どっかの月9ドラマではなく(笑) ウェブ拍手にて、『失敗した時に「私のせいだ」って思うと言うことは、このえさんはプライドが高いのでしょうね』というコメントをいただいて、ちょっと考えてみて。
ああ、確かになあ、と自分で納得してみた。
プライド、高いです。 んー、と、プライドというか、何ていうんだろうなあ、例えば私は先輩やちい姫の性格設定に、『常に誇り高く汚れることを知らない』というのを作っているのですが、先輩やちい姫、メロリンちゃんとかもですが、夢の主人公たちはみんなどこかしら私の分身でもあるのですよね。 だから、本当は私も誇り高くありたい。つーん、ってしてる意味ではなくて、自分の目指すもの、立っている場所、そういうものに対して外から何を言われようと、どんな横槍が入ろうと、それを曲げない人になりたい。 誰だったかな、溌人さんか?前に言われたのですけど、「このえさんは自己評価が低すぎ」と言われて。 「他の人だったら、あー、このくらいでいいや〜、って適当に手を抜いちゃうものを、ここまでは絶対!それでなくちゃダメなの!ってえらい高水準に設定しちゃうから、それと比して評価が低くなっちゃうんだよ」 って。もちっとボーダー下げなさい、と言われて、私はきっと、誇り高く在りたくて、周りの横槍に揺らがない人になりたくて、でもそこまで行くのはとても遠くて、だから「へにゃ」ってしてしまうのかな、と。 『こうありたい自分』と『実際ある自分』とが微妙に乖離してしまってるのがいけないのでしょうね、私は。 …そんな風に自己分析。
だけど、同時に『それでも生きていくのが生命を繋ぐ者として、平和な国に生きるものとしての務め』だとも言われて、それは私も同感なのです。 少なくとも、生きる、ということに対しての私のモットーは、『私は絶対この国の平均寿命までは生きて、老衰で逝こう』というもので、いっそ無駄に清々しいくらいには生に対する執着があるのです。 ええ、もう、私は自分が病気で死ぬとか、ましてや自分で…なんて想像が何故かまるで出来ないのです。うっすら頭の隅を過ぎることはあっても、「いや、それはない」と何故かそれだけは。 実際問題なんか毎日崖っぷちで薬がないと日々の生活も怪しいような人間の癖に、何だその矛盾っぷり、と自己ツッコミが入る程度には。 うまく言えないけど、与えられた生の限りは、私は生きる。 あああー!!って悩んで転げまわって「もう嫌だ、もう無理!」て思っても、私は奇妙にプライドが高いと同時に意地汚いので(苦笑)お皿に料理が残ってる以上は、「勿体無いから食べる」って言いますよ。
でもとりあえず明日は心療内科に行くです。 プライドが高い私も、弱い私もどっちも私で、今はまだ、ヤジロベエみたいに揺れているから。
そして今日は、弟から「美幌に植林に行く」と聞いて彼の学校はいつも面白い催しがあるものだと感心したり、最近各方面からの影響で今更『トリニティ・ブラッド』を読み出したせいなのか何故か夢にHC‐�鍬昌瓩�お出ましになったり(追いかけられました、怖かった…)、母上と買い物に行って美脚に見えるパンツを買ってもらったはいいものの、サイズ下一桁が4から1になっていて「…あー…」と思ったり(体重は変わりません、念のため)してました。 そろそろ何か更新したいなあ…。
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