| 2004年12月12日(日) |
『ホームラン』慶應義塾原稿 *全文掲載 |
12月9日発売の『ホームラン12+1月号』、16〜17ページで慶應義塾の原稿を書いています。 原稿依頼は3ページだったにもかかわらず、誌面では2ページに。1ページ分、丸々抜け落ちており、原稿が途中から始まっています。わけの分からない文章です…。編集部に確認したところ、編集ミスということが分かりました。
編集部から、ごっそり抜け落ちた1ページ分とともに、全文の掲載許可を頂きましたので、以下に掲載します。
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前身の慶應義塾普通部で第2回全国中等学校野球大会(大正5年)優勝の実績を持つ慶應義塾高校が、昭和37年夏以来の甲子園出場を視界に捉えている。 秋季神奈川大会で桐光学園、横浜を連破し、関東大会では宇都宮工に7−3で快勝。準々決勝の浦和学院戦では4−4の延長14回日没再試合の熱戦を演じた。
■推薦制度の導入
上田誠監督は飛躍の理由を語る。 「推薦が大きい。選手の技術はもちろん、モチベーションも高い」 2年前、推薦入学制度が導入された。�|羈悖廓�の2学期の成績が38以上(9教科×5で満点は45)、�▲好檗璽弔篳厳殘未任慮加�な活動成績。以上2つがクリアされていれば、1次選考は書類、2次選考は面接と、学力試験なしで入学することができる。 主将の漆畑哲也、関東大会で3連投をこなしたエース中林伸陽は推薦組。関東大会で好リードを見せた高橋玄は札幌新琴似シニア、1年生で主軸を打つ高尾康浩は神戸中央シニア、山口尚記は名古屋北シニアと、全国から入学してきており、1学年に十数名いる。 世田谷西シニアで日本一を遂げた中林をはじめ、全国で実績を残してきた選手が多い。当然、甲子園常連校からの誘いもあった中で、慶應を選んだ。志望理由を聞くと、同じような言葉が返ってくる。 「慶應の雰囲気が好きだった」 「慶應大学でも野球がやりたい」 「野球だけでなく勉強もしたい」 漆畑は埼玉から2時間かけて学校に通っており、兄は浦和学院で春夏甲子園に出場。漆畑も浦和学院から誘われていた。 「中3の秋、山梨学院大付属との試合を見たんですが、20点くらい取られて負けていた。そんな中でもノビノビやっていて、他の高校とは違う雰囲気があったんです」 その雰囲気について、上田監督。 「選手が自由にモノを言える雰囲気を作りたい。上から締め付けたら何も言えなくなるし、自由な発想が生まれなくなってしまう」 象徴するようなシーンが、今秋ベンチ内で何度も見られていた。
■慶應義塾野球部の雰囲気
上田監督は嬉しそうに語る。 「ベンチのいたるところで話し合いが行なわれていた。外野はもっと右に寄った方がいい、内角狙われているから、外中心に攻めろとか。上級生も下級生も関係ない。いい光景だったよ」 監督そっちのけで、繰り広げられる選手だけの意見交換。ちょっと不思議な感じがするが、それが上田監督の理想とする野球だ。 中林に今年のチームについて聞くと、こう答える。 「上田さんが目立たなくなった。前の代までは、練習中にみんなを集めて怒っていたりしたけど、自分たちの代ではなくなった。漆畑とかが、上田さんに言われる前に選手を集めて話をしている」 その漆畑の言葉。 「自分たちのチームだから、自分たちで考えてやった方がチームのためになる」 笑みを浮かべながら上田監督。 「慶應に来る選手は大人と対等に話ができるものが多い。いいことだと思うよ」 自分の言いたいことをしっかりと主張し、自己表現する。それが可能な雰囲気に魅かれ、素質ある選手が入学してきている。 ただ、関東大会ではこんなこともあった。これも慶應らしさといえばらしさ、と言える。 再試合に終わった浦和学院との試合。11回裏、慶應は1死満塁のチャンスで3番高尾。上田監督は高尾を呼び寄せ、一言伝えた。 「2球目、スクイズな。スクイズ決めて、甲子園行くぞ」 その言葉に高尾は頷かなかった。 「打たせてください。絶対打ちますから、打たせてください」 目に涙をため、高尾は主張した。 「何があっても絶対スクイズのつもりだった。でも、高尾の表情に負けた。高尾には言ったんだよ、『内角だけは手を出すな』って」 カウント1−1からの3球目、高尾は浦和学院のエース井上弘の内角シュートに手を出し、サードゴロ。ホームゲッツーとなり、チャンスを逸した。 「高尾があそこで打っていれば、甲子園云々よりもあいつの野球人生において、すごく大きな自信になっていたと思う。それを、スクイズで止めてしまうところだった。でも本当は情に流されず、鬼にならないといけないんだけどね…」 翌日の再試合、高尾は2本の二塁打を放つも、0−6で完敗。試合後、歩けなくなるほど号泣していた高尾の姿が印象的だった。
■努力している者に最高の敬意を
推薦組がスタメンに増えてくると、周囲から囁かれるのが「全国から人を集めて…」という声。それに対して、上田監督はこう話す。 「入学してきたら、どの選手も平等に扱う。努力している選手には、誰もが最高の敬意を持って接しなければチームはダメになる」 秋の準々決勝・桐光学園戦で米田敬という選手が初めてベンチ入りを果たした。慶應義塾中等部出身の2年生だ。米田はマイナー戦(二軍)で結果を残していて、「どうしても米田をベンチに入れて欲しい」と大学生のコーチから推薦があったのだ。背番号発表の際、米田の名を告げると、涙を流して喜んだという。 「米田は中等部でもレギュラーじゃなかった。でも、真面目に一生懸命練習していた」(上田監督) 『来る者は拒まず』の慶應は毎年100人前後の部員が集まる。初心者もおり、実力差は広い。でも技術で劣る選手にレギュラー陣や、毎年10名前後いる大学生のコーチが、遅くまで一緒に練習している姿が毎年見られるそうだ。推薦入学者が入ろうとも、築き上げられた伝統は変わることはない。 一般入試組も推薦組に負けまいと、活躍を見せている。関東大会で5割以上の打率を残した渕上仁(1年)、正捕手を務めた鹿毛雄一郎(2年)は超難関の入試を突破し、入部してきた。ともに軟式野球部の出身で、入学後の努力によりレギュラーを掴み取った。 漆畑は言う。「最初は技術的にも気持ちの面でもギャップを感じた。付属から来た選手は、まず野球部に入れればいい、という感じで。でも今は全員が本気で甲子園を目指す気持ちになっています」
■革命を起こす
来年1月31日、日本高野連からセンバツ出場校が発表される。東京・関東の枠は6。都大会を制した修徳と、関東4強の選出は確実のため、残された枠は実質1だ。 中林を中心とした守りと、ここ一番で一気に攻め立てる攻撃力は、甲子園でも十分に通用する。課題は、上田監督と漆畑ともに「精神力」を挙げる。 慶應は今夏の桐蔭学園戦、秋の決勝の東海大相模戦、そして浦和学院の再試合と、審判のジャッジや塁審が絡んだアクシデントに泣いてきた。 「どうしても引きずってしまう。すぐに切り替えて、自分たちのプレーができるのが、強いチーム」と漆畑。冬場にどこまで高めることができるかがカギだ。 慶應は2月3日から後期期末テストが行なわれるため、1月27日から野球部もテスト休みに入る。 「ドキドキして、テスト勉強なんてできないです。待つのはイヤ、早く発表してほしい」 1年秋からエースを務める中林は正直な気持ちを言葉にする。 そして、キャプテン漆畑。 「もう40年以上も出ていない慶應が甲子園に出場したら、革命的なこと。自分たちの代で、絶対に成し遂げたい。革命を起こします」 運命の1月31日。全国屈指の伝統校に吉報は舞い込むか――。
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