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2001年12月20日(木) チカイノコトバ。

迷信って・・・あるじゃないですか。

例えば。

筆箱の中に鉛筆を背の順に並べたら早死するとか。
霊柩車見たら親指隠さないと親が早死するとか。
葬式場の前通る時に奥歯見せたら親族が早死するとか。

何の根拠もなくて下らないんですが。

結構・・・信じてたんだよねぇ・・・。
何の根拠もないんだけど。

でも。

人間死ぬ時ゃ死にます。


また凹んでマスねぇ〜・・・。
朝からナーバスな話で。
ボロ泣きましたー☆


・・・最近泣き過ぎ。(笑)


親父はネックだなぁ・・・。
俺の。
そもそもメンタルコントロールが出来てないのよね。
お子ちゃまねぃ。








いや、正月の話なのよ。

普通、入院患者には二通りあって、『まぁ、出ても問題ないから正月ぐらいは家に帰る?』ってヤツと『正月はもう二度と・・・最期に楽しませてあげますか?』ってヤツ。
因みに親父は後者。
だから泣いた。
っつか、泣きたかったので泣いた。

人間って死ぬって事はわかってても、今日、明日に迫ってるとは思えないもんだよねぇ〜。
例え入院患者であってもさ。


明日も今日と同じ様に太陽は昇って沈むし、月は夜を照らし出すし。
明日も今日と同じ様にニュースで明後日の天気予報やるし。
明日も今日と同じ様に御飯食べたり、本読んだりするし。
明日も今日と同じ様にドラマの続きはなんなんだろう、って考えたりするし。
明日も今日と同じ様に自分の将来に不安になったりするし。
明日も今日と同じ様に目が覚めて、朝の寒さに顔をしかめるんだって思ってる。



でも、明日がないとしたら。



失敗はやり直せるって言うけど、時間があればの話でしょ。

過ぎていく時が戻らないのは誰にとっても同じだけど、時間の重さは人によって違うよね。
カウントダウンが始まっているのならなおさら。
でも『貴重な時間』ってのはあくまで『健康な人から見た死に直面している人の時間』の事を指す訳で。
『死に直面している本人』にとっては明日も明後日も明々後日も今日と同じ様に巡ると思ってて。

だから、『死に直面している本人』と『健康な看病人』とは同じ重さの時間の過ごし方をしている訳で。
『貴重な時間をそうやって過ごしてていいのか?あんたもうすぐ死ぬのに』って言える筈もなく。



うちの家族にとって、『お正月』は特別行事だったんですね。
所謂『実家』で親達は麻雀、子供達はゲームとかだらだらして。
年越し蕎麦食べて。

『明けましておめでとうー☆』

って除夜の鐘聞きながら言って。
初詣行って、帰ってきて。
次の日はゆっくりだけど、やっぱり一家全員そろってきちんと正座して。

『明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年も宜しくお願いします。』

って挨拶して。
手作り御節とお雑煮食べて。
お年玉とか貰って喜んだり。
隣の本家に挨拶に行ったり。
そうこうしてる内に、かつを子一家合流で。
皆でわいわいゲーム大会をやるんですよ。
それで、正月、これからの休み、皆でどっかいくかー?とか次の遊びの計画を大人達が立てたりして。
子供達は子供達で大人に任せとけば楽しいから、皆めいめいゲームとか遊んだりして。


そういう正月だったんです。
ほかほか家族でエセっぽいけど、生まれてからずーっとそう言う正月しか過ごした事ありません。
それが当たり前だった。
皆揃って元気で。
笑い声が溢れてるって言うか。


まさか、今年が最後になるなんて。


いや、もう今年の正月は去年のそれとは違うんですよね。
24時間体制で、親父に異変がないか、気持ちをきりきり張り詰めて、それでもいつもと同じ風に振舞わなければならない、そんな気が気じゃない正月なんですよね。
所謂家庭内ムードメーカーだった親父は脳ヤられて普通じゃないし。


去年が・・・最後の正月だったんですね・・・。


去年の正月は、来年の正月も同じに巡ると思ってたのになぁ・・・。
21世紀が始まって、大文字とか焚かれて、調子のって見に行ったのに。

『寒いなぁ』
『そうやなぁ』

って。
隣で元気に笑って歩いてたのに。

いや、もうその時は既にヤバかったのかもしれないですけど。
去年の正月の僅か一ヶ月と九日後に倒れたんですから。

じゃあ、マトモだったのは一昨年の正月?

・・・もう思い出せないです。
一昨年の正月とか。
去年の・・・一昨年の親父がどんな事を考え、どんな事を思い、どんな表情で、どんな事を言っていたのか。
親父の後ろまでよく通る張りのある声すら・・・思い出せません。

思い出せるのは、今現在の、生気のない親父の顔。
呂律の回らない親父の声。
会話が出来ない、思い出が持てない親父だけ。


どっちが本当の親父なのかと尋ねられれば、『どっちも。』としか答えられないですけれど。
俺の中では今でも親父が『絶対』なんですよ。
母親には『今のあんな親父でも、あんたは頼って寄り掛かっているんだ』ってえらそうに言いましたけど。
その実、それは俺の事だったりするんですね。


今でも思いますよ?
こんなに俺が泣いてるんだから、早く帰ってきて抱き締めてくれよって。
『わかったから、泣くな』って叱ってくれよって。
がっちりした胸で受け止めてでっかい手で優しく頭撫でてくれよって。
『俺の娘を泣かせるモンなんか俺がやっつけたるからなっ!!』って言ってくれよって。
・・・昔みたいに。


・・・『無い物強請り』ってこの事ですね。


そんな事言ってないで、自分の進路を自分でじっくり考えて自分の人生切り開かなくちゃな時期なんですけど。

俺は『俺の人生の展望』を元気な彼に見届けて欲しかった。
俺がどんな間違い犯しても、『大丈夫、お父さんついてたるからな!!』って言って欲しかった。
子供好きな彼が孫の顔見て喜ぶ姿、一緒になって遊ぶ姿が見たかった。
元気で笑っていて欲しかった!!

・・・んです。


どうして『運命』は人を選ばないのでしょう。
彼は真面目で『いい人』なのに。
俺の『願い』はささやかなのに。
どうしてそれすらままならないんでしょう。


俺は、『これからの俺の人生の岐路』と『取り返しのつかない残りの親父との時間』を天秤にかけてます。
拮抗してて、どっちも取れないから、道の真中で蹲るしかないんです。
結局、それは『逃げ』なんですけど。
しかも究極に『子供っぽい』手段で。


俺には『時間』があります。


だから、今、大学進学を諦めても、大卒の免許はいつか取れるでしょう。
それはとても困難な事だけれど、自分の努力でどうとでもなります。

例えば、『現役進学』を諦めて、『残りの貴重な親父との時間』を取ったとしましょう。
ま、彼は俺に大学進学を望んでいるでしょうから、それを諦める事は親不孝になるって言うのはこの際置いといて。
『残りの貴重な親父との時間』を選んだ俺は、『現役進学』で得る筈だったいろんな物を得損ねる訳です。
だからって『現役進学』を取ったら『残りの親父との時間』を損なう訳だから。

どっちも大切。

どっちも過ぎたら戻らない。

初めての『選択』にしては重過ぎると思いません?

それで俺はビビって蹲ってる訳ですよ。
立ち上がって、前を向いて、元気に一歩を踏み出そう、って気持ちにどうしてもなれない。
二者択一にするには、失う物が大きすぎる。


ま、蹲ってても時間は流れるし、事態は進んでいくんですけど。
最近は、やっと心持も回復気味で勉強もボチボチやってたんですけど。



今朝、改めてショックを受けまして。
寝起きで精神が無防備って事もあったんだけどね。

で、ボロ泣いたって訳。

目とか腫れて末期だから、一二限サボって朝風呂入って、昨日録画したギボサン見て、ネット繋いで気を紛らわせて学校行きました。
体育だけ出ようと思って時間調整して行ったら、特別時間割になってて、うっかり
三限も遅刻になりましたけど。
この際そんな事ぁどうでもよく。
別に休んだって出席日数は全然足りてる訳だから問題ないし。

キャプテンとみきちゃんとナオキチさんとに
『どうしたん?大丈夫かぁ?』
と言われ、そん時はまだ全然頭ん中整理ついてなかったので理由が説明できなかったけれど、そう言う訳です。
そう言う訳で朝、サボりました。
読んでくれてるかどうか知らないけれど(みきちゃんは読むだろうけど)、心配ないです。


『俺は元気です。』


この日記もボロボロ泣きながら書いたんで、文章なってないかもです。
誤字・脱字、上等です。
感情の赴くままに書いてるので、読みにくくてごめんなさい。




貧しき時も、富める時も。
病める時も、健やかなる時も。
俺は・・・。



・・・を誓います。


 昨日  記録  明日


狗神史狼 [直訴]

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