母が一昨日入院しました。
先日の温泉から帰ってきた翌日より言動がちょっと変になり、今は本人はしんどいながらも元気なのですが、病状がかなり悪く、今年の初めに患った肺癌治療後に抗癌剤治療で生き残っていたしぶとい癌細胞が脳に転移したようで、幻聴や幻覚に合わせて記憶障害を起こしていました。
そのうち11月に全身の検査をして脳の腫瘍を発見して放射線治療から始めたのですがここ数日「なんか気持ち悪い。いつも腹一杯みたいな感じでお腹に何かあるようだ」と言い始め、12月始めに再度全身のCT検査をした所、肝臓に癌が大暴れしているようで、担当主治医の先生にCT画像を見せてもらった所、肝臓が物凄い状態になっていました。たった1ヶ月で綺麗だった肝臓がほとんど癌で埋め尽くされ腫れ上がっていた状態でした。
母はここ数日「幻聴だけど、頭の中でずっと読経が聞こえる。そろそろ迎えに来たのかな(笑。」と言っていました。近くで見て居る私にしても、私は元々割と楽観主義で心配性でもないけれど、母の状態は明らかに悪く、年を越せるのか?と漠然とした不安を持っていました。
昨晩、担当の主治医の先生に「本人抜きでお話がしたい」と呼び出され、私と母が頼りにしている叔父さん夫婦で話を聞いてきました。
この癌の進行の速度から行くと母は数週間の命だと言われました。月曜日から受ける抗癌剤も効くかどうかもやってみない事には効果の程が分からないと言う事と、抗癌剤の効果が出始める時期も抗癌剤投与から何週間かかかるのです。抗癌剤が効いて効果が出るのが先か、抗癌剤の効果が出る前に肝臓の癌が進んで肝不全を起こして命を取られるのが先か。
今の状態で先生が今までの治療の経験から言って、抗癌剤が効き始めても母の寿命は1ヶ月と宣告されました。
母にはそんな事実は言えず、その後叔父さん夫婦はさっき会って病状の詳細を聞いた主治医に、さも初対面のような顔をして母に主治医を紹介され、母を交えて今後の治療方針を聞きました。
母と私はずっと以前からお互いに「もしも私が病気をして入院をして、余命僅かだと宣告されたら隠さないで言ってくれ。そのために残された自分の時間を費やす為にも」と話をした事があります。でもたった1ヶ月で末期状態になったために身体的な自覚症状があって気弱になっている母の姿を見ると、そのような事実を告げるべきか告げざるべきかを躊躇してしまうのです。
自分に厳しく他人にも厳しい母は、常に私が立ち止まる事を許さず、後ろから追い立てるように私を責め続けてきた。どんな苦しい時も決して甘やかしてはくれず、「貴女の努力が足りないからよ」と言っていた母。私が一人っ子ゆえに「貴女は一人っ子で我儘で甘ったれなのだから、人一倍努力をして誰にも頼る事なく一人で生きて行かなくてはいけないのよ」と言っていた母。ダラダラ食べてはダラダラ寝てる私を「だからブクブク太るのよ!」と激しく叱咤していた母。何かと私の事に首を突っ込んで「どうせアンタはお母さんナシで生きていけないくせに偉そうな事を言うな」と文句ばかりを言って、それならばと私が他所に自立して生活すると言うと、自分一人になるのが寂しいのを隠して「どうせアンタにはできないんだから許さない」と何かと理由をつけて引き止めていた母。
そんな風に私を呪縛で雁字搦めにしていた母が「貴方のやりたいように、思うように生きるのよ。やるだけやって駄目ならイイじゃない。辛かったら回りじゅうにお願いして甘えさせて貰いなさい。いつどうなるのか、人間なんかわからない。若いから大丈夫とは思わないで。ダイエットなんかしてないで、美味しい物をたくさん食べて、よく寝なさい。人生は一度しかないのよ。」と言っていました。
そんな事言うなよ。何よ、散々私を追い立てておいて。何でも顔を突っ込んで文句言ってばかりだったくせに。急にそんな事言われても、私はどうしたら良いのかわからないっつぅの。
お爺ちゃんもお婆ちゃんもまだ元気で、親より先に逝ってしまうなんて貴女は親不幸だと思わないの?私の子供だってまだ2年生なんだよ。せめて息子が成人するまで色んなアドバイスが欲しいのよ。仕事だってそうだよ。私は半人前どころか5分の1にも達していない。何もかも中途半端にしてどうするのよ。貴女はまだ生きなければいけないの!
いくら母が昔「余命僅かだとしたらちゃんと言って欲しい」と言っていたとしてもそれは健康な状態で言っている事に過ぎず、今までの過去の治療の際にはどんな辛い治療も耐えてきて、涙も見せなかった母が泣きながら話す姿を見ていると、私はたとえ1%でもその微かな希望も奇跡も捨てたくないのです。
とにかく、奇跡を信じて母の治療をして行くしかないのです。私も、泣いてばかりはいられないのです。たとえ一人で泣いたとしても、母にはそんな顔を見せるわけにはいかないのです。
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