日々是迷々之記
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2004年05月10日(月) 大掃除の極意

日曜日は天気が悪かったのでパソコン部屋の掃除をした。やることは床からモノをどかすこと。これに尽きる。

古雑誌をくくり、印刷に失敗した紙をリサイクル箱に入れ、家計簿に記入し終わったレシートをゴミバコに入れ、苦節半日。やっと部屋は歩いてもつまづかないようになった。

パソコン関係の片づけをするといつも感じるのだが、ソフトの箱や、パソコンの箱、雑誌の付録のディスク類はどういうタイミングで捨てるべきなのだろうか。いらんやろうと思いつつも、箱は何かを送るときに使えそうだし、大昔のフロッピーディスクだってフォーマットすれば使えるし、と思うとなかなか捨てられない。が、そんなことを言っているとゴミ屋敷必死なので、いつかは捨てないといけないのだろうが。

今回、痛感したのが「掃除中に雑誌類や、写真に見入ってはいけない。」ということだ。大昔の雑誌やら、旅行に行った時に撮影して現像したっきりあんまり見ていない写真、それに大昔のCD。そんなものに気を取られて半日もかかってしまったのだ。とほほ。

何だかんだで部屋は妙にすっきりしてしまった。結局出したモノを戻さない、横のモノを縦にもしないのが問題だったようである。まだ交換していない当たりの宝くじ(100円&300円)も発掘できたし、まぁよかった。

問題はくくった古雑誌をどうやってマンションのリサイクル置き場に持っていくかである。雑誌3種類が4年分…。


2004年05月09日(日) 正しさの意味

部屋の片づけをしながら、「情熱大陸」→「世界遺産」を続けて見た。「世界遺産」ではレッドウッドの森をアメリカの高度成長期にばっさばっさと切り倒していたが、今はその尊さに気づき、保存に力を入れているようなことを言っていた。一本の大木から20軒家が建ち、その幹は水に浸っても腐敗しないらしい。

その時は正しいと思ってやるけども、後に、やっぱ間違ってました。アハハハハ!という感じで手のひらを返したように反対のことをする。何だかとてもアメリカンな感じがした。多分、今やっていることだって、私がババアになるころには「2004年当時、アメリカ合衆国は民主主義という名の下に…」というように批判されているような気がする。

国家と個人というのはどういう関係なのだろうか?一昨年、カヌーつながりでカリフォルニアに住むカヌー好きの人を訪ねた。行ってみると小綺麗な家に大きなガレージ。ガレージの中には車に、バイクにカヌーにと、ちょぼくさいウサギ小屋にごっつい家賃を払ってモノを押し込んでいる日本人にはよだれものだった。彼らはドイツから移民してきたとのことで、いわゆるアメリカンな感じはしない。家のインテリアもドイツ風、食事もドイツ風なようで招かれた私たちは、彼らがドイツから購入したというドイツの地ビールをふるまわれ、カリフォルニアなのにドイツ風のもてなしを受けた。そのビールは、バドワイザーやクアーズなどの水のように飲めてしまうビールとは明らかに違っていた。

話ついでに例の911テロについてさりげなく聞いてみた。すると、「あれは国家がやっていることだから。」というような感じであまり実感として何かを感じているというような雰囲気はなかった。実際にそんなものかもしれない。カリフォルニアとニューヨークはあまりにも遠く、彼らは合衆国国民でありながらも、家族内ではドイツ語で会話をしている。

「国民」っていう人は本当はいないのかもしれない。「みんな」という人がいないのと同様に。子供の時のよくある言い訳で「だってみんなやってるもん!」というと、親や先生に「みんなって誰よ?」と突っ込まれて口ごもった、そんな記憶が蘇る。

もう20年近く前のアルバムだが、ジョン・クーガー・メレンキャンプという人の「スケアクロウ」というアルバムを今日、久しぶりに聴いた。私が洋楽を聴き始めたのは中学生になったころで、そのころ買ったCDである。当時は英語なんか全然分からなかったので、多分ノリで聞いていたと思うが、今聞くと重い。「正義と独立/Justice and Independence」、「フェイスオブザネイション/Face of the Nation」など、20年前からアメリカはこういう国やったんやと思わせるものがある。

Face of the Nation より
「国家はくるくると顔を変え、どれが本当の顔なのかわからない。たくさんの人がやりきれない気持ちを抱えながら、破れた希望に言葉を失う。次はきっと今よりましさと何につけても言われるが…。」

いやー、今日は何だか真面目だなぁ。


2004年05月08日(土) 生まれ出づる悩み

先日、自分でアロハシャツを作れる本を購入した。その本はハワイのちょっとゆるめな空気が伝わってくるわくわくする本だった。あっちのビーチガール(サーフィンとか海方面の遊びが好きな女の子)は、自分の着たい服を自分で作ってしまう、それをご紹介します!という本だ。

ご丁寧に型紙も付いていて、私は半ば本当に作ろうかなぁと思いつつ読み進めていった。が、予想はしていたが、ショックを受けた。できあがりの寸法が記載されているのだが、ものによっては「Mサイズ バスト80センチ」とか書いてある。できあがりで80センチって、体そのものは75センチとかなんだろうか?いくらなんでもそんなに細くないと思うのだが。

手元にあるリーバイスのアロハの寸法を測ってみるとバスト部分は110センチくらいあった。これくらい余裕がないと風が通らなくて暑苦しいのだが、本に付いている型紙を1.4倍に拡大コピーして作ればそれでいいんだろうか?いや、多分よくない。首周りとか、袖丈は別に1.4倍でなくてもいいのでまずいだろう。

最近の洋服は同じブランドでも年々小さくなっているような気がする。気をつけして立っている時ならまだしも、日常生活では自転車に乗ることもしゃがむことも腕を上にあげることもあるのに、そういうふうに動くと、背中やら、下着やら、お腹の脇部分やらが露出してしまう。まぁ、そういうものがはみでていても、全く気にせずしゃがみ込んでいる女の子もけっこういるのでこれも時代の流れか。

日本は何でも手に入る豊かな国だと言われているが、嗜好の関わる部分に関しては選択の幅が無いに等しいと思う。流行っていないものが好きな人にはかなりつらい。ローライズのGパンが流行れば全部それ。黒の美脚パンツブームでパンツは全部ストレッチで脚のラインを意識したモノばかり。「普通のチノパン」のようなものは見かけない。

ついでに、ミニバンが流行るとそこら中ミニバンだらけになり、折りたたみ自転車が流行ると交差点はギア無しの廉価版折りたたみ自転車ばかり。小径車ほどギアは必須だと思うのだが。

音楽にしても洋楽のアルバムで店頭を飾っているのはラップ系ばかりだ。ネットラジオでいいなぁと思った曲をiTunesStoreで探して試聴していざ買う段になってレコード屋に行ってもまず見つからない。結局Amazon.co.jpで買うか、30秒の試聴でうううっと身もだえしてお茶を濁している。

そんなこんなで、ちょっとへたったアロハを着て、よたよたのジーンズを履き、昔の音楽を聴いている。みんなそんなに好きなモノが他人と一致するのかなとギモンに思いつつ。


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