日記とブログの違いが分かりません。
ネット離れしてた時間が長すぎたせいもあるやもしれませんが
この阿呆に 日記とブログの違いを教えてやろうという 気合いのある方、いらっしゃいませんか?
調べてみても 橘には違いがさっぱりッス
***************(今日は意味のある境界線)***************
ここから下は 橘の、かなり人間としてどうよっていう毒舌なんで
「私の気持ちは貴方には分からない」という言葉に 何某か共感するものがある方はご覧にならないことをお勧めします
さて、前述の 「私の気持ちは貴方には分からない」という言葉ですが
あぁ、わからん
分かるわけがない
なぜなら、そういう貴方とぼくは別の人間だからだ
そして そういって他人を拒絶する態度を示す人間にかぎって 「分かるよ」とか「分かるように教えて」等という 優しい言葉を求めているもので
橘としては虫酸が走るほど嫌いな人種だ
あげく 「あぁ、わかんないね」というと 泣きながらこっちがどれほど非人道的な人間であるかを 切々と訴えるわけで
だったら、「分からない」と拒絶する前に 「少しでも理解して」と 自分でもてあましている感情を説明してくれ
何の努力もせずに他人に分かって貰おうなんていうのは ものすごい甘えだ
それと 「不幸だ」と自分の陥っている状態を 「可愛そうだ」と慰めて欲しいと言わんばかりに訴える人 貴方も本当に「不幸」なわけじゃない
「不幸だ」と感じることが出来るだけの余裕があるじゃないか
だったら、その不幸だと感じている現状を打破する努力をしてくれ
ぼくの友人に一人 どう見ても不幸であるにもかかわらず 毎日元気に、倖せそうに笑っている子がいた
「いた」という過去形なのは 彼女は病気ですでに他界しているからだ
彼女はぼくに「現状を不幸だと思わないの?」と聞かれる度に 「不幸だと嘆くより、 今ある倖せを少しでも大きく感じられる努力をしたいの」と 笑ってくれた
ぼくにとってはその笑顔が救いだった
本当に不幸な人は 不幸であることすら感じられない
人間 上を見れば切りがなく 下を見てもきりがなく 横を見てもきりがない
だったら、どこを見ればいいのだろう
前に決まっている
人間の目は、前に進んでいくために 身体の前面についているのだから
以上は、橘の「倖せ」の持論
どこら辺が「倖せ」について語っているかは ご想像にお任せする
目標を持って天を仰ぐのもいいだろう 慈しむために地の花に目を向けるのも良いだろう 仲間を求めるために周りを見回すのもいいだろう 自分の歩いてきた道を確かめ、振り返るのも良いだろう
けれど 誰もが前に進むことしかできない人生を歩いている
後悔や自責、それにたくさんの思い出 必ず何かが胸の中にあるだろうけれど
それはいつか宝に変わる
その宝を抱えて、前に進むことしかできない
人生は片道切符の長い長い旅であることを忘れないで欲しい
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