2014年05月17日(土) |
iTunes match/Jealous guy |
iTunes matchに申し込みをした。申し込み? って言うていいんかどうかわからんけど、契約をした。
てめえのiTunesに入っていた曲は約5000曲だった。そのうち約半分がマッチして、残り半分がクラウドに入った。
正直、このサービスは神である。さっそくてめえのiTunesを入れていないPCにiTunesを入れたら、すぐにてめえの5000曲に及ぶライブラリーが空から降って来た。
おそらく、最も威力を発揮するのはappleが開発したMac book airだと思う。明日届くとのことで、届いたらしばらくセッティングでほかのことが全く手に付かなくなるだろう。
I was dreamin' of the past And my heart was beating fast I began to lose control I began to lose control
昔のことを考えていたんだ 胸の高まりが止まらなかった もうどうにでもなれって気持ちになったのさ いろんなことがどうでもよくなったんだ
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
あなたを傷つけるつもりじゃなかった 泣かせるつもりはなかったんだ あなたを傷つけるつもりじゃなかったんだ てめえはただ、嫉妬深いだけなんだ
I was feeling insecure You might not love me anymore I was shivering inside I was shivering inside
てめえは不安定だったんだ もう愛されていないんじゃないかって ただ怯えて震えていた ただ怯えて震えていた
Oh, I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
I was trying to catch your eyes Thought that you was trying to hide I was swallowing my pain I was swallowing my pain
あなたの気を引きたかった あなたを失ってしまいそうだったから しんどさを我慢していたんだ しんどさを我慢していたんだ
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy, watch out I'm just a jealous guy, look out, babe I'm just a jealous guy
2014年05月16日(金) |
Mac book air/有機農法 |
前から欲しかったMac book airを衝動買いした。
前からずっと欲しかったのだが、夜中にネットサーフィンしててすげえ欲しくなり、おもわずぽちっとしてしまった。もちろん、全く後悔していないぜ。やっほー。
てめえは自宅にデスクトップが1台、ノートが1台、職場にノートが1台と計3台のPCを所有している。加えてタブレットも1台あり、iPhoneもあるので、ネット環境に関しては正直やりたい放題。ちなみにPCは全てDELLである。
昔はデータを共有できなかったので、デスクトップ1台で色々と管理していたのだが、今はクラウドサービスもあり、どの端末で作業していても、別の端末で続きができる。すげえ時代になったものだと思う。
さて。Mac book airを買った。使い道としては主に仕事で、と言うことになると職場に置きっぱなしにしてあるDELLが不要になるわけだ。
そんなわけで、このPCを妹にあげることにした。妹もDELLのPCを愛用していたのだが、残念なことにクラッシュしてしまったのだ。
そんなわけで、PCに入っているあらゆる個人データを消去し、妹には明らかに不要な医学系のプログラムをアンインストールした。OSはVistaだがまだよく動くし、いらないプログラムを消したことで動きも軽くなったので、まだ働いてくれるだろう。
先日後輩を指導していた時のこと。「結局、医学って健康指導に尽きる」と言うことを彼が言いだしたので、結構盛り上がってしまった。
「それでね、さんざん考えたのですが、健康のためにはやっぱ有機野菜かと思って。大○を守る会というところと契約したんですよ」と、彼は言った。
そうか。やっぱりそう思うんだよな。有機栽培が良いというのは誰にでもわかりやすいのだけど、それが健康と結び付くのだろうか。
というのは、有機栽培に関するてめえの二つの疑問があるからである。これが解決されれば、てめえは喜んで有機栽培された野菜を買うだろう。
一つ目。飼料の問題。そもそもその飼料はどこから来たのか? それが動物の糞尿であれば、大きな問題がある。というのは、飼われている多くの動物には、病気を予防するためにあらかじめ抗生物質が投与されていることがあるからだ。
抗生物質は、本来「予防」ではなく「治療」に使われる。例えば、我々は感染症予防のために毎日抗生物質を内服するか? しないわな。仮にしたらどうなるか? 副作用が出る危険性はもちろんある以上に、体内で耐性菌を育てるということになりはしないか。もちろんなるだろう。抗生剤の効かない細菌を体内で育ててしまう以上に、毎日糞便に代謝され損ねた抗生剤が多量に含まれる。
耐性菌と、抗生剤を含んだ「有機肥料」で育った野菜、食べたいですか。
二つ目。「永田農法」というものがある。トマトが有名だが、要は原産地に近い環境で育てると最も栄養価が高くなる、というものである。
トマトの原産地はアンデスである。アンデスは高地にあり、雨もほとんど降らない。結構厳しい環境である。
そこで、永田はアンデスと同じような環境でトマトを育ててみた。日本は高温多湿なので、水分を絶つためにビニールハウスでトマトを栽培した。土壌は敢えて痩せさせて、萎れてきたら少しだけの化学肥料を与えた。
その結果出来たトマトは、非常に旨く、かつ栄養価が非常に高かった。つまり栄養としての効果を求めるだけであれば、化学肥料を少量だけ使った永田農法の方が良かったのだ。しかも抗生剤の問題も全くない。
そんなわけで、てめえは「有機栽培」と聞くとむしろ上記の問題を考えてしまうのだ。まあ後輩にはそんなことは言わなかったけど。そして、世の中には耳触りのいい言葉を並べて人を騙す人もたくさんいる。
そんなことを言うと、結局自分で作らないとあかんようになるんやけどな。
なので、てめえとしては、どこまで本当なのかどうか怪しいものよりは、より確実なものを選びたい。つまり、ホンマに健康的なのかどうかわからん有機栽培よりは、明らかに健康に効果のあるω3系とか。
そんなわけで、後輩には「有機栽培もええけど、もしかするとさらに健康に関連するかもしれない脂質に目を向けてみてはどうだろうか」とω3系について熱く語った。彼は「蒙が啓いた。嫁と相談して、エゴマ油買います」と言った。
2014年05月14日(水) |
沖縄に癒される。その2 |
本搾りのライムを箱買いした。笑
南風原(はえばる)で仕事をしていた時の話。出張の予定があり、その日のうちには飛行機で東京に向かわなければなかったのだが、仕事が一向に終わらなかったのだ。
なんとか仕事を終えて、職場の前でタクシーを拾った。空港まで、お願いしましょうね、と言ったてめえに、タクシーの運転手は親しげに話しかけてきた。
ゆっくりと運転しながら会話を楽しむ運転手に少しいらいらしながら、でもここは沖縄だしな、などとてめえはあきらめた。幸い渋滞はなかったので、ゆっくり運転してもまだ時間に余裕があるように思えた。
のんびりと話しかけてきていた運転手は、突然「お客さん、やんばる(沖縄北部)の人ね?」と言った。イントネーションがやんばるやっさー、と彼は言った。
5年間沖縄に住んで、なんとてめえは喋り方までやんばるの人になったのだ、そもそもやんばる面(じらー)やいびーん、と深い感慨を覚えたのを思い出した。
というわけで(でもないが)、最近「じゅん選手」にがっぽりはまってしまった。この人面白過ぎだが、沖縄の人以外には全く理解されないだろうと思う。
方言講座と言いながら、沖縄の言葉を少しでも理解していない人には全く分からないと思われる。しかしてめえのように少しでも齧っている人は爆笑必至。
方言講座その2。
このコントは正直深い。「戦争が終わったことを知らなかったのか?」と言う問いは正直唐突だが、「(戦争が終わったのに)なんでアメリカのヘリが(沖縄の空を)飛んでるのか?」という言葉は正直心に突き刺さった。
南の島で働き始めた、その年だったと思う。近くの島から急病での緊急搬送が入った。幸い日中だったので、フェリーで搬送するとのこと。これが夜間だと自衛隊のヘリコプターを依頼することになる。
てめえも自衛隊のヘリコプターに乗り込んだことがあるが、なかなか酷い体験だった。よく映画などで、ベトナム戦争などのヘリコプターシーンを見ることがある。とんでもない爆音と振動で会話などは到底無理、しかしスピードは素晴らしい。そりゃあそうで、基本的には患者搬送のための乗り物ではなく、屈強な兵士を乗せて戦場に向かうための乗り物なのだから。
ヘリに乗せた患者の体はぶるぶると振動し、気が付くと点滴の針が血管から外れていた。てめえはヘリの中で血管内再留置を試みたが、あれは絶対に無理。
まあそんなことはどうでもよい。
しばらくして、島の医者の紹介状と共に患者が到着した。紹介状の最後には「この方はウチナーグチ(沖縄言葉)しかしゃべれません。大変申し訳ありませんが、何卒宜しくお願いします」と書いてあった。
さすがにそれは言い過ぎやろ。この平成の世の中で、標準語が理解できない人が日本にいるはずがない。そう思ったてめえは甘かった。そう、理解できない人が日本にいたのだ。
その患者さんにはいくら病状を尋ねてもまったく埒が明かず、てめえはベテランの看護婦さんに通訳をお願いした。いつもてめえとは全く違和感のない標準語で話をしていたその看護婦さんは、少し恥ずかしそうに、しかしとても美しい沖縄の言葉で患者さんと会話をした。
沖縄の言葉を聞くと、その言葉しか話せず京都で死んだ祖母と、驚いたり怒ったときに言語が変わる母を思い出す。そして、そのイントネーションを聞くとまるで母の胎内にいたときのように安堵するのだ。
日本人が作って沖縄人が応えた名曲。夏川りみの歌声はどこまでも美しいと思う。
元の歌。この歌詞をしっかり読み砕いて、てめえはまた涙が止まらなかった。
今日はだらだら書く。
「沖縄戦」はよく知られている通り悲惨だった。今でも沖縄には、戦争の爪跡がたくさん残っている。しかしそこに住む人々は、それを全て忘れたかのように日々笑って暮らす。
しかし、忘れているわけではないのだ。ただどうしようもなかった。そして、加害者は明らかにアメリカである。日本ではない。そして戦争が終わった後も、加害者であるアメリカに占領され凌辱され続けた。沖縄が日本に戻ったのは1972年のことである。
明治維新以降、日本は三つの国と地域を日本に編入した(これはよく誤解されているが、植民地ではなく編入である)。
1879年(明治12年)、琉球王国は沖縄県として日本に編入された。 1895年(明治28年)、清は日清戦争に負けたことにより、台湾を日本に割譲した。 1910年(明治43年)、大韓帝国は日本との併合を選んだ。日本が戦争で無理やり植民地にしたわけではなく(日本は韓国と戦争したことはない)、韓国の首相自ら併合に調印した。
この三地域は、第二次世界大戦後に対照的な「その後」を歩む。ちなみにこの中で、形式的にでも望んで日本になったのは「大韓帝国」のみである。
戦争中に被害を受けた地域は、この中では沖縄だけである。朝鮮も台湾も戦禍に巻き込まれることはなかった。しかも両国とも戦争が終わる直前まで徴兵制はなかった。つまり、戦争が終わるまで両国とも平和だったのだ。日本が空襲を受けているその時も、両国ともに平和だった。
沖縄はそうではなく、むしろ戦争の最も悲惨な被害を受けた。沖縄戦によって、その人口の1/3は戦死した。てめえも彼の地で働いていたときに、家族歴に「戦死」が多かったことを忘れない。しつこいが、台湾と朝鮮はその地で戦死した人はほとんどいない。
戦争が終わり、三地域は対照的な「その後」を歩んだ。
「沖縄」は、アメリカ占領下になった。アメリカは、インフラ整備を行い教育制度を整えた日本とは異なり、沖縄に何もしなかった。というより、ほぼ略奪しかせず、本当の「植民地」扱いをした。なので、今でも沖縄人はアメリカが大嫌いであり、占領時代に最も反米であった沖縄大衆党や共産党が未だに強い。アメリカは、沖縄を「琉球」として独立させるつもりだったという話もある。しかし沖縄の人々は日本に戻ることを選択した。日本が祖国だという選択をしたのだ。
「朝鮮」は、日本ではなくなった。ただし元の国はない(てめえが望んで日本と合併した)のでほぼ無政府状態になり、結果として南北に分かれた。てめえから望んで日本に加えてもらい、日本にインフラ整備をしてもらい、戦争の時に徴兵もされず戦禍に巻き込まれることもなかったこの国が、日本を嫌う理由が一つも理解できない。理解できない理由がわからない人は沖縄を参照しなさい。沖縄戦のような悲惨な戦場が彼の地にあったのか? むしろてめえは、この三地域の中で唯一反日である理由が知りたいと思う。(てめえが思うに、単にプライドが高かっただけなのだろう)
「台湾」は中華民国に戻った。ただしその「中華民国」はすぐに共産党との内戦に敗れ、南京にあった政府が台北に逃げた。国民党政府は、日本が整備したインフラを破壊し教育をズタズタにした。結果として、元から台湾に住んでいる人々は、中国人が嫌いで日本人が好きである。至極まっとうな思考回路である。
沖縄には、今も悲惨な戦跡がたくさん残っている。しかしそんな戦跡は朝鮮や台湾にはない。もっとも悲惨な歴史を刻んだ沖縄が日本に残り、そうでない二国は反日国家と親日国家に分かれた。いろんな事情があるとは思うが、歴史がその後を証明してくれるだろうと思う。
休日は、天気が良くててめえの体調が良かったら時間を見つけて親父と散歩に出る。しかしこれが意外と厄介事なのだ。
もともと呆ける前から「健康病」の患者だった親父は、とにかく時間のある限り体を動かさないと気が済まない。彼が最も好むのは走ることだが、さすがに走って心臓を止めた経歴があるのでドクターストップがかかっている。
そんなわけで、彼と散歩する。もともとマラソンが好きな人なので結構な距離を歩くのだが、それはまあ仕方がない。
問題は、彼そのものにある。呆けてしまいエロくなった彼は、道端ですれ違う女性にまで手を出そうとする。
それも、とてもさりげないのだ。すれ違う瞬間にさわっと触る。触られた女性は、あまりにさりげないので一瞬振り返った後、首を傾げる。振り返ったところにいる男性は明らかに老齢で、振り返ることもなく真っ直ぐ歩き続けているからだ。
そして彼女は思うだろう。「たまたま散歩中の男性の手が当たっただけ」だと。そして自分を納得させ、その後そういった出来事があったこと自体を忘れるだろう。
はじめはてめえも「たまたま」なんだろうと思っていたが、たび重なるうちにこれはたまたまではないということに気が付いた。
もちろん、本人を問い詰めても意味がなかった。「覚えていない」のだ。自分のしたことを。
これ以降、てめえは親父と散歩に行くということ、と言うよりは、この人を外出されるということ自体に否定的になった。これは、明らかに往来を堂々と歩いてはいけない人だと。
なぜ自分がそう思うか、それも含めててめえは滔々と親父に説明した。「だから、散歩には一緒に行きたくない」と。親父はうなだれて聞いていたが、この人は短期記憶が障害されていたのだ。
30分後には「おい、散歩行こうぜ」と親父の大きな声が響いた。なぜ散歩に行けないのか、と言うことをもう忘れたのだ。てめえは絶望した。この人は命が助かって、果たして良かったのだろうか?
今日も彼と散歩に行った。あれから、いろいろ考えてできるだけ人とすれ違わないルートを開発した。それでも無人の街を歩くわけではないので、こっちも色々と気を使う。例えば、女性が前から歩いてきたら、手を伸ばしても絶対に届かないルートを選ぶとか、彼の気を逸らす話題を振るとか。ずっと気が張ったままなので、散歩の後はぐったりと疲れる。体力的にではなく、精神的に。
そうして彼と延々と歩く。空には雲ひとつなく、今日は散歩日和であった。「えっと、今の仕事は学校の先生だっけ?」などと見当違いのことを言ってくるが、適当にかわす。
「もう桜は咲いたやろか?」 「こないだ見に行ったような気がするが」 と五月とは思えないような会話をするが、彼は楽しそうなのでまあいいだろうと思う。
こうなってしまったのも、彼が突然心停止したからだ。彼が心停止しなかったら、てめえは今でも南の島で激務に苦しんでいただろう。
事実、親父が倒れた翌年の人事もすべて決まっていたし、てめえは南の島を離れる気は全くなかった。親父が倒れることがなかったら、てめえは今京都にいないだろうと思う。
今まで生きていて、生きていると逆らうことのできない「大きな流れ」があると実感する。自分の選択とは無関係な、いわば避けることのできない大きな出来事。
てめえが南の島に行ったのは、明らかに自分の選択だった。しかし京都に帰ることになったのは、この「大きな流れ」があったのだと思う。
もちろん、それを避けることもできただろう。親父が倒れたにもかかわらず、仕事の多忙や職場の事情を言い訳にして、南の島に残ることも不可能ではなかった。
しかし、てめえはこれは「京都に帰れ」ということなのだろうと思った。そして、そういう「天命」というか、大きな流れには逆らわない方が良いと思った。
呆けた親父と散歩していて、京都に帰って来た時のことを思い出した。
人生にはいろんな出来事があって、出会いも別れもあって、その中にはおそらく必然的なものがあるのだろうと思う。てめえが今京都にいることも含めて。そして京都に帰ってくることで、新たな友人もできたしありえないような出会いもあった。
そういった、人生の「流れ」みたいなものがあるのだろうと思うが、てめえはそれに逆らうのではなく自然に受け入れるよう生きていきたいと思う。それがてめえの「性」だとおもうのだ。
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