2016年05月08日(日) |
ブラボージジイは滅びよ |
日曜の夜は教育テレビでN響の演奏を聴く。 マーラーやブルックナーだったらパスだけれど、今回はブラームスとニールセンだったので、TVをつけておいた。ていうかニールセンって誰。 主人によると、シベリウスとかショスタコに影響を与えたとか何とか(ちゃんと聞いてない)で、なんか私の苦手な感じらしいので、ブラームスが終わると私は風呂に入った。 風呂から上がると、ニールセンは終わって、残った時間で指揮法の授業をやっていた。 どっかの音大の学生達がサンプルになって、手取り足取り世界的指揮者から直に教えて貰うという、教わる方にしてみれば夢のような企画なのたが、サンプルの学生達が一寸酷かった。もう少しマシな学生はおらんのか。 それでも、私のような素人にも、なるほどー!とわかり易い説明をしてくれる先生。流石世界的指揮者。 横を見ると、主人はいちいち頷きながら、真剣な眼差しで番組に見入っていた。 偶々つけた番組だったけれど、見られて良かった。今日のプログラムがマーラーやブルックナーじゃなくてラッキーであった。 そして主人がニールセン嫌いじゃなくて良かった。興味無い曲だったら、さっさとチャンネル変えて、折角の指揮法を見逃していただろうから。
そういや、最近の放送では出入り禁止になったのか、ブラボージジイがいなくてホッとする。 ブラボージジイと言うのは、演奏が終わるや否や「ブラボー!!」と叫ぶ迷惑千万な聴衆である。折角の演奏を台無しにする無粋な輩である。余韻もへったくれもあったもんじゃない。 何なの?あれって。 俺が誰の拍手よりも先に、一番に声を上げたぜ!って自慢したいの? 誰かと競争でもしているの? 本人は得意になってるんだろうけれど、他の客からはうるせえ死ねと思われているんだよ?
そういや今週は、行きたい演奏会があるんだった。 風邪が治らないので子守は妹の姑さんに代わって貰って、日程的には聴きに行けそうなのだけれど、何しろ風邪だからなあ。 咳がゲホゲホ出る状態では、他の客の迷惑になるし、何より公衆衛生的にアカンやろと思う訳で。 涙を呑んで、お家で大人しくしていようと思う。つーか、クスリ効かねえ!
今年も例年通り、我が家に連休などない。 主人は1日だけ休みを取れた。
その休日に、主人の友人を連れて、津波被災地に行って来た。彼等が共に過ごした、思い出の地なのだ。 友人は外国人。25年前に1年間だけ日本に住んでいた事があり、主人とはその時に仕事で知り合った。 「俺は日本語覚える気は無いから、お前が英語を覚えろ」と言って、主人に英語を仕込んでくれたのは、この人である。 彼が日本を離れて以来没交渉だったが、数年前にフェイスブックで彼が主人を見付けて連絡をくれたのが、再交流の始まり。インターネット凄い。 本当は昨年来日の予定だったが、家族の急病で急遽キャンセルになり、再会は今年に持ち越されたのであった。 「日本に来るなら是非会いたい。こちらまで足を延ばすのは大変だろうが、君はあの土地をその目で見るべきだと思う」という主人の勧めもあって、今回東北まで来てくれたのだ。
ところで、私は英会話はさっぱりである。センター試験の英語こそそこそこの点を取れたものの、あんなのは所詮マークシート方式だし、大学入試の時をピークに学力は低下の一途。 今回異人さんと英会話するにあたって、予習しなきゃと思ってはいたが、結局何もしなかった。子供の頃から勉強せずにぶっつけ本番で試験に臨むタイプなのは、大人になっても変わらないものだ。(←開き直り) 準備と言えば、主人に頼んで英和&和英の辞書アプリをタブレットにダウンロードして貰った程度で、後は英語ペラペラ(当社比)の主人に任せたが、蓋を開けてみれば、永年英語を使っていない主人の英会話レベルも私とどっこいどっこいだった事が判明したものの、結局は何とか意思の疎通が出来た。 というのも、日本滞在当時は日本にも日本語にも興味が無かった友人だが、その後帰国してから勉強したという事で、思った以上に日本語が通じたためである。英単語と言えば真っ先にファッキンぐらいしか思い付かない私の片言の英語より、彼の日本語の方がレベルが高いと思う。
前日にはこちらに来た友人と夕食を摂り、その夜は近所の宿に泊まって貰った。本当は我が家に泊めて持て成すべきだが、狭い賃貸での転勤生活、客用の布団も部屋も無いのだ。 翌朝は3人で車で出発、昼には沿岸部に到着した。 海の幸で腹拵えをして土産物を買い、嘗て友人が住んでいた辺りを回ってみる。 そこはもろに津波を被った地域で、残った建物には線が記されて、「ここまで津波が来たよ」とわかるようになってた。 グーグルストリートビューで予習していたし、彼が住んでいたアパートは当時から古かったので既に無いのはわかっていたが、それでも実際目にするとショックだったようで、 「(当時の物は)何も残っていない。ナッシング」と言っていた。 まるで別の町みたいだ、とも。主人によると震災以前に区画整理がされたようで、道の形自体が昔と違うのだそうだ。 そして隣の区画には、瓦礫がまだそのままに積まれていた。5年経つのに全然復興してないな……と唖然とする主人。政治家やマスコミや土建屋の関心は熊本地震や東京五輪に移ってしまい、もう東北の復興なんて忘れ去られているのだろう。 同じ津波被災地でも、大規模な嵩上げ工事をやっていた所もあったというのに、一体何が違うのだろう。そしてどれが正解なのだろう。答えが出るのは何年後になるだろう。 その後は、彼と主人の過去の職場も訪れてみた。こちらは津波の被害は無かったけれど、震災の前に建て直されていて、やはり当時の面影は無かった。 それにつけても、街中を走りながら主人が「ここにはこんな店があったんだけど無くなっちゃったな」とか「あっまだこの店残ってるんだ」とか言うのは、殆ど全てが飲食店……この人の記憶は本当に、食べ物中心に構成されているのだなあ。
沿岸部を離れて、内陸部の新幹線駅まで彼を送り届けた。 この後2人で食事するんでしょ、僕の事は置いてって大丈夫だよと言われたが、時間もあるし折角なのでホームまで見送る事に。 そしてホームでお別れの抱擁をするオッサン2人。実に微笑ましい光景である。 主人は別れ際に、「君が幸せそうで、僕も嬉しい」と言われたそうだ。正直な外人の目にもそう映ったのなら、主人は本当に幸せなのだろう。安心した。 今日は有難う、とても楽しかった! 今度は僕の国にも遊びに来てね!と言って、彼は東京に戻って行った。 遊びに行きたいのは山々だけれど、3日で和食が恋しくなる身としては、世界一飯が不味いと言われる国に行くのは、悩ましいところである。
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