| 2005年11月29日(火) |
妖怪について考えてセンチメンタルになってみた。 |
『妖怪大戦争』のノベライズを図書館で借りたので読んでたんですが。 とても軽快で面白くて深いお話だったんだけど、読み終わってなんか切なくなったのですよ。 妖怪ってのは善悪とか好悪とか愛憎とかそういう感情とは無縁で、楽しく歌って踊って人間驚かしてたらそれでいいのですって。 だけど妖怪は真っ暗闇がないと出て来れなくて、だんだん人間が勢力を増して来たからちょっとずつ住処を奪われて。それでもどこかには住んでいて、ふとした瞬間に姿を現しては人間脅かして笑ってるんだろうなあ、って読んでて思ったんですけど。 切なくなったのはそういう、突き詰めれば人間の傲慢だとか自然破壊だとかそういうのも、まあ起因はするんでしょうが、何となく、でもきっと私はもう妖怪は見れないんだろうなあと思って、それが寂しかったり。 妖怪に会えるのは純粋な子供だけなんですって。嘘をついたことがない、純真な子供だけ。大人になっちゃうと嘘をついたりその他いろいろズルっこいことを覚えちゃうから、そうするともう妖怪は見えないらしいですよ。 何だろう、うまく言えないのですが、その上語り出すときっとまたメンタル方面に話が行きそうであんまり読んでる方に優しくないと思うのですが、まあもしお暇でしたら時間潰しにでもどうぞ。「嫌じゃ」って方はすっ飛ばしてください。
とりあえず私はとっくに『大人』なわけですが、どこかで「大人になんかなるもんか、ぷー」とか言ってる自分がいるのもまた事実。 一個ずつ知らなかったことを覚えて、出来なかったことを身につけて、そういうステップを踏んでいくことが『大人になる』ってことなら、それは嫌なことではないのです。知らない何かを知る、出来なかったことが出来るようになる、それは嬉しいことだから、そうやって一個ずつ成長していくのはむしろ歓迎すべきことなのでしょう。 ただ、大人になるということはぽやぽや空想の世界にだけ生きているわけにはいかなくて、子供の頃に確かに見えていて、信じていたものを、忙しさや喧騒の中に置き忘れて失くしてしまう。 「大人になると妖怪は見えない」っていうのはそういう意味なんだろうなと私は思ったのですけど、それが大人なんだったら私はずっと子供でいいやとも思う。 でも私が幾ら子供のままでいたくても大人に「ならざるをえない」ことは絶対あって、そういう事態に出会うと、何かを一個ずつ落としてきた気がする。「あ、やべ落とした」って思ったら必死でかき集めるようにはしてるんだけど、取りこぼしは絶対ある。 失くしたくは無いけど失くしてしまう、それを割り切れたらきっと立派な大人になれるのかもしれないけど、私は割り切れないからいつまでもグズグズしていて、妖怪に会いたいんだけどでもやっぱり会えなくて悲しい。 妖怪もサンタクロースも妖精もホビットもドワーフも天使も神様も、今でも私はその存在を信じているしきっとこれからも信じ続けるだろうけど、それはやっぱり、小さいころに信じていたようなキラキラした気持ちでは多分ない。それが『違う』と自分で分かってしまえるところがまた私があんまり純粋じゃない証拠で、だから私の前には妖怪は出てきてくれないと思う。 ちゃんと働いて、税金払って年金払って、この国のシステムに沿って生きていくことは別に悪いことじゃないと思うし、そうするべきなんだろうと思うけど。私の場合まず今現在ちゃんと働けてないという負い目があるのでそんなことを考えるのかしら。 システムに沿うのは苦ではない、でも、システムの一部になって自分が持ってたものを全部無価値だと捨ててしまうのは嫌。
…とか考えつつ私が何をしてたかと言えば封神の夢小説を漁っていたという体たらくなのであんまり説得力はないですな。聞仲さま!
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