2003年04月25日(金) |
欧州の若者3人とわたし・・ |
【本日の一家言】
知識 は“発想”を生むための インフラ(土台)に過ぎません・・。
私事になりますが、 20代の前半にインドを旅したことがあります。
ボンベイ(現 ムンバイ)でしばらく過ごしたあと、 パキスタン国境近くの町 ジャイサルメール に足を伸ばしました。
ラジャースターン地方と呼ばれるこの地は、 砂漠の真ん中にあり、歴史的に イスラム教徒が多い所として有名です。
わたしはこの地に1ヶ月ほど 滞在したのですが、不思議ですね・・。
朝早く起きるようになるんです(笑)
毎朝散歩がてら 城郭 のまわりにある バザール(市場)に行き、 チャイを飲むのが習慣になりました。
(この地はかつて イスラームの城塞都市だったのです・・)
ここでわたしは3泊4日の 「キャメル・サファリ」に参加しました。
ラクダに乗って砂漠を横断するのですが、 このツアーの途中でわたしは 3人の若者 と知り合うことになります。
(もちろん当時は わたしも 若者 だったのですが・・笑)
残念ながら若者たちの名前は 失念してしまいました・・。仮に、
イギリス人の彼を ジョン としましょう。 ドイツ人の彼を ガーゼン としましょう。 オランダ人の彼を ビリー としましょう。
イギリス人のジョンは、 インドのさまざまな土地の習慣について うつむき加減に話をしていました。
「シムラ−という避暑地に行ったら、 現地の人が英語で 賛美歌 を歌っているんだ。 あれはとても感動的なシーンだったよ・・」
おいおい、誰がインド人に 英語 をしゃべらせるような「状況」を作ったんだ!
また、このツアーではガイドが 三度の食事を作ってくれたのですが、
ジョンはまたしても、
「おい、カン。 日本ではそうやって 手で食事をする習慣があるのか?」 と聞くではありませんか。
(わたしは単に現地の習慣に従っているだけ・・)
蛇足になりますが、同じホテルに 滞在していたイタリア人の女性に、
「中国で話すことば と 日本で話すことばは違うの・・?」 と訊かれたこともありました(はあ?)
わたしがその時思ったこと。 < 地球の 西 に住んでいる人は、 東 に住んでいる人のことなんて知らないんだ! >
一方、ドイツ人のガーゼンは、 繊細でおとなしい男でした。
自分で働きながら大学に通っていると 言っていました。
ガーゼンは、わたしとオランダ人のビリーが 意見を言い合うのを聞きながら、
「んー、カンの言うことにも一理あると思うよ・・」 と客観的な意見を言ってくれたりもしました。
わたしと同じく 眼鏡をかけていたのを覚えています。
いちばん若者らしい若者と言えば、 やはりビリーだったような気がします。
勤めていた会社をやめ、いつまでと 期限を決めずに旅に出たと言っていました。
「だけどぼくは故郷に恋人がいるから・・。 いつかはオランダに帰ることになると思うんだ」
ビリーはどんなことにも 好奇心を持っている男でした。
わたしの独断と偏見で申し上げると、 欧州の中でもっともフレンドリーなのは、 スイス人とオランダ人です。
どちらも 小さな国でかつ資源がない、 という「共通項」があります。
そのことをビリーに言うと、
「そうだな・・。オランダは 世界と貿易を行うことで発展してきた国だからね。
いろんな国の人とフレンドリーに付き合うことが 自然に身についたんじゃないのかな」 と云っていました。
ツアーの最後の夜、滞在していた村で ガイドが蒸留酒を調達してくれて、 皆で 酒盛り をしました。
(ガイドはイスラム教徒なのに お酒をがぶがぶ飲んでいた・・笑)
満天の星 を眺めながらジョンが、
「なあ、カン。日本の女性 は 従順でやさしくてきれいなんだろ・・」
と訊いてきます。
ガーゼンは 「自分の故郷ではこんな星空は見たことがない」 と言っていました。
照りつける太陽と、満天の星空と、 どこまでも黄砂がたなびく風景は、 未だ忘れることがありません。
わたしはわたしの「旅のルール」に従って、 3人の連絡先は聞かずじまいでした。
あれから10年以上経った今、 彼らはいったいどんな人生を送っているのだろうかと、 ふと思うことがあります。
徒然
|