2001年02月08日(木) 自殺志願者

今日のAM1:00くらいから
ずーっと暗黒系サイト回ってたら…
興味深いものにいくつかたどり着いた。
その中でも印象的だったのが
『IKOINOBA』
と言う自殺志願者のHP。

そういうHPってある意味で嫌われてるけど、
でも、とても生きるという意味について考えさせられるHPだと思う。
黒い部分、嫌な部分、汚い部分、悪影響な部分。
社会はそういうものをはじき出そうという力が何処からか働いているみたいだ。
(あえてココにそのURLは書かない。)

実際そうではない。
自殺志願者全ては『望んで』そうしているわけではないのだから。
ある意味では確かに『志願者』なのだから『望んで』はいる。
しかし、ある意味で『生きたい』と思っている者達だ。

どうしようもない絶望に立った時、はたして自分が常に
立っていられるかと問われれば、その自信はない。
人には平等な価値感はない。それぞれに絶望のレベルは違うだろうが。

自殺は、確かによいイメージはなく、完全に否定されるものである。
生きることが何よりも素晴らしいと言われるが
その理由はと言われれば、つまる人も結構いるのではないだろうか?

生きることは素晴らしいこと。
ある意味でそれを知らない者達である。
また、ある意味では極めたものと言えるのかもしれない。

自分が生きることに初めから意味はないと僕も思う。
ただ、自分で意味をつけるものだとは思う。

生きることって何だろう?
そのことを考えると彼らは頭痛が起こるらしい。
睡眠薬、果ては麻薬・覚醒剤。

しかし、彼らが求めているものは、
もう既に生きる『意味』や自分の『価値』と言ったものではない。
ただ、彼らは『死ぬ勇気』を求めている。

この世の中、
それはそれは汚いことが多い。
近頃のニュースなど、聞いていても半分以上は悲惨な事件ではないだろうか?
悲惨を助長するかのように、ニュースは民間に流している。

悲しいこと・苦しいこと・悲惨なこと・怖いこと。

しかし、それから目を背けることで、果たして自分はいいのか?
次々と蓋をしていけばいいのか?見なかったことにすればいいのか?
忘れればそれでいいのか?何かで紛らわせればいいのか?

自分はそれでいいのか?
僕は違う。そうはありたくない。
見たい、と言うのでもない。
ただ、何も知らないくせに、否定するのもされるのも嫌いだからだ。

そして、逃げるということは
それは、大切なものまでなくしてしまいそうだからだ。

今日、中学校時代から仲の良い友人と、久しぶりに会う約束をして遊んだ。
すごく楽しかった。時間が早すぎた。
くだらない、バッティングセンターやストラックアウト。
ゲームセンターに食事とか世間話とか。

楽しかった。なんで言葉にして並べてもくだらないのに
あんなに楽しかったのだろう?

彼には一度救ってもらった恩義がある。
その恩義がなかったら、僕は今こうしてはいないとさえ思う。
大切な友人だ。
彼は別れ際にこう言った。

『こっちに僕が帰ってきたら、また遊ぼな。』

なんて嬉しい言葉なのだろう。

世の中には確かに汚い部分ってある。
もう、どうしようもないって思える人間さえいると思う。

だけど、自分を愛してくれる人、素晴らしい事、幸せなことってのも絶対にある。
何気ない言葉が泣けるほど嬉しいことって絶対ある。

そのために苦しむこともあるだろうし、悩みも増えるかもしれない。

僕は福祉の汚い部分をいろいろ知った。
ある意味で知りたくない部分だった。
聞いていて、自分の祖父母がそういう目にあっていたらと
考えると、涙が溢れてくる。

だからといって僕は諦めないし、背きもしない。
現実というものを知った上で、自分の道を作ってみせる。
挫折もするだろう。でも、僕は立ち上がってみせる。

今日読んだ本にこんな言葉が書いてあった。

『人間ころぶのはちっとも不名誉じゃありませんよ。
ころんだことのない人間なんて一人もありませんからね。
病気・進学の失敗・事業の失敗・失恋
人生にはいろいろなころびがありますよ。
不名誉なのは、
ころんだことじゃなくて、起き上がれないことじゃないんですか』


ころんでも、すぐにじゃなくても、立ち上がって
また歩き出せる人間を僕は目指している。


 past    will


sk6 [手紙] [Ai to U]

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