日々是迷々之記
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2004年08月01日(日) おしゃれ魂

少し日も陰ってきたので買い物に行くことにして外に出た。するとマンションのロビーに極彩色の固まりがあった。人間だ。祭りに行くと思われるお嬢さん二人組が浴衣を着てへたりこんでいるのである。

赤と白の大正ロマン風というかなんというか、簡単に言うとチェッカーフラッグ風の浴衣。それに叶姉妹の姉のようないかつい巻き髪。もうひとりはキティちゃんのじんべさんを着て、頭は噴水風のポニーテール。ご丁寧に造花まで突き刺している。

今更そんなものを見ても驚きはしないが、コロンというか香水のにおいがキツイのには参った。鼻の穴にフタがあったら…と思うのはこういうときだ。わたしがマンションから出ると、同じタイミングでこれまたそれっぽい車がやってきた。白い軽のローダウン車でステレオがずんどこ鳴っている。運転している男子はヒョウ柄のじんべさんか、浴衣を着ているようだ。お決まりの白ムートンの敷物に、ルームミラーにハワイのレイをぶら下げている。もうどこにでも行ってくださいとしか言いようがない。暑苦しい。

私は八百屋への道を自転車こぎながら昨日のことを思い出していた。例のオーサカキングに行くため、本町のあたりで信号待ちをしていた。すると、交差点を自由の女神風に髪の毛をおっ立てて、ゴスロリ風の黒&レースのワンピの上に、皮のロングコートを羽織った集団が歩いてきたのだ。

なつかしいな、バクチクのファンか。と思ったがもちろんそんなことはなく、ユニバーサルスタジオジャパンで北海道出身の有名バンドが10万人ライブをやる日だったのだ。

いくらファンでも32度の中で皮のコートはムリだと思うのだが、彼女らにとっては大丈夫らしい。

このへんが、若者と若くないものの差だと思う。ほんのひとときの何かのために、方向性はどうあれがんばってお洒落をする。これが苦痛であるか否かが踏み絵なような気がする。私はもちろんぜんぜんがんばれない方で、なんかいつも適当である。制服のブラウスのアイロンがけを襟と胸元と袖しかかけなかったらだんなさんにあきれられたりして。(見えないところはかけなくていいという考えのもとにそうしたのだが。)

「いくつになってもおしゃれ心を忘れない。」なんてことがちょっと年齢層高めの主婦雑誌に書かれているのを目にするが、元々おしゃれな人はおしゃれ心なんか忘れないだろうし、雑誌を見て「そうだ、おしゃれ心だ。」などと思いなおすもんだろうか?そういう人はそういう雑誌を見ないだろうし。私も美容院でしか見ないので縁のない世界のように感じる。(「セレブ主婦のこだわりお取り寄せスィーツ」とかってうすら白々しくはないだろうか。)

こうして今日も、野菜を自転車のカゴに積み、きこきこと家路を急ぐさえない週末だった。


2004年07月31日(土) オーサカキング見聞録

朝から「せやねん!」を見ていたら、オーサカキング(大阪城でやってるお祭り)の話一色だった。飲食店を紹介する「どこいこ!」でも、オーサカキングの「魔法の粉もんランド」の中のお店を紹介していた。これがうまそうなんである。ということで、番組が終わるや否や、カブで大阪城に向かった。

台風でまっすぐ走れないし、時折ぱらぱらと雨が降ってくる。でも、粉もんランドは大きなテントの中なので大丈夫なはず。私はうまいこと屋根のあるところにバイクを止め、オーサカキングの会場の一つである太陽の広場に向かった。

台風だけどみんな元気やなーと思った。結構混んでいる。「魔法の粉もんランド」は12時30分の時点で入場40分待ち。普段なら絶対ならばないが、今日はそこそこ涼しい(30度くらい?)だったので、根気よく並ぶ。やっとこさ、中に入ったら今度は前へ進めない。前方でテレビの撮影をやっているようだった。背伸びして見てみると、渡辺徹と月亭八光がいた。みんなワーキャー言ってデジカメで写真を撮っていたが、ファンじゃなくても一応撮影するというスタンスだった。

これじゃあカメラ付き携帯って、芸能人にとってはうざいよな。と思ってしまった。テレビ局の人が撮影はご遠慮下さい!と注意していたが、私の前方の家族連れは子供を肩車して、子供に携帯のカメラで撮影させる始末。親がそれじゃあかんでしょ。

気を取り直して中に入るとそこそこ買いやすかった。一度中に人を入れると、その人たちが一通り買い物を終えた時点で次の人たちを入れるようにしているようだった。この方が待ち時間は長いけど、正しい選択だと思う。ベビーカーも結構多かったし。

私は「キャベツ焼」「魔法のマヨキムチヂミ」「ネギポン」を買った。全部で8キング。キングとはこの祭りの通貨で、千円で10キングとゲーム券1枚と交換だ。いやー、どれもうまかったです。

キャベツ焼をさっと食べて小腹を落ち着かせ、キムチがひとつかみくらいどさっと乗っかったマヨキムチヂミのぱりぱり、ホワホワに感動し、最後のネギポン(ソースをつけない素のたこやきにどっさりと青ネギ、マヨネーズ、ポン酢をつけて食べる)は絶品。祭りのくせになかなかやるな!という感じだった。

そのあと、腹ごなしにゲーム券で「たかじんのONEMAN」ゲームをやった。ところどころ針のとびだした通路に大きくふくらませた風船を通すゲームだが、結構むずかしい。商品は番組のピンバッジ。しょーもないもんだが何故か欲しい。くやしい…。

そんなこんなでまだ2キング余ってるし、来週の日曜日までやってるのでもう一度行ってイカ焼きや焼きそばも食べようと思う。

オーサカキング


2004年07月28日(水) グッバイ、らもさん

らもさんが、死なはったらしい。階段から落っこちて脳挫傷、とのことだ。

わたしはこのニュースを聞いて、最初はあまり信じていなかった。と、同時にまぁ、「長寿日本一」には絶対ならんやろなぁとも思っていた。で、日が変わってニュース番組を見た。あくまで関西の人というくくりなのか、ユースケなにがしが結婚していた、というニュースが読まれても、らもさんのことには触れられずに、関西版のニュースに変わってからそのことが伝えられた。

ああ、死なはったんや。
もう、新しい本は出ぇへんのやなぁ。

そう思うと一気にからっぽ感が押し寄せてきた。高校生の時にらも本に出会い、かまぼこ新聞やら、しりとりえっせいやらにずっぽりはまりこんでしまい、と、同時に宝島を買うようになり、ひさうちみちおのマンガにまで興味の範囲は広がっていった。「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」という、青春時代のお話は舞台が関西ということもあり、とても好きだった。当時入っていた漫研で回し読みして、涙していたりしたっけ。漫研は進学校のはぐれ者の寄せ集めだったので、らもさんの書くことがいちいち強烈な説得力で迫ってきた。

去年、本物のらもさんを見た。ジュンク堂で催された「牢屋でやせるダイエット」のサイン会に行ったのだ。でかいサングラスをして、手錠をはめており、見ただけで怪しい。アメリカの入国審査でめちゃくちゃ時間がかかりそうな風貌だった。が、サインをするときはサングラスを外し、ひとりひとりと言葉を交わしながら、丁寧にゆっくりとサインをしてくれた。その様子を見て、この人は人を殺したり、だまくらかして金儲けをするようなことは絶対しないようなひとだと思った。実際は大麻でくらいこんでいた訳だが、そんなことは問題じゃない気がした。

ああ、また一人いなくなってしまった。という感覚が強い。ねこぢるが自殺したとき、カート・コバーン(ニルバーナの)が自殺したときも感じたからっぽ感。人が普通持っていない、特殊な能力、感性を持った人間はなぜだか急に逝ってしまう。きっとその人達にとっては、生と死の境界線が、うちら一般人のように大層なものではないのかもしれない。全部つながってるという感覚かもしれない。

とまあ、ウェブの片隅でわたしのような一般人が何を書いても書かなくても、世界は変わらない。でも、ヒマな学生が図書館にサボりに行って、何となく面白そうだなと思って、「明るい悩み相談室」や「啓蒙かまぼこ新聞」を手にとると人生は一気に違う方向に転がってゆくかもしれない。私がそうであったように。



今日は多分らもさんが好きだったと思われる、冷酒を買って帰った。肴はハタハタの干物。冷や奴とかもっとシンプルな肴のほうが良かったかも、と思いつつ。らもさん、私が死んだ後の世界で読むから、ちゃんと執筆は続けといてください。という思いを込めながら、蚊取線香を線香代わりに冷酒を飲んだ。

合掌。


nao-zo |MAIL

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