日々是迷々之記
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2004年07月12日(月) 料理の道と親の愛

今日のお昼ゴハンの話題は「お料理教室について」であった。未婚の女子は結構お料理教室に行っているらしく、興味深い話をたくさん訊くことができた。

彼女は炊き込みごはんと薄切り肉に野菜を巻いて焼いたもの、おみそ汁を作ったらしいが、家で再現することはできなかったらしい。どうしてと聞いてみてちょっとびっくりした。作業する課程で、分業制になっているらしい。つまり、私野菜切る人、あなた肉焼く人といったようになっているようだ。彼女はつけあわせのキャベツを切る係で、ずっと切っていたらしい。それもほとんど初めてだったので爪をけずりながらだったとのこと。

「マニキュアどころか、爪までけずっちゃいました…。」とちょっと悲しそうだった。悲しいけれど主婦の生活とはこんなもんだ。いくらネイルケアをしてきれいにしていようが、米を研ぐだけでマニキュアははがれ、包丁でいらんもんまで切ってしまう。そのうち手のことなんて気にしなくなって、指毛ボーボーになってしまうのだ。(ちょっと極端か)

更なる悲劇は、薄切り肉が意外なまでに縮んでしまったことだ。できあがった肉巻きは人差し指くらいしかなくて、一人あたりそれ1本じゃおかずが足らず、お母さんが別のおかずを作ってくれたそうだ。

おみそ汁に至っては、普段だしを取る習慣がないけれど、敢えて削った鰹節のパックを買ってきて入れたら、味がしなかったそうだ。6人家族のおみそ汁にかつおパック1個じゃそりゃ足らないやろと、思うけれど、彼女にしてみればどれくらい入れていいやら見当が付かなかったのだろう。

「お料理って大変やなぁと思いました。」としんみりと彼女は言った。私はいつもの癖で、「そんなん慣れや。」と言いそうになったが、押さえてうまい言葉を探した。そして、マーボー豆腐の素なんかを使えば、作り方も書いてあるし、まずまず美味しくはできるよ、と言った。

すると彼女は「煮物って作ってみたいんですよね。」と言うのだった。

煮物。煮物である。高野豆腐とか、魚の煮物なら特に考えなくてもできる簡単メニューの筆頭だと思っているので、彼女にそれを告げるとびっくりしていた。何かマニアック?なことをしなくてはいけないと思っていたようだ。

そもそも、人はどうやって料理を覚えるのだろう。私の場合は、中学生のときに母親が家事を放棄してしまったのでしょうがなくやることにした。そこまで行かなくても、一人暮らしがきっかけになったりと、要は必要に迫られて、というパターンが多いようだ。

でも今は親御さんが至れり尽くせりな家が多いみたいなので、なかなか料理を覚えにくい環境だと思う。30歳オーバー、自宅通いでお母さんがお弁当を作ってくれるとか、アイロンをかけてくれるとかはそんなに珍しいことでもない。私は今までそういう人をバカにしていたが、よく考えるとそれは友好的な親子関係の賜物なのだ。そういう優しい関係を作り上げたのは本人同士の努力である。

今も昔も不満が多いくせに人に何かを頼むのがめんどくさい私は、母親とこんな会話をした。
私「おかあはん、お弁当にごはんとししゃもだけ、っていうのやめてーや。」
母「お母さんも眠いねん。いややったら自分でやりや。」
私「ほな自分でやるわ。」(実話)
こうして13歳の春に母親は弁当作りを放棄した。

「優しい親御さんの家庭に育つと料理ができなくて、殺伐とした家庭に育つと料理がそこそこできるようになる。」なんか、救いのないまとめだなぁ。


2004年07月11日(日) 毎日の勤労と体の関係

金曜日に定時で会社を飛び出して美容院に行った。ショートカットのくせに2ヶ月に1回しかカットに行かないので、ムッシュかまやつ風のヘアスタイルでここ最近過ごしていた。ところが、湿気が多いとまさにムッシュ全開だもんで、意を決して切りに行くことにしたのだ。

さっぱりとカットをしたあと、アシスタントの女性が肩をもんでくれるのだが、「あいかわらず、堅いですね。しんどくないですか?」と訊かれてしまった。100均の肩もみ棒みたいなものでもみもみしていたのだが、そんなに効果は上がっていないようだった。

翌日、朝起きたら体が重い。でも今日はバイク屋に行って、晩は飲み会なのでよろよろとフトンから抜け出し、一日を始める。雨が降ったりやんだりする中を地下鉄でバイク屋へ行った。

このころからちょっとやばかった。私は空調に弱い。ストーブ、こたつ、扇風機なんかは平気だが、エアコンというのが苦手なのだ。カキーンと冷えた地下鉄の中で私は微妙に腸が動くのを感じていた。

でも、バイク屋にはエアコンがほとんど効いてなかったので大丈夫。問題はそこからだんなさんの車でモスバーガーに行ったときだった。これが寒かったのである。しかもアイスティーなぞを頼んでしまったからたまらない。うひゃー、暑かった。のど乾いたねーと言いつつごぶごぶ飲む。食べ終わって車に乗る。すると車の中は蒸し風呂状態なのでエアコンを効かせる。突如、胃袋の中でお坊さんががんがん鐘を打ち鳴らすような衝撃が来た。

た、助けてくれ…。私は死にかけ5秒前だ。「ちびまる子ちゃん」でまる子が必死に尿意を我慢する場面を思い出す。が、「まる子は尿意だけど、あたしゃその上行ってるんだよ。トホホ」というつぶやきが漏れる。やばい、腹の中のお坊さんは木魚も鐘も打ち鳴らし、腸の中が酸欠ライブハウス状態だ。

私は意を決して、だんなさんにトイレに行きたいから車を止めてくれと告げた。が、土曜日の昼下がりの大阪駅近辺。地獄のように車が混んでいる。目前のヒルトンホテルのトイレが希望だが、ヒルトンの回りは違法駐車花盛りだ。だからと言って、はらいたくらいでホテルの1時間1500円の駐車場などに入れる気もないのが事実。

手前の信号で車が止まったとき、私はうおー!とリアルにつぶやきながら、小走りでヒルトンホテルのトイレに駆け込んだ。結果は良好。あー、ヨカッタヨカッタと全てを忘れたように外へ出ると車が見つからない。や、やばい。だんなさんの携帯電話にかけるとちょっと離れたビルのところに駐車しているという。私は魂が抜けたような体を引きづって、車に到着した。

大丈夫?と訊かれて、まあねと答えたものの、実は微妙にお坊さんが息を吹き返して来つつあった。そしてふたたび訪れるビッグ・ウェイヴ。うぐぐ、区役所の横の公園に公衆トイレがあるから停めて欲しい…と息も絶え絶えに訴えた。が、区役所の横の公園の横は消防署でとても路上駐車はできそうになかった。100メートル先のライフの駐車場に滑り込む。ラッキーなことに10台分しかない駐車場は空いていた。私は走りたいが走れない、腸の様子をうかがいながら、フランケンシュタインの如くゆらゆらゆれながら、でも急いでトイレに向かった。

ふう。

今回もぎりぎり大丈夫。実は最近土曜日になるとこうやっておなかの調子が悪くなることが多い。最初は単なる寝冷えだと思っていたのだが、実は平日は便秘状態が続き、土曜日になるとぼーっとしているので、それが解消される。そこに暴飲暴食とかエアコンで冷やされるとかが重なると、今回のような惨事につながるようなのだ。

仕事は体にわるいのだろうか?実はそんなに仕事に集中しているわけでもなく、昼食後は決まって半分眠りながら仕事をしている。最近はエスタロンモカという眠くならない錠剤を飲んだりするところまで行っている。

データを消失させて死に体になったり、なかなかうまくいかない海外の代理店との意思の疎通にいらいらしたり、昼休みに振り込みに行ったら昼食は抜きだなぁとか、そんなことばっかりに気持ちが持って行かれる平日の日常。

もしどっかに「いらいらしなくて心静かにくらせる国」があったら、と子供の単純なお願いみたいなことをたまに思う。そしたら土曜日になるたんびに、おなかの中ビッグ・ウェイヴに脅かされることもないわけで。

今回のハライタは家に戻るなり、薬を飲み、水分を取り、1時間ほどぐっすり寝たらあっけなく直った。それから飲み会に行ったが全然OK。気の合う友人達と美味しいものを食べて笑えばそれでOKということみたいだ。人間の体は以外と単純なのかもしれない。


2004年07月08日(木) 路上飲食の限界

ちょっと買い忘れたものがあったので、それほど近所でもないけれどshop99へ自転車で行った。私が買う物を持ってレジに並んでいると、制服の下からジャージをはみ出させた女子高生が傍らの電子レンジを開けに来た。

彼女はレンジを開けてものを取り出した。その物体は袋入りの野沢菜ピラフ。そして店員さんに「スプーンください。」と言った。店員さんは、プリンとかゼリーに付ける小さいのしかないですけど、と言い、透明のちいさなスプーンを彼女に渡した。

そんなもん、家に帰ってから食えよ、と人並みに私は憤りながら店を出た。すると先ほどの彼女と友達が4人で路上に車座になって座っており(しかもあぐらである)、件の野沢菜ピラフやら、ごぼうサラダ、1リットルの紙パックのウーロン茶などを地面に置いてしゃべりながら食べている。

ひさしぶりに嫌なもんを見たな、と思った。彼女らのものと思われるプリクラをべたべたに貼り付けたママチャリ、エルメスのフールトゥも傍らに置いてある。ものすごいアンバランスだ。私はそそくさとその場を去った。

で、翌日(今日)はいつもと違う道を自転車で走っていた。大阪駅の近所に専門学校の集まる集落のようなところがある。そこでも専門学校生と思われる若者がファミリーマートの裏口のわきに車座になってざるそばとこれまた1リットルの紙パックのドリンクを直接飲みでまわし飲みしていた。これまた女の子はブランドもののバッグを持っている。今度はルイヴィトンのモノグラム・ヴァヴァンだ(多分)。

うーん、なんかこれって世の中に容認されているんだろうか?路上で車座になってごはんを食べるのは、工事のおっちゃんたちだけだと思っていた。おっちゃんたちだって、現場そばのもうちょっと片隅でやってるのに、若者たちは脈絡なく突然路上にいる。

近頃の若者は…とすっかりオバハン化しながら家路を急いでいたら、スーツを着たサラリーマンのおっさんが、虚空をみつめつつ菓子パンを食べていた。

うーん、何でもありですか。わたしはやらないけれど。


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