もともと教養のない成り上がり者なので、絵画などの美術関係の趣味はまったくなかった。学校での「美術」は「1」をとったこともあるくらい出来が悪く、高校はお情けで何とか卒業させてもらったようなものだ。著名な絵を見ても、何がよいのか全く分からずに生きてきた。
大学生のころの話。生活のために家庭教師をしていたのだが、その時の教え子の一人が、もともと美術系だったがそっちをあきらめて進学するという子がいた。たいそうできる子で、高校のクラスは理系ではなかったが最終的には医学部に進み、今は医者をしている(はず。国家試験に合格したところまでは知っているがその後は知らん)。
せっかくなので美術の何がよいのか教えてもらおうと思い、受験が終わったら美術館に連れて行ってくれ、そして美術を教えてくれとお願いしていた。
んなわけで受験も無事終了し(徐々に思いだしてきたが、てめえは受験時に学校までついていき控室で最終チェックまでする熱血先生だったわ)、美術館に連れて行ってもらった。その教え子の自宅近くに美術館があった。すっかり忘れてしまったが、著名な画家の展覧会をしていたはずだ。
さすがにいつもと立場が逆転し、てめえは熱心にレクチャーを受けたが全く忘れてしまった。「この色は素晴らしい」「この線はこの人でないと書けない」などと熱心に解説してもらったが「へぇ」程度に終わってしまった。本当に興味がないらしい。むりやり教養をつけるのは無理だと感じた。
そんなてめえだったが、ある日一枚の絵画に邂逅した。フェルメールの「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」だ。この出会いは衝撃だった。残念なことにどこで出会ったのかはすっかり忘れてしまった。
真っ黒な背景に浮かぶ青いターバン。この青さに心を奪われてしまった。「色」が素晴らしいということを、初めて知った。(ちなみにこの日以来、てめえのパソコンのデスクトップは青いターバンの少女である)
それから、フェルメールの絵が来日すれば万難を排して会いに行った。まるで恋に落ちた少年のようだ。
なんとか仕事の都合をつけて沖縄からはるばる会いに行った国立新美術館での「牛乳を注ぐ女」。絵を見るためだけの旅行は生まれて初めてだった。そして初めて生で観た「フェルメールブルー」に感動した。もちろん「青いターバンの少女」のコピーを購入し、額縁に入れて飾っている。
京都に帰ってきてから、娘と観に行った「レースを編む女」。人大杉で小学生の娘は絵を見ることができず、娘を両手で持ち上げたのが懐かしい。
「青いターバンの少女」は、いつかオランダまで会いに行こうと考えていたのだが、マウリッツハイス美術館の改装のために、なんと来日するということになった。これは万難を排しても会いに行かないと。
今回は東京と神戸での展覧会となった。東京まで行くのは難しいので神戸に会いに行くしかないが、以前と違って親父の件などなかなか都合が難しい。
そんなわけで、昨年は都合をつけることができずにあきらめかけていたのだが、急遽いろんな都合がつき、なんとか展覧会終了前の正月明けのこの日に会いに行くことができた。
さすがに1月2日は人がいないだろうと考えていたが、窓口からすごい人だった。入場券はネット購入していたのでてめえはすんなり入場できた。
今回はマウリッツハイス美術館の絵画がまるっと来日していたので、いろんな絵を楽しむことができた。
そしてようやく出会った。正直言葉にならなかった。てめえは長いことその部屋で佇んでいた。
またいつかオランダに会いに行こうと思う。
あけましたよ。おめでとうございます。
・大晦日に父の自家発電を見てしまった。これはトラウマ。突然部屋に入って「あっ」というものではなく、外出の予定があり何度も部屋を出入りしていたところだった。てめえも油断していたが、父の部屋でいろいろ用事を済ませて「そろそろ着替えて出ようか」と言っていったん自分の準備に戻り、「そろそろ行こうか」とノックして扉を開けたら自家発電。しかも恥じる様子もなく、秘蔵の画像を堂々と展開されながら黙々と続行されていたので、てめえは黙って扉を閉めた。一緒に出かける予定だった母が、動揺しているてめえを見て「どうしたの」と尋ねてきたので、隠すことなくありのままをお話しした。「見なくてよかったわ」と悠然と茶を啜る母。しばらくして「行こうか!」と叫んだ父の声が聞こえた。どうでもええわ。
・今年も芋棒に挑戦。大晦日の夕方に近くの店に行くと、海老芋も棒ダラもディスカウントされていたのでようやく作る気になった。去年はどうしたかよく覚えてないが、今年は番茶で棒ダラをしっかり煮たらうまくいった。今後は番茶で作る。
・今年も白みその雑煮に挑戦。本田味噌の白味噌を使って美味しくできたが、次回は普通の白味噌ではなく上等な奴を使ってみたい。今年は上等な利尻昆布を「うそっ」というくらい使ったが、昆布のみだった。それが美味しくできた理由かもしれない。
・年明け直前に除夜の鐘を突きに近所の寺に参ったが、結構人気の寺で整理券を配っていた。てめえが到着した時点で「100」番。こりゃあきりがいいや、などと喜んでいたが、整理券配っていた兄ちゃんが「もうすぐ終わりでしたよ。間に合ってよかったですね」などと言ってきた。どういういことかと聞くと、除夜の鐘だから108人までですわ、と言われた。納得。
ようやく母が引っ越した。今回の「夜逃げ」は身一つで出てきたので、家具をそろえるところから始める必要があった。なんとか最小限の家具も購入したので念願の引越しを行った。といっても寝る場所が移ったにすぎないわけだが。
最近毎日五苓散料を内服している。きっかけは二日酔いなのだが、二日酔いの重い頭と胃をなんとかできないものかと考えて毎朝内服し始めるとあら不思議、きれいに頭重感が消えていった。味もシナモン味で飲みやすい。
そんなわけで、朝起きてからすぐに五苓散料を内服することにした。おかげで毎日快適である。
思わぬ「副作用」もあり。恥ずかしいことにてめえは年季の入った痔主なのだが、これがきれいに治ってしまった。今までの苦しみはなんだったのだろうか。五苓散で治るなんてあまり聞いたことがないが、これこそが「証が合う」と言うやつなのだろうと実感している。
安倍政権が始まり株価は上昇し、円高も解消の方向であり、てめえのポートフォリオもかなり改善した。家を買うに当たり株や投資信託をかなり売り飛ばしたのだが泣きそうだ。まあタイミングと言うものもあるしな。損はしていないのでまあ良しとしよう。
歳を取るといろんなところにガタが来るのを実感するが、腰痛も一進一退を繰り返しなかなかにしぶとい。
腰痛が治らないので母一家の引越しの手伝いができない。ひ弱なてめえとは言え男手が一人足りないのはかなりの痛手になっていて全然捗らないわけだ。
引越しどころか日常生活にも悪影響が出ており。特にトイレが悲惨で、便座に座れるが立てず。パンツを脱げず。すっかりトイレ恐怖症になってしまった。
あまりにしんどくてここ数日はぐったり寝ていた(動く気力なし)のだが、大学時代の友人たちとの忘年会に大阪まで出かけた後から再度悪化した。そんなわけで、恥ずかしながら鍼灸師でもある義弟に相談した。
「そんなときはふくらはぎを揉むのがよいですね」
といわれ、ふくらはぎを念入りにマッサージしてもらうとあら不思議、腰の痛みがまるで魔法のように軽くなった。なんてこった。
軽くなった際に一気に良くしようと考え、近所の銭湯へ。電気風呂やサウナ、高温風呂、泡風呂、などなど一通り試したが、一番良いと思ったのは高温風呂だった。江戸っ子のように熱めの風呂にしっかり入るのが一番良い気がするぞ。
全世界の国家の中で、ソ連〜ロシアのこの国歌が一番好き。かっこいいよなぁ。一時期着メロにしていたくらい好き。作曲者はきっと作曲時に神が降りてきたに違いない。どうでもよくないが、表題は「ロシア国家」となっているが、歌詞はソ連。
ちなみにロシア版
kindleで自炊した書籍が読めない問題だが、どうやら解像度の問題のようだ。正直「なんじゃそら」という気分。何とかしてもらわんとブックリーダーとしての意味はないのではないでしょうか。というわけで、今はもっぱら映画などの動画を観ているのだが、これじゃあ意味ないよな。iPadminiでkindleアプリで読んだ方がましだわ。
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