ぶつぶつ日記
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2002年01月21日(月) マスードの面影

アフガン暫定自治政府のカルザイ氏がいやに派手にクローズアップされている。
確かに、この人はとてもハンサムで、その上民族衣装をうまく取り入れた服装、
物腰もやわらかく、「紳士」という感じがする。
「今年もっとも注目すべきファッショナブルな男性」と
グッチに称されたのも、妙に納得である。

彼を見ていると、もしマスードが生きていたら、
ここにはマスードが立っていたのかな、とふと思うことがある。
しかし、それと同時に、
現在のお祭りムードとも言える国際舞台に立つマスードは、
想像しにくいとも思える。

彼を初めて目にしたのは、いつのことだろう。
まだ、ソ連がソ連であり、アフガンに侵攻していた頃だったと思う。
なんとまあ、かっこいい人だろうか、と彼を見て思った。
そして、彼は彼らしく、最後までアフガンにとどまり、
暗殺者によって、非業の最期を遂げてしまった。
数ヶ月後の現在の、平和への扉が開くのを待たずに・・・。

マスードのことを精錬潔白な人物と称するのは誤りかもしれない。
彼もまた、アフガンの多民族国家に住む指導者として、
敵対する部族の村を襲撃、虐殺すると言う愚を犯している。
そして、彼は「天才なカリスマ」ではなかった。
その証拠に、彼はソ連撤退後の混乱するアフガンを掌握することは出来なかった。
しかし彼は、まれに見る努力家だったと思う。
現在のアフガン自治政府の閣僚達のほとんどが
混乱するアフガンから一時脱出していたにも関わらず、
自分はおろか、家族すら国外に逃がすことなく、
妻と5人の娘とともに、アフガンにとどまった。
2度と同じ失敗を繰り返さないために、
しっかりと自分自身を抑え、着実に、そして粘り強く、
アフガンで指揮を取り続けていた。

彼はマスコミをうまく利用する術も知っていたが、
やはり、現在のような華やかなスポットライトの中心に立つ、
洋装のマスードなど私には想像できない。
アフガンの荒涼とした山岳地で、
緑なす草原の村で、
アフガンの民族衣装を身につけ、
日差しがまぶしいような、恥ずかしがっているような、
そんな目をしていた、その姿こそが彼らしいと思う。

そして、ブルカを脱ぐこととかぶる事、
その両方の権利を守ることを知っていた父親の遺志を受け継ぎ、
未来の平和になったアフガン政府の中心で、
亡き父の意思を受け継ぐ女性閣僚に、
彼の5人の娘のうち成長した誰かの姿を見たいと、
心から願う。


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