日々是迷々之記
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2004年05月20日(木) |
輸入CD規制ふたたび |
先日の輸入CD規制問題の日記を書いた後、とてもくらい気持ちになってしまった。私はアメリカのシンプソンズというアニメが好きで、カナダに住んでいたときはとにかく見つけたらビデオを買っていた。帰国後はせこせこと大型ショップで見かけたら買うようにしていた。DVDだけでなく、本、まんが、サウンドトラックも持っている。
が、サウンドトラックは日本盤がないようで、たいていアマゾンで購入している。もし、悪夢が正夢になってしまえば、こういう一般受けしないようなモノは手に入りにくくなるだろう。
そこで、ふと考えたのだが、日本に住んでいる外国人のひとたちはどう思っているのだろうか。おそらく食料品店兼よろづ屋のようなところで、お店の人が自国で買ってきたCDを買ったりしているような気がする。(海外の日本人がそうやって日本人歌手のCDを買っているように。)今の輸入CD規制の方針のままならそういう音楽も日本にやってこれなくなるだろう。
これはある意味文化の鎖国ではないだろうか。こういう法規制を思いつく人はきっと音楽なんかどうでもいいと思う種類の人だと感じる。車椅子の人のためのトイレが和式だったりと、世の中のいろんなものが、本当にそれを必要な人のために作られていないのと同じように、音楽なんかどうでもいい人たちが音楽を規制しようとしている。
鬱だ。 これが現実にならないことを祈る。
朝の番組で言っていたが、輸入CDが規制されるとかされないとか。
調べてみたらこんな感じであった。いやはや。↓ http://sound.jp/stop-rev-crlaw/index.html
最初はアジア諸国で生産され販売されている日本の歌手のCDを輸入販売するのを規制するつもりだったらしいが、具体的に「○○(国名)からの輸入販売を禁じる」とは書きにくいらしい。で、輸入CDはぜーんぶ禁止にすればいいじゃん!という流れが現在のところのようだ。
救いは、規制されるのは日本版が発売されているものだけらしいので、日本語の歌詞カードとライナーノーツを1500円とかで買っていると思えばいいのかもしれない。(別にいらんけど)でも、だからといって輸入CDショップが今以上に日本で市販されていないけどいいアルバムを発掘するのにがんばるとも思えない。結果、輸入CDは風前の灯火になってしまうと想像する。
目的は日本で正規に販売しているアルバムの売り上げが落ちているからで、その原因はアジアからの輸入盤が安くで売っているからだ!というのが言い分だ。
でも、本当にそうなんだろうか。アルバムの売り上げが落ちているのは、やっぱレンタルCDのせいだと思うのだけれど。近所の某ツ○ヤに土曜日の昼なんかに行くと、若者達がマキシシングルを大量に抱えて貸し出し手続きの列に並んでいる。
ふと思ったのだが、極端かもしれないがノートパソコンにiTunesをインストールして、ツ○ヤに出向き、当日返却でCDを借り、店を出たところでそのへんにしゃがみこんでパソコンを起動させ、借りたCDを全部読み込ませればそれで事は足りるのではないだろうか。
確かに思い入れが無ければそれで十分なんだと思う。でもやっぱり好きなら買うと思う。思い入れを持って聴いてもらえるような音楽、アルバムを作ることに注力する方がいいのではないか。ファイル交換を規制して、輸入CDを規制して、そしてレンタルCDを規制すれば、一昔前みたいにミリオン連発となると思ったらそれは甘すぎるのではないか。
というわけでどうも気持ちが暗い。自分が全然関心のない歌手の人ら(CCCDで出すようなせっぱ詰まってる方々)を守るために、好きな音楽を聴けなくなるのは面白くない。日本で封切りされていない(されても全然だめだった)映画のサントラ、テレビアニメのイメージアルバムなんかはかなり買いにくくなるだろう。
もっとも、私がこのことでどよんとしていても、世間は長者番付(高額納税者発表)の話題で持ちきりだったので、世の中の大多数の人にとって輸入CD規制なんてどうでもいいのかもしれない。
2004年05月15日(土) |
女が男に望むもの、男が女に望むもの |
それらは根本的に食い違ってるのではないかと強く思った。
夕方、近所の店でタコヤキを買い、家に帰るとテレビではバレーボールと野球ばっかりで私の好きな関西風味こてこての番組はやっていなかった。(もともとゴールデンではあまりやっていないのだが。)
ので、「セルマ&ルイーズ」のDVDを見ることにした。私はこの映画が何故か好きで、時折見ている。1991年の作品なので初めて見たのは二十歳前後の頃だと思うが、三十歳過ぎて見るとまた感じが違う。リアルなのだ。
日常生活にどっぷりの中年主婦。だんなが遅刻したらあかんと思い、キッチンから「遅れるわよー。」と声をかける。すると機嫌の悪そうなダンナがぶつくさ言いながら起きてくる。「朝から叫ぶな。」と言う。彼女は黙ってコーヒーを入れるがダンナにノーサンキューと言われ自分で飲む。
どっちも悪気があるわけではないのだが、いまいち噛み合わない。リアルだ。そして彼女は親友(未婚)と一緒に2泊の予定で山荘にドライブに行く。その道中になんだかんだと起こるのだが、ねたばれになってしまうので大まかな物語は記さない。
親友の運転する66年型サンダーバード・コンバーチブルでドライブ。トイレ休憩でバーに行き、注文するのは彼女がワイルドターキーをストレートで、親友がマルガリータとチェイサーにクエルボ(テキーラ)のストレート。
日本的に考えれば、非常識な中年女が調子に乗ってるってことになるんだろうが、しつこく声をかけてくる男に「大事な話をしてるから、放っておいて。」と鼻先にタバコのけむりを吹きかけるシーンはかっこいい。まぁ、これは主婦をジーナ・ディヴィス、親友をスーザン・サランドンが演じているのでよく見えるというのもあるだろう。
そこからある事件が起き、芋蔓式に二人は犯罪を重ねてしまうのだが、この二人は本当に悪いのかなぁと思ってしまう。よろよろとバカな男が出てきて余計なことをするから…ではないのか。この映画に出てくる男はみな単純だ。その場のことしか考えていない。その反面、表には出さないが、女達はもっと深いモノを求めているようだった。そして最後は自分の生き方を貫くために、究極の選択をせざるを得なくなってしまうのだ。
この映画はキャスティングもつぼにはまっている。先述のバーのシーンでは懐かしのチャーリー・セクストンが生でライブをやっているし(今彼はどうしているのだろう)、バカ男の一人はブラッド・ピットである。あの顔であの体、んで女たらしでせこい犯罪を重ねているという設定なのだが、とてもツボにはまっている。10分くらいしか出て来ないのだが、印象は強烈で、この映画をきっかけにブレイクして、この映画の次は「リバー・ランズ・スルー・イット」に抜擢されたようだ。
そんなわけでリドリー・スコット監督のうらばなしを含む映像特典まで見てしまって、3時間以上、この「セルマ&ルイーズ」の世界にどっぷりとはまりこんでしまった土曜日の夜なのであった。
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