日々是迷々之記
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2005年01月10日(月) たまにはこんなバカ話

久しぶりに電車で移動する。今日は「えべっさん」という商売繁盛のための祭りが大阪では執り行われている。ということで、道路には露店がでたり、交通規制があったりしてバイクではめんどくさそうだ。なので、JR大阪環状線で町へ出る。

いつものように先頭車両で前を見る。空が青くて気持ちがいい。運転手さんは信号ごとに指さし呼称で確認。子供の頃からこれを見るのが楽しかった。

私の背後では新成人と思われるギャル&その連れ(安物ホスト風)が香ばしい会話を交わしていた。(全て真実です。)

「大正〜。大正〜。やて。次の駅は昭和駅やったっけ?」
「おまえホンマにアホやなー。大正の次はえーとなんやったっけ?」
「あんたかて知らんねやん。でも昭和って駅あるよなー?」
「知らね。」
「てか、今って平成何年?もう平成の次になったんやったっけ?」
「何言うてるねん。天皇陛下が変わったときに平成から次のんに変わるんや。」
「次って何?」
「知らね。まだ決まってへんのんちゃん?」
「真美って書いて「しんじつ」とかえーと思えへん?」
「それはあんたの名前やろ。」
「あれってそんとき流行ってる言葉みたいなんに決まるんちゃん?」

もうなんだか車窓の景色なんか耳に入らないくらいの暴走会話だが、このへんから話はもっとすごいことになっていった。 年末に行われる今年一年を漢字一文字で表すと?という行事と、故小渕首相の「平成」という新元号を筆文字で発表したのが、彼らの中でごっちゃになっていたらしい。

「それやったら、やっぱ『残念』で決まりやろ。残念1年、残念2年…。」
「ってことはさー、TSUTAYAの申し込みの紙とかで昭和生まれだったらSにマルつけるやつとかあるやん?それって『Z』になるやんなぁ。それめっちゃしぶいやん!」
「しぶー!Z. 17年とかやろ?平成やったらHやもんなぁ。えらい差や。」
「つうかそれって最後のアルファベットなんですけど〜。次がありませんから〜。」
「残念!」

さすがである。10分たらずの乗車時間でちゃんと落ちた漫才が聞ける。大阪人はこれだからやめられない。


2005年01月06日(木) 柔らかい女子の空気

私は勤勉なほうではないが、会社に行くのは嫌いではない。

ルーティンワークの中に身を潜ませ、やるべきコトを淡々とこなし、ちょっとした同僚との会話で大げさなほどに笑ってしまう。一日8時間。空調の効いた静かな室内で50人ほどの同僚の人たちと関わっていると、何か大きな流れの中で、私までが真人間になったような気がする。

未だにちゃんと意識の回復しない母親のこととか、これからの経済的なこと、飲み続ける精神の為の薬、だんだん効果の見えなくなってきた睡眠薬、そんなことはまぁひとまず置いておいて…。そんなゆっくりした空気がうちの事務所には流れている。

そして女子が多い。しかも老いも若きもいい人ばっかりなのだ。私は32歳なのでちょうど真ん中よりは少し下かな?という位置づけなのだが、ちょっと上の人達からは子育てとの両立の話、もっと上の人たちとは、ガーデニングや、韓国ドラマの話、そして年下の女子からはスキーやマック、おいしいケーキ屋さんの話なんかで盛り上がる。

私自身女子なはずだが、会社の女子を見ているとみんな非常にかわいらしくて見守ってあげたいような気持ちになる。(そっち方面の嗜好はないのだけれど。)きーきーときしんだ音のする椅子にクレ556という潤滑剤を吹き付けてきしみを取ったり、フロッピーを入れたまま起動して警告音を響かせるマシンを黙らせたり、いつも文章しかスキャナで取り込まない子に写真を上手に取り込むコツを指南したらめちゃくちゃ感動されてしまったりする。

後日、「季節限定 キットカット抹茶味」を私にくれて、「私、なおぞうさんみたいに結婚しても、派遣で働いて、ちゃんと責任ある仕事をこなすのが理想なんです。」と言われてしまった。確かに私はキットカットの限定が好きだ!と何かの拍子に言ったことはあるが、ついでに褒められながらもらっちゃうのである。ほんとにどうしていいんだかわからんではないか…。

ちなみに彼女は田中麗奈を普通の人にして肌をぷにっとさせて、ストレートのロングヘアにしたような、普通にかわいらしいお嬢さんである。私のように、斎藤清六、パタリロ、ヘビ女など異形のいきものに似ているタイプではまったくない。

そんな風な若手女子軍団が、たまには異常な発言を交えつつも仕事は真面目にやっている。そのゆっくりした柔らかい空気に触れることは、今の私には大変落ちつく時間だ。

しかし、派遣社員である以上職場との別れは唐突にやってくる。それが運命というもので、今までは運命様々やな、止めて正解!みたいなところばかりだったが、今回はその日が来たら、ちょっとくらいは泣いてしまいそうだ。


2005年01月04日(火) 年明けの実感もないままに

いつものように青春18きっぷを使って愛知県に行き、帰ってきた。残りはあと1枚。今月の20日まで使えるのでどっか行きたいものである。

19日からはスキー三昧の日々だった。途中2泊を除いて全て車中泊。うちのクルマはただのステーションワゴンなので、寝るときは要らない物を巨大なベランダストッカー(ガーデニングのホースとか、肥料なんかをしまう大きなプラスチックのケース)に入れて車外に放り出す。スキーとストックは、屋根の上のジェットパックに入っている。

シートを倒すとだいたい平らになるので、そこに各自のキャンプ用マットを敷き、寝袋で寝るのだ。私がモンベルの化繊のものでスーパーバローバッグゼロ、相方はさほど寒がりではないので、ダウンハガー3という3シーズン用を使っている。

今回宿泊したのはいずれも新潟の妙高近辺と野麦峠らへん。夜中は-15度ほどだったと思う。朝起きたら、ペットボトルのお茶がしゃかしゃかと凍っていた。傍らのメガネをかけると温度差で曇ってしまう。

そんな環境でも人は眠ることができる。朝ごはんは前日に買ったパンとチーズをかじりながら、コンロで湧かしたコーヒー。この時期、宿に泊まれば一人1万円はくだらないことを考えると堅実なようだが、毎晩5号瓶を開け、宿泊したスキーペンションでは毎日ワインを開けていた。何が節約で何が贅沢なのかよく分からない。ただ一つ確信したのは新潟は、日本酒、地ビールともにとてもうまいということだ。

スキーそのものは、関スキー場でパウダーを満喫というか、パウダーに翻弄され、赤倉温泉スキー場では毎日吹雪でカナダのようなパウダーの中を滑りまくり、まるで自分がうまくなったかのような錯覚に陥ってしまった。そして移動日を挟み、野麦峠スキー場へ。

ここははまってしまった。年末に1日しか雪が降っていないので全て人工雪。私が好きな林間コースはほとんど誰も滑っておらず、調子に乗りまくった初心者なわたしは豪快にこけまくり、古傷である右膝を強打。テレマークターンなんてとんでもねー!ということになってしまい、中級バーンの真ん中でレスキューを呼び、そりで下ろしてもらうという体たらくだった。

右膝はテーピングを施してもらい、昼頃スキー場を後にした。多分、交通事故のときの癒着が剥がれたようで、熱を持って腫れている。わたしは頭痛吐き気とともに車に揺られ、愛知県の家にむかったのだった。

その日は鬱病の薬、抗不安剤、睡眠薬、パブロンを薬をフルコースで頂き、1997年物のドイツワインを1本空けて素直に寝た。ちなみにこのワインは会社の頂き物をみんなで分け合う福引きでもらったもので、2位の賞品だった。さすがにうまい。自分では買わないレベルの味だった。

翌朝は妙にハイテンションで目が覚めて、録画しておいたK-1を見る。こういうのをみるといつも思うのだが、ここに、ロッキー・バルボアとか、ドラゴ、スティーブン・セガール演じるケーシーなんかが参戦したら一体誰が強いのだろう。まああれはドラマだから、といわれればそうなんだけど、映画の中のスティーブン・セガールは文句なしに強いと思う。(頭もええし、熱くならないということで)

そんなこんなで全然年越しっぽくないただの長期休暇だった。明日から会社ってのがつらいなぁ。見舞いのことなんか途中で1ミリも思い出さなかったし。(地獄へ堕ちるだろうか?)


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