日々是迷々之記
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2004年12月19日(日) 黒い瞳のお母はんにバウリンガル

夜中の3時に寝て9時過ぎに起きる。遠くに住んでいる妹が土曜日の夕方から来ているので、何かしら生活に張りが出る。友達と待ち合わせをしている妹を、近所の駅まで送り、洗濯、掃除、買い物をする。友達からメールが来た。デジカメでバイクの写真を撮って遊ぶ。

この写真をあの風景と合成したら年賀状に使えるよなぁと考えたりして現実から逃避した。スキーの時もそうだったが、こういうときの私は母親のことなどすっかり忘れている。太陽が夕日に変わる頃、友達と別れ静寂が訪れる。

ああ、病院に行かなければ。と現実のことを思い出す。本当ならば今日は実家に戻り家の整理や、空気の入れ換えをするつもりだった。が、したくなかったので行かなかった。留守電に入っている、母親の友人のしつこいメッセージもうざったい。私の記憶の中で母親が親しくしていた人には連絡を入れたのだが、この人だけは反応が過剰だった。「○○でェす。心配してまァす。病状を教えて下さいねェ。」というメッセージを実家の留守電に毎日入れている。意識が戻ってきたら連絡すると言っているのだが、私が連絡を怠っているとでも思っているのだろうか?

私は母親が培ってきた人間関係というのが苦手だ。オバハン同士のお互いを慰め合う振りをして、この人より私の方がましだわという優越感に浸り合う関係。時には子供すら持ち駒になる。相手の子供が短大に行き、自分の子供が大学なら勝ち。相手の子供より、自分の子供がより知名度の高い会社に就職すれば勝ち。そして最初に娘を嫁がせた方が勝ち。この手の戦いを飽きもせずに延々と続ける。

その戦いの不毛さと、「誰それのところみたいに、あんたも親孝行しなさい。」という暗黙のプレッシャーから、もっと他のことにエネルギーを使えば?みたいなことを何度か言った。しかし、「親に指図をするな。」というのが決まり文句だ。なので私は指図もしないし、関わらないことを選んだ。私はそういう価値観の支配する世界で生きていきたくはなかったからだ。

そして自分流の生活スタイルを貫き、数年後に悪い生活習慣から来る病気で倒れた母親。

私の選択は間違っていたのだろうか?指図するなと言われても、おせっかいなまでにあの人に関わり続けることが正しい選択だったのだろうか?

ベッドの上にただ転がる母親を妹と見舞う。鼻に管が刺さり、酸素を送り込まれている。体にはセンサー類が貼り付けられ、ベッドサイドのモニターに、心拍数、血圧などのデータが表示されている。「お母はん。来たで。分かったら手を握ってや。」と言い、手を持つ。何度も問いかけると覚醒したように手を握り返してきた。左目を開いて、黒目はこっちを見ている。

「あ、ちゃんとこっち見てるで。」妹が言った。私は瞬時に身構えた。母親がこっちを見据えるときは、いつも何か文句を言うときだからだ。でも、半分意識はないわけで、いきなり小言を垂れられるわけはない。私は平静に気持ちを戻した。妹が来たこと、今が夜であること、また明日来ることなどを告げ、その場を離れる。

離れ際にベッドサイドのモニターを見た妹が言った。「このモニターに何を考えてるかとか出たらええのになぁ。」それを聞いて私は、「バウリンガルの人間版やな。」と言いそうになったが、それは余りにも不謹慎やろということで黙ってその場を離れた。

明日からまた先週と同じ日常が始まる。


2004年12月18日(土) 偽善者の遠吠え

金曜日は会社を休んで遊んだ。木曜日は定時で会社をあがり、家に帰りおにぎりを握ってザックを背負い家を飛び出した。青春18きっぷを握りしめ、目的地は岐阜県の中津川。普通列車で5時間ほどかけて向かい、そこでだんなさんの車に拾ってもらった。

向かう先はおんたけのスキー場。親が死にかけてるのに…と世間の人は思うのだろうが、親のことを考えない時間が欲しかったのだ。今年買ったブーツと板はかなりいい感じだった。でもブーツは慣れるのに時間がかかりそうだ。ころげまわって、ひだまりの雪の上に寝転がってだんなさんとしゃべる。乗鞍の山が晴天の空に映える。

帰りに、白樺の林を抜け、温泉に入る。ぽかぽかの体でクルマに乗り、コンビニでコーヒーを買い、サザンを聴きながらだんなさんの家に向かう。(だんなさんはサザンのファンなのだ。)途中のスーパーで夕食とビールを買う。

何だか幸せだなぁと思った。息が詰まるようなことばかりで、今誰かに殺されても文句は言わない、むしろ感謝するよと思っていた昨日までが嘘のようだ。結局私は楽がしたい。ベッドの上の母親のことなど放置してしまいたい。

なのに毎日見舞いにゆく。嫌なら行かなきゃいいのだが、生かしてくれようとする先生方、私を勘当されたにも関わらず献身的な娘だと褒める母親の妹たち。そういう人の目があるから、私は行くのを止めることができないだけだと思う。いい人だと思われたい、私はそういう浅ましい人間なのだ。

今日も愛知県から18きっぷで帰ってきた。帰りたくないと、思わず本音が出てしまうと、「帰りたくなくなるのはいつものことやろうが。」とだんなさんは言った。そうだ、いつものことなんだよ、と思いつつ日の沈み行く車窓の景色は暗くにじんで見えた。

本当なら連泊してスキーを思いっきりやろうと思って、一ヶ月前から根回しして金曜日を休んだ。その矢先に倒れた母親。軽く恨んだ、鬱陶しいなと思ったのが本音だ。その気持ちを悟られないように私は旅先から病院に直行する。スキーブーツを持ち、ザックを背負い、そしてドラッグストアで紙おむつを買う。ディスカウントストアで買えば半額なのに、と思いつつ自虐的な気持ちでお金を払う。

私は偽善者なのだ。本当は愛情なんかひとつもないのに病院に見舞う。心と体をすれ違わせるようにして半笑いで生きて行く。いつからこんな姑息になったんだろう。

「人は神様が死んでもいいと言うまで死んではいけない。」と昔読んだマンガにあった。何をもっていいとするのか分からないが、私のような半端な人間にもそんな日はくるのだろうか。

こんな気持ちのまま、明日も、明後日も病院に行くのだろう。語りかけても何も反応のない母親の前で、思いやる振りをして実家の家賃や入院費用、病院から必要だと言われた物の買い出し…片づけるべきことに頭の中はいっぱいだ。

そして今日も眠れない。


2004年12月14日(火) ライフ・ゴーズ・オン。それでも人生は続く。

マッハの速さで週末は終わり、月曜日がやってきた。仕事が始まると一日2回の面会は時間的にきつい。早出をすれば晩の面会に間に合うかなぁといった感じだ。婦長さんに相談してみると、前もって伝えておけば時間の融通は利くという。

残業をやり、20時頃病院に駆けつけた。ぐうぐうとイビキをかいて寝ている。夜だから寝ているのかなぁと思っていたら、主治医の先生がやってきた。まだヤマを越えていないので…と言っていた。ヤマを越えれば後は回復を待つだけだが、今は悪化し続けているのだろう。

「よく眠ってますよね。」と言うと、寝ているというよりは意識がはっきりしていないのと、一生懸命呼吸しているので、いびきをかいているように聞こえるのだと言う。右手を握って、耳に向かって大声で話しかけても、反応はない。素人目には寝ているようにしか見えないのだが。

母は桁外れのヘビースモーカーだった。実家にいるとき、夏場に学校が終わって家に帰り、玄関のドアを開けるとぼわんと煙幕のような煙が出てきた。エアコンをかけながら締め切って、タバコを吸っていたのである。妹は「犬が肺ガンになるから別の部屋に犬を入れてから吸え!」と怒っていた。それくらい吸うんである。

一緒にカナダに行ったことがあったのだが、その時も恥ずかしいくらい吸いたがる。バンクーバーは公共の場所で一切の喫煙ができなかったので、レストランも禁煙席しかなかったのだが、食べ終わると、無意識にタバコをまさぐり吸いだす。灰皿はもちろんないので、カップの受け皿に紙ナプキンを折って乗せ、水でしめらせて灰皿がわりにしようとしていたのには呆れた。当然店から追い出される。バカだ。

それくらい吸うので、呼吸機能に問題があっても何も驚くことはないのだ。手術中もずっとぜんそくのような音を立てて息をしていたらしいし。

ぐずー、ぐずーといびきをかきながら眠っている姿は、実家にいたときコタツでうたた寝していた姿と変わらない。こんな近くで顔を見たことがあっただろうか。思い出すのは嫌なことばかりだ。私が母のことを好きだったのは幼稚園くらいまでだった。大好きなスヌーピーを刺繍した座布団カバーを作ってくれたり、そういう頃だ。

学校に入ると、うちが他の家と違うのが嫌でしょうがなく、なんでうちはこんなんなんだろうとばかり思っていた。その頃は父親が酒乱だったので父親が悪いと思っていたのだが、今となると、その原因は母親にあったのかなとも思う。

あの人の前では、皆が嘘をつかずにはいられないのだ。宿題をやったかと言われれば嘘をつき、誰それちゃんと遊んではだめと言われれば、はーいと言いつつその子と遊ぶ。父親は弟(私から見たらおじさん)が鬱病であることを隠していた。おじさんが自殺をしたとき、それがばれたのだ。しかもそのとき、血縁者にそういう人間がいることが分かっていれば結婚しなかったのに、みたいなことを言ったようだ。その頃から父親は外に事務所を構え(フリーの翻訳家だったのだ)、あんまり家に帰ってこなくなった。

父親は酒が好きで、自分のやりたいことしかやらないタイプで読書好き。白黒フィルムで写真を写し、英語が得意だった。幼稚園児に「天動説の絵本」だとか「マチスの画集」、「谷川俊太郎の詩集」、「スヌーピーのピーナッツシリーズの単行本」などをおみやげに買ってきていたので、かなり変わり者なんだろう。まぁ、私に近い。それに気が付いていたのか、母親は「あんたはあいつにそっくりやわ。」としつこく言った。

そっくりだからなんやねん!と言いたかったが、言えなかった。「だから気にくわない。」と言われるのが怖かったのだろうか。全ての親は子供のことを愛していると一般には言うが、私はそうは思わない。愛せないことももちろんあるのではないかと疑っている。

15分ほど眠っているような母親の顔を見ていた。この顔を見ているとそんな感じで嫌なことばかり思い出すわけだが、不思議と生き延びて欲しいと願う。これは本当に母を思ってのことなのか、それとも父のことなど今までのことを知りたいと思う自分の欲求のためなのか。多分後者なのだろう。

まぁ、左半身不随は決定なのでどれくらい会話ができるようになるのかはわからないのだけれども。もっともこの人は墓の中まで全ての秘密を持って行くつもりなのかもしれないが。




「日本酒記念館」のことを書こうと思ったのに、何故か三たび親の話になってしまった。「酒かすアイス」おいしかったのになぁ。


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