- different corner -
DiaryINDEX|past|will
時々、人の想像力に対して 感動をとおりこしてあきれてしまうことがある。
自分の中で作り上げた相手と自分が一致しないと 相手が嘘をついているのだと思い込んだり 何か隠していると問い詰めたり、 あげくの果てにこちらの「理由」を勝手に作ってみたり。
自分の意志と自分の見え方が一致するのを 待っていたらいつまでたっても何もできないし、 自分のやってることを説明しても 言葉どおりにはとってくれないので そういう人には何も言うつもりはない。
遠巻きに見てる人は遠巻きで理解できる 範囲でしか理解するつもりがないのだ。 彼らが見ているのは彼らの中で作り上げた 妄想の私であって、私そのものではない。
言葉は自己表現のツールの一つではあるけれど、 それを他人にむけて発する場合は 他人の想像力をかきたてるカギにしか なりえないのではないかと思う。
相手に何かを伝えるつもりで こちらが言葉を発してみても、 相手は相手の角度からしか物事を解釈できないから、 相手の想像力の範囲内でこちらの表現を適当に解釈して 「わかった」ことにするしかないから、 たぶん本当には「わかって」いない。
たくさんこちらが言葉を発するうちに だんだん修正されていくのだろうけど、 何も聞く気がない人の想像を修正するのは無理だ。 言ってもすべて曲げてとらえられてしまうのだから 発する気もあまり起こらない。
思えば今まで、私はどうでもいい人や 嫌いな人にまで言い訳をしようと必死だった部分があった。 きっと自分をよく見せたかったのだろうけど、 聞いてもらう機会すらないし、 彼らにちゃんと自分の意志が伝わることなんてありえないのに 何をあせっていたのかと思う。
でもきっと、もう年なのだろう。 脳細胞が余計なことのためには 動かないようになってしまった。
自分のやってることに対して説明義務があるのは 自分とその必要がある最低限の人だけで、 あとはどうでもいいと思う。
そのせいでいやな目にあわされても、 そういうもんか、と思うだけだろう。 話を聞く気がない人にまで気はつかえないし、 物事がうまくいかない場合のほうが多いから いまさら驚く気にもならない。
ただ私は、自分が必要だと 感じることをするだけだ。
BGM : Lucy's - Mindi Abair
|