いきあたりばったり
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2004年01月24日(土) すっごく嬉しい!!

今日はコンテンポラリーとバレエの日。
今日から、ボディワークに加えて、新たに面白いことが加わった。
ああなんか、コンテンポラリーという感じのするものだ。
そして、すっごい嬉しいことが!!

先生が、先週の私を見て「一週間で、飛躍的に伸びた!びっくりした!!」
と言うようなことを仰っていたそうだ。
きゃぁ!!嬉しい。
自分で「ちょっと出来るようになった」と思っていたことが、先生から見てもそうだったことが凄く嬉しい。

で、何故か、コンテンポラリーが終わって家に帰ってご飯を食べると、眠くなる。
で、今日も寝ていたら、やっぱりバレエに遅刻した。
さらに、バレエが終わったと、また1人辞めてしまうことが分かった・・・。
残念。
その子は、この春から大学生になることがきまっていて。
環境の変化とか、色々あるんだろうな。
私よりも長く、本当に小さいときからバレエをしていて。
凄く上手いし、細すぎる!!銅がないくらいに足が長い!!
っていう、しかも、すっごくほりの深い綺麗な顔してるんだよなぁ・・・という、何拍子も揃っていて、男嫌い。
凄く面白い子だった。
昔は寡黙だったけれど、ここ何年本性がでてきて(?)本当に明るくなった。
妹とかなり仲がよいんだなぁ。
やっぱり寂しい。
毎週行ったら、いるのが当たり前で。
休んでてもずっと来ないと言うことはない。
「ここに来たら会える」
その情況じゃなくなるから、心許ないし寂しいんだろうな。

今日は、ぜったに病院に行く予定だったのに、無理だった。
寝坊したから。
でも、家にいると、さほど調子は悪くない。
鼻と咳は相変わらずだけれど。
昨日の夜酷かったのにねぇ。

そしてカテキョに行って、おばちゃんに健康シェイクを飲まされる。


2004年01月23日(金) 自分の癖

今日もワークショップの話。
今日は昨日以上に、風邪症状が重くて辛いなぁ・・・と思いながらやる。

クリスティンが、台本をもらったときから好きだったんだけれど。
クリスティンは、何てやりやすいんだ!!
もう、すっげぇクリスティンをやっていると、自分の上達を感じる。
しかし、ジュリーになった途端、今日は思考が固まってしまった。
で、試行錯誤して、やっと、昨日の一歩手前くらいに戻しながら、考えた。
どうしてそうなるのか考えて。
やっと出来てきたと、どうして大分良くなったのか考えて分かったことが1つ。
これは、田中さんも言うようになんだけれど。
私は、他人の演技に対する心情の反応、そういった反射神経が、鈍くはない。
そして、これは、もう自分でもどうしようもないくらい、感受性が豊かで溢れるに溢れている。
それは、もう、異常なくらいだ。
だけど、すっごく演技が下手なのは、それを隠すからだ。
自分の感じたことを、その反応を、演技として表出するのが苦手だったのだ。
演技として・・・とかいたのは、日常では無意識にやっているからなんだけど。
そこを、素直に開いてやるといいんだなぁと。
基本的に高校時代も、ずっと殻が破れてないといわれて。
それは自分でも分かっていて。
私は「出来ている」ように見せられるだけで、でもそんなのちっとも出来ていないと言うことで。
それは、周りの人間を気にしすぎているからで。
それも分かっていたのだけれど、でも高校時代のあの環境は、そういった意味で凄くマイナスで。
もちろん自分にも要因があるけれど、それ以上、私にとって開いた環境ではなかった。
大学に入って、秋野やぷらんくそ、emileとつきあい始めて、自分の精神的自由を確保しつつある今だから。
すこしずつ出来ていくだろう、自信が今はある。

まぁ、その要因て、周りを(自分の演技する、一緒に芝居を作る人たちを)「信用」出来るか否かなんだけれど。
不信でがちがちだったからなぁ、高校時代は。

それに気がついたことが、今回のワークでの私なりの大きな成果だと思う。


2004年01月22日(木) 今日もワークショップ。

病院に行かなきゃ、行かなきゃ!!
とは思うんだけれど。
どうも時間がない。
インフルエンザの高熱が、下がって2週間。
相変わらず、鼻はぐちぐち、咳はでるわ、喉は痛いわ・・・。
という感じ。
きっと、インフルエンザにクロスで、風邪をひいたんでしょう。
先日、友人からメールがありました。
『風邪はもう治ったの?』
というメールに「まだ・・・」と送ると、
『まだなのー!(怒)あんたの免疫力のなさには、呆れるね(笑)』
と書かれてあった。
ほんとにね。
これは、免疫力のなさなのか?
ってか、免疫とは一体なんなんだ!!と思うね。
これ以上酷くならないことを考えたら、一応は働いてるんだと思うし。

で、ワーク。
ううん、面白い。
ワークショップで、やってる台本は、かなり古いもので。
その、一部分だけをやっているんだけれど。
今日は、今やってる部分のその後。
この後どう展開するのか。
と言う部分のところを刷ってもらって、読みだけしてみた。
台本の内容は、単純と言ったら単純で。
登場人物は3人。
令嬢ジュリー、下男ジァン、下女クリスティン。
ジァンとクリスティンは、まぁ結婚しようか、と言うカップル。
夏至の夜、祭りの晩に、ジュリーがどんどんジァンに夢中になって。
ジァンはジァンで元々上昇志向の強いタイプだから、騙し騙し駆け引きをする。

ちょうど、この駆け引きの部分をワークショップではやっていて。

今日読んでみたところは、ジァンと令嬢が寝たことが村中にばれて、2人で逃避行しようか・・・
と計画を練っているところ、ジュリーが自由に出来るお金も人脈も持っていないと知ったジァンが、
本性を表し、ジュリーも、騙されていたことを知る・・・そんなところ。

講師・・・と言っていいのかな、その人は田中さんと言うんだけれど。
2人で読みをしてみたら、もう痛くて痛くてしょうがなかった。

で、そこを読んだら、やはりなんとなく中心でやっている駆け引きの箇所も凄く面白くなって。
それも田中さんとやると、すっごく、すっごく、私どうなってしまうんだろう。
逃げたい、危険な感じがする。
でも、一歩足を踏み入れたい・・・というのがばしばし来て。
すっごい、怖かった。

そのワークショップ。
基本は、私、友人(女)で声優の専門学校に行っていて、最近お仕事もつき始めた、
と彼女と同じ専門学校に行っている男(まぁ、これも友人だな)、
と田中さんと同じ松竹の研修生で、研修生としては同期だけれど、芝居を始めたばかりという男の人。
この計四人が基本でたまに見学者が来る、みたいなスタンス。
だから、ジュリーとジァンの駆け引きのところはもう大体パートナーが決まっているんだけれど。
(声優卵同士、私ともう1人の男の人、みたいに)
いつものジァンと、やはり田中さんのジァンは全然違って。
自然私も、それに合わせて違うものになるんだけれど。

私のジュリーは、凄く「誘ってる」らしい・・
ちがうも!!ちゃんとジュリーにしてるからそうなんだも!!

今の段階としては、自分の感情できっちりと反応し会話をする・・。
というまぁ基本中の基本なんだけれど。
私は、やってる間は、ジュリーとしてしか反応できないし考えられないから。
そこら辺で、少し田中さんが見ている私の心の中と、実際の私の心の中に差がある気はする。




2004年01月21日(水) 今日は気がつけば飲み会

すっかり忘れていたけれど、今日はバイトの飲み会だった。
バレエに行く気満々だったのに、朝、突然そのことを思い出した。
飲み会には、二ヶ月くらい前に、辞めてしまったバイトさんも来て。
楽しくお酒を飲む。
そうそう、飲んだメンバーの中でお誕生日の人がいて、その人がエンターティナーぶりを発揮してくれていた。
名ホストだ。
なんか、おかしい気もするけれど。

途中、近くで飲み会をしていた、その人のお母さんが乱入してかなり笑った。
楽しいお母さんだった。

っていうか、焼酎の梅がないってどういう事よ?(焼酎お湯割り梅入り)


2004年01月20日(火) 伯爵様がいなくなっちゃった

今日は、宮緒ちゃんの新刊に、てるてる、ゴッチャ、紅茶王子(久しぶりに買った)、コナン君を買って読みました。
コナン君は暇なときに読もうかと、とりあえず紅茶から行く。
ゴッチャは最終巻だったので最後。

で、もうね、どれも色々に私を悦ばせてくれたんだけれど。
ゴッチャ。

あんた、それは漫画だよ?

いや、そうなんだけどね。

哀しいとか、切ないとか、そういうんじゃなくて。

ああ、もう会えないんだなぁ。
そう思って、気がついたら、二筋に涙が流れていた。
今でも、これ書いてる今でも、凄く・・・書いた瞬間に、ちょっと来てしまった。

いや、だから漫画だよ?

確かにね、前の巻や古い巻を見れば彼は動いて生きているのだけれど。
それでも、もう、その先に彼はいないんだよ。
なんだろう、喪失感?
そういったものが、堪らなく自分の中を満たして。
そしてそれは、その場限りではなくて。
思い出すたびに、その気持ちに自分がすっと戻されていく。
そういうもので。

だから、漫画なんですけど?

漫画、現実、小説・・・その境界線が、自分にはとても曖昧で。
というと、怪しいなぁ、虚構と現実の区別が付かないのか、となるけれど。
そうではなくて。
映画や、ドラマはそうでもないんだよな。
見ているときに、その中に入ってしまって泣いても、すぐ現実に戻って、
境界がはっきりしているんだけれど。
やっぱり、本。
小説や、漫画を読んだ後は、全然その世界から抜け出せないみたい。
その傾向は、激しく強いかな。
まるで夢を見ているときの状態のように。

夢を見ている時って不思議じゃないですか。
自分は当事者であったり、傍観者であったり、同時にそのどちらでもあったり。
そして、その事象が、何の不思議でもない。
おそらく、本を読んでるときの私はそういう状態で。
そうして、夢で感じた恐怖や、ぬくもり、そういったものが自分に実感として残っているように。
本の中で、自分が経験した感情は、本当の自分の経験として残っているのです。

もういないんだな。

それが紙上のことであっても、その感情は私にとっての現実なんです。

これからは、アルバムをめくるみたいに読むんでしょ。
やはりいなくなってしまった人の思い出を見るのと、いるひとの思い出を見るってのは、
大きく違うものです。


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