日々是迷々之記
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2005年03月30日(水) |
実家をひきはらう決心。仕事を辞める決意。 |
4月一杯で実家のアパートをひきはらうことにした。賃貸の小さな二間のアパート。ここで私と妹と母は20年ほど暮らした。
今はみんなでわいわい暮らしていた頃の面影はなく、前も書いたが一人暮らしの老人が後ろ向きに老後をやり過ごす場所に成り下がっている。春になってもそこだけは冬のまま時間が止まった感じだ。
物はほとんど捨てる。茶碗も下着も。金銭的価値のありそうな物はリサイクルショップに引き取ってもらうかもしれない。母親の嫁入り道具であった、タンスや鏡台もさほど質の良い物でなかったようで、表面に貼った小綺麗な薄板が剥がれたり、反れたりしている。粗大ゴミになってゆくだろう。
4月一杯は会社を1時間早く上がらせてもらって、片づけをすることにした。上司はしぶしぶ承諾したが、その舌も乾かぬうちに派遣の契約を更新しないと告げてきた。理由があるにせよ、午前休みや10時出勤が多いと志気が乱れるとか何とかそういう理由で。ついでに月曜日の午前中に内科へ行ったことも気に入らないと言われた。月曜日なのに、ということらしい。忙しいのは分かるが、私も声が出ないほど喉が腫れ、咳が止まらずに苦しかったのだ。バイクにも自転車にも乗る気力もなく、一年間勤めて初めて地下鉄で会社へ行ったほど、しんどかったのだ。
それすらも気に入らないと言われれば私にはどうする術もない。これもまた人生なのだ。
しかしこのオッサン上司の気に入らないのはそこではない。最後に「あなたもそんな病気持ってたら、働くとこ見つけるの大変でしょう。がんばってください。ああ、そういう病気の人にがんばれっていう言葉を使ってはいけないんでしたね…。」と、救いのないことを言うのだ。本人は慰めかなんかのつもりなんだろうが。
辞める日に刺そうかな、と一瞬思った。が、思いとどまる。その日の晩読んだ中島らも氏の追悼本に「その両手は好きな人を抱きしめるためにあるのだ。」という一節があったからだ。そんな手は大事にしなければいけない。
後は消化試合。ベストを尽くすのみだ。本当に暖かくなる頃、身の回りはちょっとはすっきりしているだろう。
「一心寺に行くけど行く?」というお誘いのメールをもらったので、昼過ぎにカブで出かけた。一心寺というのは大阪では有名な「庶民のお寺」で「一心寺さん」とか「あっこのお寺さんで」など親しみを込めて呼ばれているお寺である。
そこは、遺骨を粉にして10年分くらい集め、それで大きな仏さん(お骨仏)を作り、それをみんなでお参りするシステムがある。一般的には先祖代々の墓に入るのだろうが、色んな事情で先祖代々のお墓に入らないことを選んだ人たちが集まっているのだ。
その友人のおばあちゃんも田舎のお墓には入らなかった。誰も尋ねてこない田舎のお墓よりも、いつもわいわいと参拝者で活気づいた一心寺さんのほうを選んだのだ。
友人はろうそくとお線香を買い、ろうそくに火をともし、お線香に火をつける。ここでは他のろうそくから火をもらったり、線香を息で吹き消したりしてはいけないと知る。常識なようだが私は知らなかった。でも、友人は普通に教えてくれたのでほっとした。何かお寺で物を尋ねると外国人にでもなった気分だ。
多分、私の母親が亡くなったらここに入れることにするだろう。田舎にも墓があるが、母親はそれを売り飛ばそうとしていたらしいので、田舎のお寺関係の人たちから、とんでもないヤツだと思われているらしい。(大恥)そこにお骨を持っていくのもなんである。
お彼岸はもう終わったのに、沢山の人がお参りに来ていて、参道もにぎわい、ハトがばたばた飛んでいる。こんなにぎやかなところで最後を過ごすのも悪くないというか、病院で寝てるよりいいんじゃないの?と思うのは、私が鬼なんだろうか?
「一心寺」http://www.isshinji.or.jp/
2005年03月26日(土) |
ダメ主婦寝たきりの一日 |
朝起きたら寒かった。風もつよく、街路樹がごうごう揺れている。ネットの天気予報で「晴天 16度」の予想を見ていたので、激しく落胆する。が、洗濯をして適当に片づけをする。本当ならば春の日差しの中「山辺の道」(奈良県桜井市〜天理市あたりの歴史的散策道)にでも行ってこようと思っていたのに。気分がだるいと体もだるくなるから不思議だ。
洗濯物を干して、空気を入れ換えしていたら、風邪っぽい。喉が痛くて微熱がある。風邪薬を飲もうかと思ったが何も食べていない。アウトドア料理の本に載っていた「海苔もちチーズめんたい」を作ってみた。その名の通り、フライパンでもちを焼き、柔らかくなったところでめんたいこを適量塗り、その上にスライスチーズを多めに載せ、それを大きな海苔でくるんで食べるというシロモノだ。予想以上にうまい。それと自分で焙じたほうじ茶でひといき。焙じたといっても、緑の番茶を買ってきて、耐熱皿に広げ、トースターで軽く焼くだけである。でも、買ったほうじ茶より香りがフレッシュでうまい。
抗うつ剤とパブロンを飲んで布団に入る。先日実家の物置から出してきた昔のマンガを読みながらうつらうつら。松苗あけみの絵はいつ見ても楽しい気持ちになれる。細くてふわっとした線で、これも描きたい、あれも描きたいって感じでいろんなものが楽しげに書き込まれている。好きで描いていますというのがよくわかる。
次に読んだのはくらもちふさこの「東京のカサノバ」もうむちゃくちゃどきどきする。主役である17歳のターコに異常なまでに感情移入。血のつながらない20歳カメラマンの兄であるちぃちゃんとの恋愛物なのだが、恋愛と言っても何もない。まぁキスするくらいだもんで。小さなやりとりが愛しさの証のように感じられる。ちぃちゃんのバイクが初期型のVTなのが時代を感じる。でも、くらもちふさこの描く男性はほんまかっこいいなぁ。
というようなことを考えていたら寝てしまった。起きたら夜の8時。多分2時頃寝たので、普通の日の睡眠サイクルを12時間ずらしたかんじだ。
空腹なので作り置きの豚軟骨のとろぷる煮と煮卵、冷や奴をしょうがを効かせて食べる。ふーっ。再び薬を飲んでから、友人達のウェブ日記を読む。
私の世代だと半分くらいは結婚していて、その半分くらいは子供がいる。子供のいる人のバイタリティーはすごい。節分の豆まき、卒園式で号泣、毎日が全身で感じるドラマのようだ。それにひきかえ、わたしの人生はどろーんとしている。まさに流れない煮こごりのような感じか。
私に子供がいたらどうなんだろ…と考えると実に現実味がない。自転車の二人乗りが出来ないので、この下町で暮らすのは大変そうだ。カブに乗せればいいのかもしれないが、ちゃんとつかまってくれるのか心配だ。一番困りそうなのは思想的なものかもしれない。なんであかんの?と聞かれたら、私は答えられないことが多そうだ。例えば、遅刻とか。
そんなことを考えてたらまた眠くなってきた。風邪薬は眠くなるようにできているのだろう。さて、今度は通信販売のカタログでも見ながら寝るとしよう。
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