずれにせよ問題は医学的な適応を超えてもはや胃瘻が存在していることにある。いまから適応を見直すことは容易ではないと思われるが、せめて不要な胃瘻造設はしないようにしたい。
確定申告の書類を修正した。父の国民健康保険が控除されるとは知らなかった。これで還付金が少し増える。
新しい仕事が始まった。新しい職場、未知の仕事内容、いまだよくわからないローカルルールなどあり全くのアウェイ状態で、非常に疲れた。本当に頭が真っ白状態で、この疲労困憊ぶりは研修医の頃を思い出した。
というわけで、本当に久しぶりにアルコールに手を出した。まったく飲まないとやってられない気分。最近飲む気も起きなかったのは実はストレスがなかったせいなのかもしれないとふと思う。
しばらくは週2日のペースでこの仕事が続く。まったくどうなることやら頭が痛いが、慣れてしまえば問題ないのだろうな、とも思うのでもう少し頑張ってみよう。
2012年02月06日(月) |
一瞬だけ暖かくなって、また冬に戻る。 |
急に、春先のように暖かくなった。いままできりっと冷え切った無味だった空気が、急に色んな匂いを纏い体中を包む。こんなに春の雰囲気をいとおしく感じたのは初めてだ。今年が特に寒いわけではないので、年を取ったために寒さに弱くなっただけなのだろうと思う。この調子だとずっとここに住むのは難しいだろうな。早くも来年の冬をどう過ごそうかと考えている自分と、いずれはまた南国に住もうと考えている自分がいる。はやく本格的に春が来ないかな。
いつものように朝、目を覚ます。父の食事の支度をしたりてめえの用意をしたりなんだかんだと時間は過ぎて、ようやくテレビの前に座ったのがキックオフ直前だった。初めの数プレイだけ見て、タイムアウトとなり仕事に向かった。
帰宅して夕食を作り、スーパーボウルの再放送を初めから見た。最後の不思議なタッチダウンが印象に残る。いつの日か生で見たいものだが、まあ無理だろうな。
2012年02月04日(土) |
ボヘミアン ラプソディ |
数か月前に、友人から「クイーンのCDを貸してほしい」というメールが来た。「意外なことにてめえはクイーン全く持っておりませぬ」と返すととても驚かれた。高校の時からの友人なので、てめえがかつて洋楽狂いだったのを知っているからだろう。
洋楽好きだった父の影響で、てめえは物心ついた時から洋楽ばかり聴いて育った。父の趣味はオーソドックスにビートルズにサイモン&ガーファンクル、そしてCCR。そんな環境だったのでてめえも自然と洋楽中心に音楽を楽しむようになっていた。
はじめはビートルズだった。とはいっても、父が持っていたのは初期の数枚のレコードのみだった。彼は特に「HELP!」が好きだったようで、カセットテープに録音してカーステレオでいつも聴いていた。
そのうち、家にあった数枚のアルバムを繰り返し聞くだけでは物足りなくなってきた。
てめえはひそかに小学生の頃から新聞配達をして小銭を稼いでいたので、貯まったお金でビートルズのアルバムを買い集めた。初めて買ったLPは「イエローサブマリン」だったと思う。なぜこれになったのかはよく覚えていないが、B面が全てインストでとてもがっかりしたことだけはよく覚えている。この頃、アルバムは1枚3200-3600円だった。
始まりはビートルズだったが、そこからいろんなジャンルの音楽に親しむようになるまでに時間はかからなかった。上記のようにレコードはいい値段がしたので、ここぞという時以外は購入もできず、普段はレンタルレコード屋に行きレコードを借り、テープにダビングして楽しむしかなかった。
てめえが中学生に入る前後くらいにCDというメディアが登場し、あっという間にレコードを駆逐した。てめえも稼いだ小銭でCDプレイヤーを購入した。CDの再生機能だけだったが、まあいい値段がした。自宅のステレオに接続して初めてCDで音楽を聴いたときの衝撃は忘れない。レコードと異なり、何の雑音もなくいきなり音楽が始まったからだ。
今思えば、よい時代に巡り合ったのだと思う。CDがあっという間にLPを凌駕したため、CDにとってかわられたレンタルレコード屋のレコードがタダのような値段で売りに出され、てめえはありったけのお金を出してレコードを買い漁った。
ほとんどただのような値段だったのでジャケ買いもたくさんした。音楽が趣味に合わなくてもレコードジャケットをポスター代わりに壁にでも張っておこうと思ったのだが、ジャケットが素晴らしいアルバムはほとんど外れがなかった。そうして出会ったのがキングクリムゾンやピンクフロイドなどだった。
CD全盛期になっても、良い時代は続いた。物品税が廃止になり(代わりに消費税が導入されたが)、CDが安くなり求めやすくなった。そんなわけで、中学生時代は洋楽ばかり聴いていた。
そんな中でてめえが唯一通ってこなかったのが「クイーン」である。全く通ってこなかった。もちろんヒット曲はそれなりに知っている。だが上記の経緯を考えると、てめえがアルバムを一枚も持っていないのはあまりにも不自然だ。
なぜなのかよく考えてみた。到達した結論は「フレディが生理的にダメだ」という何とも言えない結論になってしまった。生理的にダメだったらどうしようもないだろう。
いや、どうしようもないものか。別に明らかに避けてきたわけではない。無意識に通ってこなかったのだ。そう、無意識に。通ってこなかった理由も、よく考えなければ到達できなかったではないか。
というわけで、さっそくベスト盤をレンタルして借りてきた。何とも気乗りがしなかったが通勤途中にしばらく聴いてみることにした。
するとどうしたことだろう。見事にずっぽりとはまってしまったのだ。変幻自在に縦横無尽に駆け巡るフレディのボーカルも素晴らしいし、ブライアンメイのギターも素晴らしい。楽曲も悪くない、というより、世界中で愛されているだけあってとても素晴らしいではないか。なんということでしょう。とんだ食わず嫌いだったわけだ。
そうなのだ。耳だけで聴けば素晴らしいのだ。ということは、「見なければ」良いわけだフレディを。いやそういう問題だろうか。
というわけで、youtubeで「見る」ことにしてみた。いやあ良い時代になったもんだ。てめえが中学生の頃なんて、プロモーションビデオなんてボーリング場で100円を入れてみるもんだったぞ。
というわけで見てみたが、やはりキモい。すがすがしいほどにキモい。突き抜けている。これはこれですごいな。
さて、ボヘミアンラプソディで引っ張ってみる。この曲が何よりも素晴らしい。こんなに素晴らしい曲だとは正直認識していなかった。曲の組み立ても素晴らしいし、縦横無尽なボーカルもギターも素晴らしい。歌詞も一つの物語として不思議なほどに完成している。願わくば、死ぬ瞬間にはこの曲を聴いていたい。そう思わせるくらい大好きになってしまった。
デーモン小暮+森公実子。それぞれは素晴らしいのだが全くマッチしていない。てめえにはデーモンがぶれている(周りにつられそうになっている)ためだからにしか思えないが、いかがでしょうか。
エルトンジョン+アクセル。エルトンも素晴らしいが、願わくば前半もアクセルのボーカルで聴きたかった。アクセルがステージに転がり込んでくる瞬間の映像を見た時には思わず鳥肌が立った。
さて最後は一人クイーン。NY在住のRichie Castellanoさんだが、素晴らしい完コピぶりに感動した。ここまでやられるととても気持ちがよい。
「ボヘミアン・ラプソディー」について(小池 芽生)
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