ワールドニュースを見ていたら、オーストラリアのとんでもニュースが飛び込んで来た。 とある神父が、自分が同性愛者である事を告白し、更にパートナーと一緒に暮らしている事まで公表したという。 その報道を、主人と一緒に見ていたけれど、
駄目だろう、それは……。
というのが、我々2人の共通見解である。 キリスト教は、本当はホモ禁止の筈。 聖書にちゃんと書いてある。ソドムとゴモラは、そのために神によって滅ぼされたのだ。 プロテスタントはかなりいい加減だからホモ牧師とかいるけれど、この人、神父だよね。カソリックだよね。 緩いプロテスタントと違って、神と繋がるために肉欲を退けるので、そもそも妻帯を禁じているのだ。 なのにパートナーて。 ホモだからOKとでも? 縦んば性的関係は持っていないとしても、それってどうなのさ。 当の牧師は、 「悩みに悩みました。しかし神に祈って、この答えを得たのです。私は許されました!」 みたいな事を晴れがましく言っていたが、えーとそれって、神様じゃなくてサタンって奴じゃないのかな、多分。そんな気がするよ。 キリスト教信者でもない素人の自分ですら、これはアカンやろと思うのだが、バチカン的にはどうなのだろう。 ただでさえ聖職者による少年への性的暴行(しかも神の名を騙って。信者じゃなくても許し難い)が問題となっているのに、教会がホモを容認したら、余計問題が増えそうだが。 しかし今の法王は、離婚や中絶に対して寛容な、良く言えば革新派らしいので、下手するとホモも容認してしまいそうで怖い。 減少の一途を辿る信者を獲得するために、各所への門戸を広げたいのだろうが、そんな事になったら世の中はどうなってしまうのだろう。 宗教の役目は、人々の心の拠り所になるだけではなく、人々を正して世の中を良い方向に持って行く事ではないのか。
残された最後の砦は、イスラム教だけになってしまった。
タレントの北斗晶が、自身の乳癌を公表した。 手術を受け、これから闘病生活に入るという。 私の母も乳癌で、乳房と腋下リンパ節を切除した。北斗晶と同じである。 結局は取った訳だが、母も乳房切除を嫌がった。 私の母なので巨乳ではないし、子供達はとっくに大きくなってもう使わないのに、それでも嫌がった。 女性ならその気持ちは理解出来るものらしいが、正直私には今でも理解出来ない。……おかしいな、一応性別は女性なのに。 しかし、精神的に大事なのは乳房でも、機能的に大事なのはリンパ節の方である。 乳房だけならまだしも、リンパ節まで取ってしまうと、取った方の二の腕が浮腫んで太くなってしまう。 スリムな服だと腕が入らず、袖のダブッとしたダサいシルエットの服しか着られなくなるのだ。 母が乳癌だったという事は私も遺伝的にその惧れがある訳で、幸い今のところ発症していない模様だが、私は乳房よりリンパ節切除の方が怖い。 何としてもリンパ転移の前で阻止しなければ。 乳房に関しては、再建が利くならそれでいい。 そりゃ自前の方が便利だろうが、再建出来るなら再建して欲しいぐらいだ。 少し大きめでお願いしようと、今から図々しい事を考えている。
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