2002年06月13日(木) プレゼント

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髪切りました。
ベッカムヘヤーか。

とか言われたら、もう本当に悲しくなります。


写真そのうちUPします。
ただ、FFFTPとか使うのが面倒なだけですが(何


そう言えば、昨日後輩から相談ごとがあると言われて、
話をしました。

車椅子の女の子で、名前をヒオキと言います。




僕は彼女が好きなんですよね。
うーんと、
もちろん後輩としてね。恋愛感情ってヤツはないですよ。


ただ、アノ子と話してるとー・・・
なーんか、いい気分になれるわけ。

ってのは、
やっぱ自分と同じように考えている人ってのを見つけることってのは、
やっぱ嬉しいことなんよ。

・何か自分を変えていけないか。
・小さいカラに閉じこもっていた自分を蹴破りたい。
・何か自分にできる世の中のためのことはないか。
・何が今一番すべきコトなのか。

思うことは簡単です。
そう、
思い遣ることは誰にだってできます。
元々人にはそういう、哀れみとか、相手の気持ちが分かるからだと思います。

いや、元々じゃないな。

一般的な悲しみ(例えば、テスト悪かった・お金落とした・ケンカしたなど)は、
人生のうちで、経験をある程度の人がしているから
分かることだと思います。

だから、経験してなかったら、やっぱり人ってヤツは
残酷なコト知らず知らずに言うてしまってるのかもしれないね。

そのつもりはなくてもね。そういうことってあるでしょうな。


ただ、そこから「いたわる」ことができるかどうか、
思うだけで「行動に移す」ことができるかどうかが、
人の価値って言うか、根性って言うか、
人との違いってヤツやろうな。


私に何が今できるんだろう?


そういうコトを彼女は僕に言うてきました。
僕はできる限りの話をしました。

僕は1年の時、そういう風に思ったことないし、
今やからこうやって書いているけど、
一年前の俺なんてめっちゃ浅はかやったと思うから、
だから、ある意味で、ヒオキはとてもスゴイナァと思います。


好きなモノこそ上手なれ。
適材適所。


僕は最近その言葉をよく言います。
なんでかって聞かれてもわからんけど、
ほんまにその通りやと思うからです。

好きなものやったら頑張れる。

物事はそれが自分に合う人と合わない人がいるってこと。


それがある意味でその人「らしさ」みたいなトコでしょう。
「らしさ」って言葉を聞くと、
よくこんな風に言いますね。


・そうあらねばならないのか。
・いつもの自分でいつもいなければいけないのか。


うーん。
それは違うと思うんだよね。

らしさってのは「アナタ」らしさってことじゃなくて、
やっぱ「自分」らしさってことよ。

一番自分が好きで、頑張れること。楽しいこと。

それを他の人がやったら
なんでこんなことがおもろいんやろう、超つまらん。


って言う人もいる。


そう言う人がいる中で、
「自分」って存在はソレをとても楽しくすることができて、
いつからかそれが生きがいって言うか居場所って言うか。
そういうものに変わりつつあるってこと。


それが「らしさ」じゃないでしょうか。
押し付けられるものでも、強制的なものでもないなんて、
何となく分かると思うんですが。


自分が辛い時に、
「アナタらしくいて」
とか言われると、皮肉にとっちゃうのかもしれませんね。

ま、ソレは誰にだってあることのような気もします。



車椅子だからって何もだから始められないわけないんですよ。
車椅子のキミだからこそ理解できる同士の気持ちが必ずあるでしょう。

ココは通りにくいだとか、角度がキュウだとか。
車椅子を持ち上げる時はこうやるのがいいとか
車椅子社交ダンスとか。

不便ではありますが、それはどれだけだってプラスにもってけるわけです。
同じような思いを他の同じ体をもった人たちにさせたくないと、
彼女は思っているようです。

そのためにまず、この大学をより活動しやすい大学。
本当のバリアフリー化を目指したいみたいですね。

そのためには福祉住環境コーディネータを勉強して
テスト受けてみるなり、
大学のあちこちを廻ってみたり、

色々なことができるわけですね。

ソレは別に学校だけにこだわらず、
三重県の地域雑誌「simple」の元編集部にいた人が、

自分の彼氏が車椅子に乗った人だったらしいです。

シンプルに載っている。。。
例えば、料亭・レストラン・公園・遊び場・レジャー施設。


そういう場所を徹底的に調べて、バリアフリー化されているところを
ピックアップし、
身障者たちのための雑誌を発売したら、馬鹿ウケしたらしいです。

そして、その活動は今や大きなNPO活動となり、
今もその方は頑張られているそうです。



思っても、行動できない人がたくさんいる中で、
行動している人は確かにいて、

こうやって世の中を変えていきたい!こうなればいいのに!


って思いは頭の中でめっちゃ渦巻いているのに、
それをただの愚痴にしか変換できないでいたりする。

「過去」にいつか変わるだろうって人任せにしてきた結果、
「今」に様々な問題を抱えていることって多いと思う。


どれだけの不満や不平を抱えて僕らは生きているのだろうか。


もっとこうすればいいのにって思いながらも変えていけないことが
ありすぎて、それがストレスになっている部分って間違いなくある。


こうじゃないのかな。コレが正しいんじゃないかなぁ

と思いながらも。

コレの方が効率よくないかぁ?アイツ辛そうだなぁ。


そう思いながらも「上」に逆らえないでいることって多い。



そんなに強い人ばかりではないと、人は言う。


だけど、
それは間違っていて、

誰もが皆、その意思を突き通せたはずもなく、
自分の全てを実現した人なんて滅多にいない。

ただ、ほんの少しの勇気と後押しが、
今、現在頑張っている人たちの源になっているのじゃないかと思う。


いつまで僕は人のせいにして生きていく?


時間がない時間がないといって、

どれだけ自分を慰めてきた?


仕方ない仕方ないといって、どれだけを諦めた。

学校・時間・バイト・トモダチ・性質


どれだけ人のせいにすれば気が済む。




ヒオキはうまく言葉が喋れない。
しっかり耳を傾けてあげられなければ、
話をうまく聞き取れない時もある。

でも、彼女の言葉には1つ1つ熱がこもっていて、
僕は彼女と話しているときがとても好きだ。

「高校まで擁護学校で、自分の世界がとても狭かった。
 この大学へ来るだけでも、勉強だけでも
 本当に辛かったし、頑張った。

 親には決められたことばかり押し付けられて、
 自分の本当にしたいことを見つけられなかった。
 大学に来て、大切なトモダチや先輩に出会えて、
 もしかしたら、自分も変われるかもって思った。
 
 私にできることを探したい。
 私の適所を探したい」



人は弱い生き物で、
簡単な陰口やつまらない言葉で傷ついたり、やる気なくしたりする。
でも、人の素晴らしいトコロは支えてくれる人が確かにいて、
簡単な言葉や1つだけの幸運でまた立ち上がろうとできるところだと思う。


昨日、ヒオキと話しながら一緒に帰ったら、

バスに乗る前に一年が一緒にバスに乗せるのを手伝ってくれた。
バスの運転手さんも、就職課の課長も手伝ってくれた。

降りる時はその人たちに加えて女の先輩が手伝ってくれて、
電車の時間まで一緒に話をしていた。

電車の改札口を抜けるときに、
車椅子は幅を取る。
改札の前に立っていたおばさんはすぐに気付いてくれて、
僕とヒオキに
ごめんね。
と言って、ヒオキはニコリとし、僕はありがとうございますと頭を下げた。

電車に乗り込む時に、
電車のドアの少しの段差に戸惑っていると、
中に座っているおばさんが助けてくれた。
お礼を言ったら、
いえいえ。
と、ニコリとおばさんはしていた。
ヒオキは、行き返り電車から乗り降りする時は、
駅員さんがいつも手伝ってくれる。
ヒオキはありがとうといつも言うている。


ヒオキは言っていた。

「前は
 ごめんなさい。
 と私は言っていました。
 だけど、最近は、
 ありがとう
 って言うようになりました。
 
 私の体はコウで、仕方ないし、
 ヤッパリ一人ではどうしようもないから。

 私は人に迷惑かけて悪いなぁっていっつも思ってました。

 でも、快くそれをしてくれる人がたくさんいて、
 私は今はありがとう
 って言うてます。」


素晴らしいことだと思う。
彼女は俺何かよりずっとかえらい。




福助って人形を読んでいるあなたはご存知だろうか。

http://www.google.co.jp/imghp?hl=ja

で、福助と打ち込んだら見つかると思う。

福助は商売繁盛を願った人形である。


しかし、実はその根本は
水頭症の子どもを表しているそうだ。
だから福助の頭はとても大きく体の半分を占めている。

昔は、障害を持った子は福を呼ぶといわれていた。
誰が言うたことか知らないが、
誰かの助けを借りてでないと生きていけないその存在を
とても裕福な家(もしくわ、これから裕福になる家)にしか生まれないとして、
あがめられていた。


その考えは素晴らしいと僕は思う。
その存在は人を幸福にしていたのだ。




ヒオキを同じモノとして捕らえているわけではない。
ただ、彼女がいることによって
迷惑というよりは、とても優しい気持ちを振りまいていると思うのだ。

ありがとう

と、言うてもらえることはとても嬉しくて、くすぐったいことだ。


公共広告機構のTVCMに、


「指一本でできる誰かのためにできること」


ってのが少し前にあった。
車椅子に乗っている男の人がエレベーターのボタンを押そうとしているが、
届かない。
そこで後ろから小走りの人がやってきて、
エレベーターのボタンを押てあげるって内容だったと思う。

確か車椅子の人は

ありがとう。 もしくわ、 頭を下げていたと思う。



誰かのためにする相手を思った行動は、
相手を柔らかい気持ちにして、
自分にも爽やかな、温かい気持ちになれる。


ヒオキはどれだけの人を温かい思いにしてきたのだろうか。


辛いこともあっただろう。
けど、彼女が今、とても優しく、鮮やか笑うのは、

きっとたくさんの人からの優しさや笑顔に触れたからだろう。



優しさとはそういうもので、
何かによって作られるものだとも僕は思う。

補い合うのが人で、
補い合えるのも人であろう。




今日、僕は何人に挨拶をして、
何人の気持ちを揺さぶったのだろうか。


そんなことを考えながら生きていくのも何かつまらないけど、


一日の最後の寝る前に、

少し、今日一日のことを振り返りかえりみて、


自分のしてきた行動を思い出すのも悪くない。




そんな時、僕は、


色んな人に

「生かされている」


のだなぁと、
僕は心から思うのです。


 past    will


sk6 [手紙] [Ai to U]

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