| 2003年07月09日(水) |
どんな時だって たった一人で。 |
うぉー。。。 世も末ですねー。 長崎幼児殺人事件12歳中二事情聴取ニュースを昼間に知り、気になりつつ今ニュースステーション見て泣きました、しろきちです。 なんでそんなに簡単に殺したりできるんかなー・・・。 駿ちゃんはそんな死に方をする為に生まれてきたんじゃないのになー・・・。 ホント、情け無い。 つぅか、憤り。 別にさ、その12歳男子がピンで悪いとかじゃなくってさー・・・。 こう、なんか、未だ十代子供代表としては申し訳なぁですよね。 命の重さをわかってない。 死にたくて死ねないヒトも、死にたくないのに死ぬヒトも、死ぬのがわかってて懸命に生きてるヒトも、生きることを意識しないで簡単に生きてるヒトも、世の中には沢山居るんだよぉー。 勿論、虫だって、動物だって、植物だって、山だって、海だって、川だって、地球だって生きてるんだよぉー。 ヒトはさ、ただでさえ殺して生きてるんだよ。 それを、わかってない。 だから、殺せる。 私は、必要最小限にしたいと思うけどね、『殺し』はさ。 そいで、『殺される』のを待ちたい。 自分より強い『何か』に殺されるのを待ってる。 それが、時間なのか、超常現象なのか、天変地異なのか、それとも今隣で笑ってた誰かなのか、わかんないけどさー。 それが、因果応報ってモンだと思ってたけどね。 今のちみっ子は違うんかねぇー。 身近な誰かが死んだことないからそう命を簡単に考えちゃうんかねぇ。 ヒトは、寿命を全うしなくちゃならない。 生きることが苦でしかなくても、それはきっと何かの罰だから。 どんなことがあっても、自分で命を絶っちゃならない。 死にたくなくて死んだヒトが、浮ばれないからさ。 自分で死ぬなんて、簡単に言ったら超甘えたの最上の我儘だ。 ホントは強いのに、弱いふりして甘えてるんだよ。 生きることが辛過ぎて、逃げてるんだもの。 逃げることが絶対悪いとは言わないけど(だって私だって色んなコトから逃げてるし)生きることと死ぬことだけには真摯で厳しく在りたいと思う。 こんなに早く、親父を亡くした意味を私は考えなくちゃならない。 生きることと死ぬことは、簡単であるからこそ難しいんだ。
そんなこんなで、たった一つのレポートも九割方終りました。 てゆか、今日の三限にちまちまやってたの。 『苺摘みの季節』の解釈&評論。 なんか、現代中国論聞きながら(ex.中華民国と中華人民共和国についてとか)思春期がどうとか、乳房がどうとか、初潮がどうとか、処女喪失がどうとか考えてる自分がドゥーかと思ったね(笑) しかも真剣に、評論調に。 明喩がどうとか、暗喩がどうとか。 あー・・・何やってるんだろう、私、みたいな。 よかったら、読んでみて。 『苺摘みの季節』。 超短くて、超エロテックで、超思春期のリアルだから。 言葉って、綺麗だなーって思う瞬間。 やっぱ、評論とか、論文とか読むよりは小説とか空想モノとか読んでた方が言葉の感動度は大きいよね。 評論とかは公に一般的に通じる記号を使った、って感じの言葉だけど、小説とかは自分世界の言葉をそのまま使ったーって感じがするから、個性があって好きなんだよね。 わかってもらえなくてもいい、私は、私の世界を、こういう言葉で表したいんだー!!って言う体当たり加減が好き。 って、私が一番好きなのは、エッセイなんだけどね。(笑) 小説とかは100じゃなくても大方が想像の産物でしょ? でも、エッセイは多くが現実とリンクしてるから。 『私世界』と、その本を書いた『作者世界』が、共通の『現実と言う場』を筒にして繋がり合えるって言うか。 小説とかよりは、自分語が少ないから理解しやすいだよね。 そのヒトの世界が。 だから。 まぁ、私もそんなに本の虫ってわけでもないし、大して読んでもないんだけど。 せめて課題にしろ、薦められたにしろ、突き当たった名文に感銘できるココロで在りたい。 そんな、口で言う程簡単なことじゃないんだけどね。(笑)
あー、明日も一限からだよー。 早く寝なけれバー。 と言うことで。 お疲れ様です☆
突然の光の中目が覚める。
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