主人の職場の同僚が、妹の高校時代からのお友達のご主人で、義弟の友人だったと判明した。 妹夫婦と同じ大学で、卒業後は地元つまりこの地に戻ったのだと言う。 そして妹夫婦の披露宴にも来てくれていたそうな。 お友達の顔は覚えていないけれど、一度ぐらい実家に遊びに来た事はあったかも知れない。
社会の中で生きている以上、仕方無い事なのかね。 嫌と言うほどの事ではないけれど、一寸吃驚した。
未亡人となったうつみ宮土理が、記者会見を開いていた。 TVでちらっと見たが、これほど意味がわからない会見も珍しい。 愛する配偶者を亡くして悲しいのは当たり前だし、いちいち記者会見と言う手法をとるのも、会見なのに夫の死に方に関する質問に切れるのも、全く理解出来なかった。 しかも受け答えが過剰に芝居がかっているので、見ていて決して気持ちの良いものではなかった。 そして会見の最後に、自分の舞台か何かの宣伝。 なるほど、このための会見だったのかと、不思議な会見の意味がやっとわかったのであった。
TVの画面に「うつみ宮土理(71)」と表示されていたのが気になったので、実家に電話してみた。 うちの母は、うつみ宮土理と同じ大学で学び、彼女と同時に卒業している。 勿論、当時の日本には飛び級制度は無いし、母は浪人も留年もしていない。 「お母さんって、うつみ宮土理と同級だったんだよね。お母さんもまだ今年の誕生日を迎えていないけれど、71歳じゃないよね」 と確認したところ、72歳だと言質を得た。 ウィキペディアによると、うつみ宮土理の生年月日は1943年10月1日となっているが、1943年生まれではあり得ないのだ。 と言う訳で、うつみ宮土理の生まれ年は1942年ですよ!とバラしておく。
とは言え、以前週刊誌上で2つも年齢をサバ読んでいたそうだから、それよりは真実に近付いただけマシなのか。 うちの母によると、彼女は同窓会に来た事が無いそうで、その時は、彼女が2つも若く偽っていたる、皆で憤慨していたそうである。女性とはそういうものなのだ。 私はてっきり、芸能人だから忙しくて出席出来ないのかと思っていたが、その後、不倫略奪婚だったと知り、嗚呼そりゃ出席出来ないよな、と合点がいった。 女子大だしあの年代では同級生は殆どが本妻の立場の主婦だから、流石に顔を出し難いだろう。
でも、添い遂げたのと、前妻との約束を守って子供を作らなかったのは偉いなと思った。 他人の家庭を壊して迷惑かけたけれど、その後ちゃんと幸せになって周囲に認められたのなら、全ての人を不幸にするよりは良いのかなと。
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