『人生、一度きりよ』

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七倉 薫 /MAIL


2003年08月20日(水) (中休み)またもや悪夢の話

おととい見た夢が、久々に非常にいやーんな感じの悪夢だったのですよ!

私は朽ち果てたマンションに、何かを探すために入った(何かは分からない)。
もう廃墟と化していたので、住民は誰もいなかった。

とても古いマンションで、とても奇妙な構造をしていた。部屋はすべて六畳ほどの正方形で窓はない。壁はモルタルであつく塗り込められていた。廊下はなく、部屋についている梯子で上下階と行き来をするようになっていた。

部屋はすべて四人部屋らしく、どの部屋も布団が4組敷かれていた。廃墟になって久しいため、どの部屋のどの布団もすえたような臭いが漂っていた。
そして4組の布団の上にはそれぞれ個別の電灯がついていた。よく和室にあるような、丸い蛍光灯のついた電灯が、ひとつの部屋に、4つ。

梯子はその電灯の場所にそれぞれ設置されていた。六畳の部屋に梯子が、4つ。
その梯子は薄いベニヤでできていて、年月にさらされ劣化していた。
私が何部屋か移動するうちに、ある部屋の梯子を踏み抜いてしまった。
どうしよう。梯子がないとこの部屋から出られない。
電灯に飛びついてみようか、とも思ったが、そのコードが切れたら本当に終わりだ。
背筋が寒くなった。
するとどこからか「アーメン、アーメン」という囁き声が。

驚いて飛び起きると、それは家人の寝息だった。
たまたまそう聞こえただけだったのだが、あまりのタイミングに恐ろしくなった。


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2003年08月17日(日) イタリア旅日記その4

ちなみに食事中は毎日新庄から「エロ」イタリア語講座を受けていた我々です。
「いちじく」とか「すずめ」とか、なんかいろいろヤバイ言葉みたいです。

8/5(火)
昨夜は早めに就寝したので、この日は目覚め爽快。朝食の時間までまだ間があったので、柿助と宿の周辺を散歩しました。
早速宿の主人に遭遇。「ベーネ?」と訊かれたので、意味はわからないけど「ベーネ!」と笑顔を返しておきました。すると主人は満足そうにうなずいて去っていきました。ヨカッタ。
枯れ草にカタツムリが群がっていたり、サボテンがにょきにょき伸びているのを眺めながら、宿の塀沿いに歩いているといちじくの木を発見!
柿助と含み笑いを浮かべつつ「いちじくだ」「いちじくだね」とうなずいていると、急に柿助が
「そういえば、私たち新庄からロクなイタリア語を教わってないよね。基本的なベーネも知らないんだから」と発言。
「そうだよね、いちじくなんて人前で使えない単語なんてどうでもいいのにね」と私も新庄を糾弾。
つか、不勉強な俺たちが悪いのですが、ハイ。
朝食の時間が近づいたので、部屋で一休み。で、新庄たちの部屋をノックしてみると、どうやら新庄はまだ寝ていた様子。とりあえずロッキーと我々3人で朝食へ向かう。
遅れること10分、新庄到着。また寝坊した彼女は、しきりと反省していた。そうだよ、そういえば昨夜、今日は早めにレッチェに向かうって決めてたんだよ!
朝食後、準備してすぐに出発。一路レッチェへ。
レッチェは古い教会や建物が並ぶプーリア州の観光スポットです。道行く人に「チェントロ・ヒストリコ」(直訳すると「歴史的な中心地」)はどこですかー、と新庄が訊きまくってくれました。
そこでぷらぷら歩きながらジェラートを食べ、ベネトン(向こうだと「ユニクロ」的な扱いなんだとか)で安いTシャツなどを購入し、教会を見学していると、ほぼ見終わったあたりで係員の男性に
「もう終わりの時間だから」と言われて退場。えー、なんでだろう? 時計を見るとまだ午後1時なのに???
と扉を見ると営業時間が書かれており、ナント午後1時〜午後5時まで昼休みだったのでした!
昼休みが4時間! これには在ミラノ2年以上の新庄たちも唖然。「南部は違うなあ」とつぶやいていました。ちなみにミラノに代表されるイタリア北部では、ショップの昼休みは2時間半程度で、オフィスは日本と同じく1時間のところも多い、ということでした。
さて、じゃあ昼食でも食べようか、とエノテカで買い物がてら美味しいリストランテを教えてもらい、またもやめちゃくちゃ食べました。海に近い町なので、生の魚介類が楽しめました。もちろんワインも飲んだよー。
しかしとにかく暑い!実は8月上旬のヨーロッパは熱波の影響でめちゃめちゃ暑かったのです。
でも私たちは南に来たせいかなー、とのんきに思ってました。
このまま散歩していても死にそうだ。かといってこのまま帰るわけに行かない。なんせ、さっき町歩きの途中で、昼休みが終了したらバーゲン中のホーガンにサンダルとバッグを買いに戻ろう、と女子3人で算段していたから。
とりあえず車に戻ると、駐禁切られてました・・・。うう、とうめきながら車を移動してから、たった1軒だけ開いていた近くのバールへ。そこでまたもやオレンジジュース。
ここで新庄のエロイタリア語トークが炸裂!
柿助と私もノリノリで話を盛り上げるなか、ひとり清純派のロッキーだけが沈黙を守る、という構図で1時間半が経過。レッチェまで来てなにしてんだ俺たち。
午後5時になったので、まずはコインというダイエーみたいなお店で涼みつつ食器など見て過ごし、ホーガンの開店を待ち、それから1時間くらいホーガンで買い物をしました。
ロッキー:サンダル1点
新庄  :サンダル1点、バッグ1点
柿助  :サンダル1点、スニーカー1点
トラ子 :バッグ1点
みんなお買い得でした。全員ホーガンのでっかい紙袋を持ってニコニコしながら車に戻ると、またもや駐禁のピンクの紙が・・・(泣く)。
帰りは海沿いの道をドライブ。途中、夕暮れの海岸で水遊び。何枚か写真を撮ったけど、帰国して現像してみると「青春!」という感じで、すごく良いできばえだった。
ようやく宿に帰り着き、今日は魚介類かなーわくわく、なんつってたら、またもや肉料理ですよ。うーん、こんなに海が近いのになぜ?
またもやエロ話で盛り上がっていると、宿の親父が写真を撮ってくれるという。われわれ4人の写真家と思いきや、親父ファミリーやその他の客も入ってきて、たちまち10人以上になった。
どうやら彼は私たちと一緒の写真が欲しかったようだ。
しかも、そのまま椅子を持ってきて歓談モードに突入した。親父曰く「日本人の客は初めてなんだよ」とのこと。どうやら物珍しかったらしい。話し込むこと1時間、仕事、年収などにも話は及んだ。
「そういえば、どうして海が近いのに食事に魚介類が出てこないの?」と新庄が訊くと、「だってうち、農家だから。うちで採れたものを食べて欲しいからね」との答え。ごもっともです、スイマセン。
もうこの宿とも今夜でお別れ、明日は海岸沿いのリゾートホテルに向かうんだなあ。

つづく


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