日々是迷々之記
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2005年03月24日(木) 友達は偉大すぎて

3月15日は誕生日だった。それに伴い、色んな人から色んな物を贈られた。

海外に住む友人は向こうのアウトドア雑誌を数冊、東京に住む友人は今一番気に入っているものを贈りあう仲なので、本とキッチン用品を数点。そして、妹と彼氏からはiPod Shuffle。

どれもどきどきするものばかりだった。添えられていたカードに並ぶ言葉は暖かくて、まるで学生の頃に戻ったような気すらする。

「あん時は悩みなんかなかったなぁ。」と本当に思う。朝起きられないとか、水飲んでも太るとか、それなりに悩んではいたものの、今の暗澹とした気持ちと比べれば屁のようなもんだと感じてしまう。

そして私はその友人達に誰一人として返事が書けていない。迷うのだ。文体を、どこまで伝えるのか、そして余計と心配をかけてはしまわないだろうかと。

先日会った妹には顔がやつれていると暗に言われた。そういえばほっぺたを親指と人差し指で作った丸の中に納めて、「タコヤキ!」っていう一発芸みたいなのができなくなっている。(というか、普通の人は「タコヤキ!」なんてできるほど肉がないのかもしれないが。)

まいど〜。プレゼントどーもですぅ!みたいないつものお気楽のんきなノリで行けばいいのかな…と、便せんを前に今も悩んでいる。


2005年03月23日(水) 吸い込まれるように日常は

連休明け、しかも大雨ということで、かなり気分が沈んでいる。会社はもの凄く忙しく、淡々とした上司が鬼に見える。単に慣れているだけなんだろうけども。

携帯電話が鳴る。マナーモードなのでぶるる、ぶるるとふるえるのだが。出てみると、母親の入院している病院の集中治療室からだった。ついに!と思ったがそんなこともなく、「○○さんという方がお見舞いをしたいと言って来られてるんですが。」と言われた。

で、それがどうしたん?と思ったが、集中治療室は親族以外原則見舞いが出来ないのだ。それで私に確認を取りに来たのだろう。名前くらいは聞いたことある人だったのではぁどうぞと答えたが、これから誰かが見舞いに行くたんびに携帯に電話がかかってくるのだろうか。ひぇー!!

ついでに今日も朝から大雨。だが、区役所に行って書類にはんこをもらわなくてはいけない。高額医療費を免除してもらう書類で、月一回行かなければならないのだ。今日行くのは3月の分。はんこをもらうだけやからと思い、会社に電話をして10時半ごろの出社になりそうですと連絡した。

が、これが読みを外す。役所は混んでるし、役所のおっちゃんの動きは遅いし、大雨で道が川みたいに流れてるしで、11時を過ぎてしまった。うまくすれば、はんこをもらったその足で病院に行き、入院費用を払うつもりだったのに。役所だけで11時を過ぎてしまったんである。

会社に行くと同じ歳の上司に怒られた。「10時半ていうからそれで段取りを組んでいる。もし、10時半が無理ならもう一度その時点で連絡をしなさい。」とのことだった。ごもっともである。私が基本的に会社にいるときは会社のこと、役所のことをやってるときはそのことと、それだけしか考えないタイプの人間だからこの手の軋轢は良くある。社会人としても家庭人としても失格だなぁとこんな時はよく思う。

でも、それを埋め合わせるのは仕事して見せるしかないのだ。マシンの如く手を動かし、お茶もたくさん入るサーモスのボトルに入れて仕事に集中する。肩が凝るがこれしかわたしにできることはない。

夕方トイレに行った。鏡に映る自分の姿を見て唖然とした。白髪がしょぼしょぼ見えて、地肌から2センチほどが黒くなった、髪の毛。そういえば美容院に行ったのはいつだろう。瞼の二重が五重くらいになっている。口角の皮が乾燥して白くなっている。そういえばリップクリームすら塗っていない。

こういうのが、「にこやかさが足りない」という評価の中に入っているのだろう。見ている人は見ているし、横を通るだけで感じるものもあるだろう。

今のままでは私はだめだと感じた。でも、どうやって、何をどうすれば、にこやかで陽気なころの自分に戻れるのだろう。それとも時間はこのまま進んでゆくのだろうか。何かを探さなくては。もっと自分を持ち上げるための何かを。


2005年03月20日(日) 生き抜くことのせつなさを

金曜日の朝5時過ぎに携帯電話が鳴った。嫌な予感とともに電話に出ると、案の定母親が入院している病院からだった。自発呼吸が止まって、鼻から肺へ管を通して酸素を送り込んでいる状態なので、親族の方に集まって頂きたい、とのことだった。

まだ亡くなったわけではないが、ぼちぼちですよ、みたいな意味なんだろう。私は、奈良に住む母親の妹さんと、茨城県に暮らす私の妹に連絡した。それから着替えてカブで病院に駆けつける。

まだ夜が明けきらない街は空いていて、真冬の寒さだった。病院に着くと、母親は全身がむくみ、血圧は80以下(高血圧なのでいつもは190とかである)、酸素を送り込む機械の拍子に合わせて胸が盛り上がり、へこむ。

酸素を送り込む機械に命を握られている。今、停電になったり、地震が来たり、この機械が不意に故障したら間違いなくこの人は死ぬだろう。それでも生きていることになるのだから、不思議だ。

最後の瞬間を見守るために私は呼ばれたんだろうと、傍らに腰掛け見守る。時折機械から警告音が鳴る。自発呼吸をして、それとタイミングが合わないと鳴るようだった。30分に一度くらいは呼吸しようとしているようだった。

8時ごろ主治医の先生が来た。容態を聞くと、先週末から肺炎にかかっており、今はかなりこじらせている状態だそうである。ついでに、腎臓の機能が低下してきているので、肺に水がたまっているらしい。余談を許さない状態で、今から集中治療室に移すつもりだとのことだった。

9時過ぎに奈良から妹さんが駆けつけてくれた。昨日も見舞いに来てくれていたようで、昨日は、声を出したりしていたのに…と言っていた。私は入れ替わりで会社に行くことにした。同僚が引っ越しをするので有給休暇を取っていて、とても休める日ではなかったのだ。人非人だろうか?

会社に行き、遅れた事情を話すと、帰ってもいいと言われたが、仕事は机にこんもりと盛ってある。とりあえず午後休を頂いて、無言で仕事を片づける。午前中、一度も席を立たなかった。

茨城の妹から連絡があり、今日のお昼頃大阪に来るという。お金もかかるし悪いなぁと正直思うが、母親も長くないだろうから、やっぱ来てもらった方がいいだろう。夕方病院で落ち合うことにした。

おばちゃんはまだ病院にいるということなので、一度家に帰って、食事をしてから病院に行った。朝の5時から何も口にしてなかったので、食べると胃がきしみそうだった。

昼過ぎに妹がやってきて、母親に話しかけた。が、反応はあるんだかないんだか、って感じであった。まもなくして集中治療室に運ばれてゆき、私たちは物を持って帰った。

実家をひきはらうこと、葬式のこと、お骨をどうするかということ、そういうことは全部私が考えなくてはいけないようだった。頭がぼーっとしてしまう。

土曜日の夕方、妹を見送りに駅まで行った。すると携帯電話が鳴った。見ると公衆電話からだった。誰だろうと思ったら、母親の友人からだった。何で私に連絡をくれないの!と怒っている。古い友人の人で、母親は外面がいいので仲良くしていたようだ。いつものように見舞いに行ったら、集中治療室に入っていて、親族以外は面会禁止だと言われ、びっくりした。何かあったらちゃんと連絡してね!とのことだった。

じたばたしていたので連絡できませんでした、もうしわけありません。と謝り、電話を切る。はぁ、と一つため息が出た。そんなに知りたかったら知りたい人を募集して、連絡網か、メルマガでも発信しようかなと思う。こういうことも私がしないといけないようだ。

まぁ、なんかどうでもいいんだけど…。と思う。妹とその彼氏がくれた、誕生日プレゼントのiPodシャッフルだけが、嬉しい出来事だった。

また2,3日したら携帯電話で呼びつけられるんだろうか。


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