ぶつぶつ日記
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2001年09月24日(月) 「そこ」にいない選択

以前も紹介したアメリカ在住の方のメルマガ最新号が届いた。
今回はジュリアーニNY市長の事件後の対応や、
その方が住んでいるボストン市長の日常的な行動を例にして、
「そこ」にいることの重要性がわかりやすく書かれていた。
確かに、「そこ」にいることがとても大事なことはわかる。
「そこ」にいて、力になること。
一緒に考えること。
事実を知ること。

私も今回の事件に関して、
今後どうするのか、どうなるのか、
「そこ」にいて一緒に考えたいと思う。
最善の解決方法を見つけられるよう、
日本政府も積極的に「そこ」に参加して欲しいとも思う。

でも。
もし「そこ」が報復行動を意味するのなら。
私は意識的に「そこ」にいない選択をするだろう。
そして日本政府にも「そこ」にいて欲しくはない。
意識的に「そこ=報復行動」の場にいない選択、
それは非難されるべきものではないと思う。
少なくとも
「何となくそこにいる」という情況よりは、
確実に別の「そこ」にいる選択だと、私は思う。


【参考サイト】
ボストン読本
http://www.geocities.co.jp/Bookend/2697/


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