橘的徒然日記
日々の出来事を徒然なるままに・・・
ってか、思ったこと

2005年07月02日(土) だらだら坂をのぼるような話1

日記のネタができそうにない本日
何を思ったのか
生きてきた年月を振り返ってみました

……………
色々あったなぁ……
まだ30年は生きてないのにな

生まれなかったかも知れない命であったことを思い出してみたり

うまくすれば
高校卒業と同時に人妻になっていただろうことを思い出してみたり

そんなことを
思い出してました

朝の5時に起きて

これからは
日記のネタがない日は
そんな生きてきた日々のことを徒然のままに
書いてみようかと思ってみたり
誰もききたがらないでしょうが


橘は
周囲の人びとに
本当に感謝して日々生きてます

生かされてます

このとおり
大変後ろ向きな性格をしているため
背中を押してくれる人がいないと
前に進むこともままなりません

家族はもとより
友人には本当に恵まれていると思います

ただ一人をのぞいては

N妻のことじゃありませんよ♪>ただ一人

橘の母は生来身体が弱く
子供も一人で我慢しなさいといわれたお人です

ですが
敬虔なクリスチャンなので
できた子供は全員うみました
それこそ命がけで

橘自身、いろいろと体中に欠陥があるのですが
生んでくれただけで本当感謝の言葉もありませんから
病弱だろうと
虚弱体質だろうと
文句なんかありませんよ

ぼくには、
風を感じ大地を蹴ることのできる脚があり
ちょっとなら難しいことも理解できる
正常に発達した脳もあります自分で腐らせましたが

鍛えれば鍛えた分
筋肉のついてくれる丈夫な腕も
目鼻口、全てが揃った顔も
ちゃんと揃ってます

五体満足です

これ以上何を望めばいいのか
正直分かりません

いあ、理想の外見はほしいですがね(爆)

でも
本当はこの世に生まれなかったかも知れない命です

ぼくを妊娠したと知った時
開戦間もないイラクへと
父の海外赴任が決まり
母は堕胎しようかどうか
かなり迷ったそうです

ですが
今はもう亡くなられてしまった
母の叔母が「授かった命なら生んでやりなさい」と
母の背を押してくれたことにより

母は
「例え夫が見知らぬ海外の地で果てようとも
 子供達は私が育てる」と意を決し

死ぬ想いをしながらぼくを生んでくれたそうです

この話は
橘が自殺未遂をして入院していた時に
泣きながら母が話してくれたことです

ぼくは
大変心が弱い人間です
ちょっとしたことで生きる希望をなくし
引きこもるような弱い人間です

それでも
二度と自殺だけはすまいと
あの時心に決めました

こんなぼくでも
慈しみ、愛し、育ててくれる両親がいる
幼い頃には本当に兄弟なのか?と
疑いたくなるようなケンカもした
けれど、今はかけがえのない姉と兄もいる

何より
こんなぼくを励まし、信じてくれる友人達がいる

自らは短い一生しか生きることができないけれど
こんなぼくに
未来を見、希望を感じ
生きることのすばらしさを
世界が輝くことを教えてくれた
今は亡き友人達がいた

今のぼくは
本当にたくさんの人たちの思いに

生かされています

その思いを糧に
ぼくは生きています

これから先、どんなことが待っているかなど
ぼくには想像もできないし、知ることもできません

でも
生きていきます。

落ち込むことも
投げ出したくなることも
きっとあると、思います

でも
生きていきます。

精一杯、この命が尽きるその日まで。


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