日々是迷々之記
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2005年03月02日(水) 春に降りてくるもの

世間は3月だが、まだまだ冬の気分だ。定時に上がると空がまだ青いのがせめてもの救いか。

見舞いには行くが母親の顔は見ていない。結局鬱病であることを婦長さんに話して、物を取るときなど看護士さんに取ってもらうなどの便宜を図ってもらっている。

明日、ひな祭りの日は母親の65歳の誕生日だ。誕生日。昔私が中一で母親と二人暮らしだったことのことを思い出す。せめてものプレゼントをと思い、私は同級生の花屋でスミレの小さな鉢植えを買った。花は一つだけ開き、つぼみが2つくらい。持って歩くのがちょっとわくわくするかわいいスミレだった。

が、母親は「なんでそんなムダ遣いするの?」と一蹴し仕事へ行った。(当時スナックをやっていたのだ。)一瞬でスミレは地味な存在に成り下がってしまった。じゃあ、お菓子でも買えばよかったかなぁと思うが、この誰にも気にかけられないスミレは私と同じなのだと思った。台所の窓の脇に置き、つぼみがふくらむのを見守った記憶がある。

こんなことは20年前のことなのだ。忘れて、献身的に母親を見舞えばいいのだろうが。ひっかかる。「この人はスミレに託した気持ちを一蹴した人なのだ。」そう思うと足が向かない。

おばさん(母親の妹)によると、「わたしの子育ては間違っていた。」と嘆いているそうだ。それは、「間違った子育てをしたから見舞いにも来ないような情のない子供になってしまった。」なのか、「私はちゃんと育てたのに、あいつは見舞いにも来ない。」なのか母親の気持ちはどちらなのだろう。まぁ、65歳になったからといって、悔い改めるようなキャラではないので、私が悪者なのだろう。

先日夜中の2時頃携帯電話が鳴った。入院している病院からだった。自発呼吸があやしいので、気管に送管してもいいかという。別にどうでもいいけれど、まぁやってくださいと言っておいた。泥酔して睡眠薬を飲んでおり、その状態で熟睡していたので訳が分からなかったというのもあるが。

世間は春かもしれないが、私はすんなりその中に入れずにいる。会社の上司への不信感、うつに対する偏見、そして母親。私には明るい顔になれる要素がひとつもない。

春は私の上にも降りてくるだろうか。


2005年02月22日(火) このままで行こう

2週間ぶりにメンタルクリニックを訪れた。昨日の事務長の言葉が、喉にひっかかった魚の小骨のように心のへんなところにぶら下がっていたからだ。鬱病だと会社勤めはできないのだろうか、再就職はムリなのだろうか…。じゃあそういう心の病を持っている人はどうやって生計を立てているのだろう。そんなことを考えながら、雑居ビルの中にあるいつものクリニックの扉を開けた。

今日は空いている。10分くらいで呼ばれた。母親のことなどを話した後、昨日の会社での出来事を話した。すると先生は、そういった心の病に対する会社の対応というのは千差万別だと答えた。配置転換をして環境を換えてくれたりして様子を見てくれる会社もあれば、辞めさせるところももちろんあるらしい。それはひとえに雇用主側の認識不足だが「いろんな会社がありますよ。」と言っていた。

でも、なおぞうさんの場合は違いますよ、と付け加えた。「病気ではなく、突然環境が変わって、それに心がついていかないだけです。お母さんが落ち着いて、なおぞうさんの手を離れれば、元に戻ります。それだけですよ。薬を飲むのは、少しでも今の気持ちを穏やかにするためですから…。」

がんばる必要はなく、やるべきことの中から、できることを自分のペースでやってゆけばそれでいいようだ。私はそれを聞いてとても穏やかな気持ちになれた。分かる人だけ分かってくれればそれでいいや。

きっと会社の人には身近な人が心の病になるまで、そういう人たちの気持ちが理解できないだろう。

それとも臭い物にフタをするように事実を隠し続けるのかもしれない。先生曰く、「世の中には色んな人がいますから。」


2005年02月21日(月) 心に風邪をひくのはダメ?

いつもどおり仕事をしていると、事務長に呼び出された。

会議室に入りドアを閉める。なんかマイナスな雰囲気である。開口一番、派遣から社員にどうかという話はナシにして欲しいということだった。理由は私自身であるらしい。

事務長があげただけでも、仕事中に居眠りをしている、ほおづえをついてぼーっとしている、にこやかさが消えた…などなどがあるらしい。私に思い当たるふしは、ある。

居眠りといってもいわゆる寝ているという状態ではなく、普通にパソコンなどを扱っていたらふっと一瞬落ちて気を失ったようになるのだ。これは睡眠薬を飲んだのに何時間も眠れなかった翌日によくなる。隣の席の子は本気で心配していたが、別にどうってことないので、何でもないと答えておいた。(会社では鬱病であることを公表していない。)

顔を押さえてぼーっとしているのは、左の顔面がひきつっているときだろう。ひどいときは傍目で見てもわかるくらいひくひくと頬が上下するので左手で覆って、時が過ぎるのを待っているのである。他の人が見たらぼーっとしているように見えるのだろう。

最後のにこやかさが消えた。これはものすごく主観的だし、私はそんなに常時へらへらしていただろうか?と思った。でも、事務長もそう思うらしい。

私は事務長に母が倒れたことの心労からくる、不眠症、鬱病、不安、強迫神経症?になっており、睡眠薬と、抗うつ剤、抗不安剤をこの1月から服用していることを告白した。通院は2週間おきにカウンセリングのような形でやっていると言った。

と、同時に、私のやる仕事というのは分量が決まっており、気を失おうと、顔が引きつろうと、量はこなしてきた。ミスもない。それを訴えると、会社は人と人とのつながりだから、和を保たないと…と言った。

めんどくせー、と心底思う。鬱病であることをカミングアウトすればみんな気を遣いまくるだろうし、言わないなら言わないで、「なまけているのでどうにかしてほしい。」と訴えられる。表面上は皆仲が良いのでよく分からないが、老いも若きも温室育ちのお嬢ばっかりなので、規律正しくしてないと悪印象を抱くのだろう。

事務長は一日も早く以前の朗らかで居眠りをせず、ほおづえもつかない私に戻って欲しいようで、その猶予は3月一杯らしい。それを守れなかったら、派遣の契約継続も要再考とのことだった。

すごい会社だな、と思った。私が来て、色んな流れを改善したり、使いやすくする提案をして、みんながスムースに仕事をこなせるようになって、「ああ、お役に立てているんだなぁ。」と我ながら喜んでおり、「出来れば社員にどうですか?」とオファーを受けたのが11月ごろだ。

その頃と仕事の上では何も変わっていないのに、母親が倒れて、私が鬱病になると周りは変わってしまっていた。何が悪いのだろうか?私は嫌々ながらも今の母親に必要なことはこなしているが、それを理由に会社を休んだことは一度しかない。社会保険事務所と、区役所に行ったときだけだ。しかも有休を使っている。

明日からどんな風に仕事をしよう?面白くなくても笑えるような薬でももらいに行こうか?鬱病なんか心の風邪みたいなもんだと思うんだが。あ、ちょっとしんどいなと思って、薬を飲んだり、状況が変われば知らないうちに治ったり、風邪もそんな感じではないか。職場で引きつりがでたからといって文句言うのは、鼻かんでる人に文句言うのと一緒だと思うが、極論過ぎるだろうか?

話の最後に、「お母様のこともあるから、働きつづけないと困るでしょう。今の病気のままどこか他のところにも勤めにくいでしょうし、頑張って直して下さいね。」と言われてしまった。一体何が言いたいのか分かりかねるが、あまりいい気持ちはしなかった。

早く春にならないかなぁ。春になったらバイクでツーリング行けるし。こんなしょーもないことなんか一秒で忘れることができそうだ。


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