解放区

2012年11月18日(日) 何も考えずに自炊。

いろいろあってどっと疲れると、何も考えずに無になって行えることをひたすらしたくなる。自炊がこれにばっちり適していて、何も考えずにざくざく裁断して返す刀でスキャンする。スキャン速度も20枚/分なのであっという間に一冊取り込み終了。あとは読みやすいように加工したりする必要もあるがほぼルーチンで行えるので、気が付けば何冊もの作業が進む。この間心は空っぽである。無の境地だ。

本棚の本があまり減っていない気がするが、よく考えれば本棚に収まりきらずに地面や机の上に積み上げられていた本は見事に消えた。このままどんどん本を減らして、空いた本棚を母一家の新居に贈ろう。なんせ母一家は本当に着の身着のままで出てきたので家具を持っていない。持ってこられてもてめえの家に収容できなかったというのもあるし、まあそんなものは買えばよいだけだ。

ローンの審査の結果が全く届かないが、これは大丈夫ということなんだろうな。「ダメなときはすぐに連絡しますよ。まあそんなことは万が一にもないと思いますが…。逆に利子など勉強させてもらえるかもしれません」といっていたが、そうなればありがたい話だ。しんどい仕事ももう少し頑張れそうだ。



2012年11月17日(土) 家を買う。

8月の中頃に母親一家がてめえの家に逃げてきた。再婚相手とうまくいっていなかったのだがとうとう飛び出てきたというわけだ。

そんなわけで、呆けた父と飛び出してきた母親との不思議な同居が始まった。妹と弟もやってきて、おかげで賑やかになってしまった。てめえとしてはありがたいことだ。

当初の計画では、数か月てめえの家に同居してお金をためて、それを敷金礼金にして新たに家を借りようという計画だった。妹の勤務先や弟の通学先の関係から、以前に住んでいた地域の近くで家を探していたが、てめえの家付近のあまりの治安の良さと便利さにこの辺で探す方向に方向転換した。

以前に母親一家が住んでいた地域はてめえも育ったところなので良く知っているが、それはそれは治安も悪くろくでもないところだった。最寄りの駅からの帰りには頭のおかしいシンナー臭漂う若者に意味もなく追いかけられることはしょっちゅうで、近くのラーメン屋の店長が射殺されたり焼肉屋でヤ印の銃撃戦が始まったりと本当にろくでもないところだった。極貧でなければさっさと引越しするレベルで、てめえは大学に進学したことをきっかけにその地を離れ二度と帰ることはなかった。今後もまずないな。てめえの住んでいた公営住宅には生活保護や母子家庭や中国人が住んでいたが、その地域にはそんな公営住宅ばかりだった。

思うに、便利な都会と素朴な田舎の境界地域が最も治安が悪いのではないだろうか。特に京都はそれが顕著で、以前都だった時にはお土居で囲んだ洛中のすぐ外に賎民の住む地域があった。他の大都市はそういった地域が戦争のために地域ごと破壊された例が多いが、京都は空襲にも会わずそのまままるっと残った。そのせいで、京都の場合住所を聞くだけでどういう人なのかすぐにわかってしまう。

弟はてめえの地域に来てからコンビニに行くのが怖くなくなったそうだ。一人で夜で歩いても問題なく、コンビニに頭のおかしい若者も屯っていない。彼の意見が大きく影響し、母親一家はこの辺で家を探し始めた。

ところがこの辺には安くで借りれるアパートがない。団地もない。あるのは築年不詳(少なくとも100年以上)の町屋だが、借りれる値段ではない上にぼろぼろである。数件見に行ったが隙間風びゅーびゅーで大幅に改修しなければ居住は不可能と思われた。

地域を広げて探してみたがいい物件はなく、途方に暮れていたところ、てめえの家の近くに売り物件が出た。家を買うことなど全く想定していなかったが、見に行くときれいに使われており、ローンのシミュレーションも毎月の返済額が賃貸予定のときの約半分と出た。低金利さまさまである。

そんなわけで家を買うことにした。母親は高齢でローンが組めず、妹は働いているとは言えバイトなので信用が全くなく、てめえがローンを組むことになった。仕事を大幅に減らしているてめえには貯金がまるでないのだが職業柄信用は抜群なようで、現在ローンの審査待ちだがまず間違いないだろうと。クソめんどくさいことがたくさんあったが家を買えればすべて吹っ飛びそうだ。



2012年11月16日(金) 裁断機の刃が返ってきた。

研ぎに出した翌々日に、きれいに研いだ形で帰ってきた。さっそく裁断してみたが購入したてのときのような切れ味でもう最高。再びざくざくと裁断を開始した。

ホンダのつづき。もうどうでもよいのだが、要はプラグレンチが使えなかったのだ。プラグ交換のためのカバーを外したのだが、配線などがごちゃごちゃしておりプラグまで手が届かない。てめえもむきになり、工具を駆使してバイクのメットインスペースを剥がしその他の外装を剥ぎ取り何とかプラグにアクセスしようと試みた。ほぼフレームだけの状態になって、やっと手が届くようになったのだがこれ元に戻るのかと我に返った。

さて、やっと手が届く状態になったのだがレンチが回らない。いろいろ悪戦苦闘したがすでに心は折れており、あきらめた。折しも雨まで降ってきており心の中までずぶぬれ状態だ。なんとか元に戻したが今日の一日を返せホンダ。

しかしバイク屋は偉大だな。これだけの仕事を淡々と今までしてくれていたわけだ。てめえならホンダ車は今後お断りにするレベルだが。



2012年11月15日(木) 解散/おいホンダ

昨日の解散の報には驚いたが、まあ遅すぎたのだろうな。クソ民主党に前回の選挙で投票した方々を一人ひとり首を絞めに回りたいくらいの嘘吐きぶりだったが、ようやく年貢を納めるときが来たようだ。

「できるはずがない」マニフェストを堂々と掲げ、ほとんどすべて裏切った。ヒトラーの名言である「嘘は大きい方がよい」という言葉を思い出すわ。本当に腹の立ち続けた3年だった。


こちらに帰ってきてから、父の使用していたバイクをそのままありがたく頂いて使用している。てめえは初めて買ったスズキのバイクと、もらいもののヤマハのバイクを除き今まで乗ってきた二輪車はすべてホンダである。理由はいろいろあるが、とにかくエンジンが強いことが一番だ。どれだけ無茶苦茶に乗っていてもエンジンだけは動き続ける。

以前に自動車整備をしていた友人が「ホンダ車だけは勘弁してほしい。何を考えてるねん、というくらい設計が意味不明で、整備のときに難渋するんや」と言っていたが、今回そのことを実感することになってしまった。

ある日の朝、セルを回してもエンジンがかからなかった。てめえが父からいただいてから約4年、その間1回もバッテリー交換せずにぶんまわし続けたからある意味当然である。僅かな期待を込めてキックでエンジン始動ししばらく近所を走ってみたが、バッテリー様はとうとう逝ってしまった様子だ。

そんなわけで、バッテリー交換をすることにした。ノーマルバッテリーは正規値段が一万円を超えるので、バイク屋に頼むと工賃も含め大変なことになるのは明らかだ。というわけで、てめえで交換することにした。

そんなわけでネットでいろいろ調べたが、とんでもなく安いところがあるではないか。バイク屋に頼むのは誠にあほらしいレベルなので、てめえで購入して交換することにした。

せっかくの機会なので、浮いた予算で工具もそろえていろいろいじってみることにした。

バッテリー交換は楽勝だった。たちまち軽快にセルが回り始めた。ついでにオイル交換も自分でやってみたが、こちらも楽勝。意外と楽しいではないかとバイクいじりにさっそくはまってしまった。

アイドリングが安定しないので、これまた無交換で放置していたプラグの交換をすることにしてみた。これが間違いの始まりだった。「ホンダ」の深闇をはからずものぞき見ることになったわけだ。


プラグはネットでゲット。あまりに安いので、必要もないのに10本入りを購入。どれだけてめえが舞い上がっていたかよくわかるではないか。



続く。



2012年11月14日(水) 今年の目標その後

・京都検定合格

iPhoneにアプリを落として暇な時に勉強をしていたが、今年は試験当日にどうしても避けられない予定が入ってしまったため受験できなくなった。とほほ。また来年の目標にしよう。

・産業医

夏の産業医集中講座は、受付当日の受付開始10分後にウェブサイトにアクセスしたらもう終了していた。なんじゃそりゃ。

冬の講座には受付時間ジャストにアクセスしたらまた終了していた。いったいいつアクセスしたらええねん、と投げやりな気持ちになったが、キャンセル待ちに今回は引っかかり無事申し込むことができた。久し振りの座学なので楽しみだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加