皇帝の日記
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2012年02月07日(火) 朝の山手通り

子供が虐待の犠牲になるような、痛ましい事件が起こるとすぐに「母性本能はどうした?」という論調を展開する記事が出て来るけど、違うだろうよ。

本能の通りに生きていたら、花福の母のごとく、子育ての仕方もわからんまま子供を餓死させてしまうだろうに。
本能のままに生きたナナモモ母は、産後子どもらを打ち捨てて、今や行方知らず。
本能で出産子育てしていると、マンボウは3億個タマゴ産んで、生き延びるのは2匹とかだぞ。
それが自然。
自然のままの出産育児は、本来ものすごく効率が悪いのだ。
自然に本能のまま出産してたら、皇帝はどっちの子も産めなかった筈だし、母乳育児の痛さに挫折して、育てられなかったところだ。

だが我々は人間なので、本能ではなく理性で出産育児に挑む事によって、本来育たなかったかもしれない赤ちゃんにまで愛情を注ぎ、立派な納税者(いやだな)に育て上げる事が出来るのです。

我々に求められるのは、100%の母性本能ではないし、100%の理性でもない。
本能で可愛がって、理性で育てる。
それで生存率が保たれるわけです。

パンダのように子孫繁栄にやる気の無い種も存在することを考えれば、また人間も自然に生きていく気が無くなっていっても、不思議ではないと思うんだが。

まあ、あんま本能本能言いなさんな、と思うわけです。
りんごか。


皇帝