個人はすべて、自分が中心であるところの、
絶え間なく変化している経験の世界に存在する
一秒一秒、意識的に無意識的に私的世界は絶え間なく変化している。 その経験がどのように知覚されたかを知る事が出来る唯一の人間は、その個人である。 相手がどのように経験されたかを、鮮明に、もしくは完全に知ることは絶対に出来ないのである。 他人も、わたしと同じくらい完全にそれを知る事は絶対にできないのである。
私は、GacktさんのFC旅行の知らせを、友達から教えて貰って・・・ 迷わず思った事が「行くんだ!!!」って事。 急いでポストに駆け寄って、届いた会報を見る。
詳細をこの目で見ても迷いは全く無く、「行くんだ!!!」って想い。
ついこの間までの自分からは、考えられない思考回路です。
私にとって、Gacktさんという存在は・・・言葉で言い表すならば、 「教祖」って感じが一番近かったかな?? 笑っちゃうけれど、本当にそんな感じ。 近づいてはいけない、近づきたくても、絶対に近づけない。 遠くから、神々しい姿を拝んで、幸せを浴びる事が出来る。 教祖の世界、言葉を全身全霊で受け止め、入魂する。
もし、あのお方をこの手で触れてしまった瞬間・・・ 教祖では無くなってしまう。 「人間なんだ」って事を実感してしまう。
Gacktの世界を今までのように純粋に想う事が出来ず、 現実と妄想の狭間で自分自身が破壊されてしまう。
そんな恐怖があったのです。
でも。
私も、ちょっとは変化したのかもしれないな〜 そんな柔な精神では無くなった・・・と思われます。
絶え間なく変化している経験の世界が、少しずつ私を変化させていたんだ。
恐怖は無くなった。
Gacktは私にとって、永遠にGacktであり続ける。
教祖では無くGacktなんだ。
Gacktに逢いたい。
ただそれだけです。
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