日々萌え。
月瀬さくら



 信じるということは。

2003年08月27日(水)
今日は…なんていうか。
あたしの考える宗教というものについて語りますので、何らかの宗教を信じてらっしゃる方や、その手の話が苦手な方は読まないほうがいいかもしれません。
もちろんその宗教を非難・中傷するのではありません。




















何かを信じるということは大事なことだと思います。
それが神であれ人間であれ動物であれ、なんでもいい。
信じることによって自分が強くなれることだってあると思う。
あたしは誰がどんな宗教を信じていようがいいと思っています。
実際に友人知人にさまざまな宗教を信仰している人が居ます。
だからってその人たちを差別したりしないし、彼らもあたしを勧誘したりしませんでした。
勧誘されたとしても、あたしは自分で信じたいと思わなければその話に乗ろうと思っていません。
世の中には沢山の人が居て、そのような宗教をすんなり受け入れられる人とそうではない人が居ると思うのです。
誰もがみんな、勧められた宗教に信仰を注げるわけがないのです。
今日あたしが触れた宗教は、どうやってもあたしが受け入れることの出来ないものでした。
決してその宗教を否定しているわけではありません。
多くの人がその宗教を信仰しているということは解ったし、それによって救われた人もたくさんいると知りました。
それでも、どうしてもあたしの中にその宗教を信じようという気持ちが起こりませんでした。
というよりも、その宗教以外の宗教をまったく認めようとせず、最初から悪なるものだと決め付けているその考え方が許せなかったのです。
それはあたし自身が特定の宗教を信仰していないから故の考え方ですが。
「何を言われてもあたしは首を縦には振らないよ。」と言い続け、最終的にきっぱりと断ったあたしに対し、彼らはあたしを自分自身のことしか考えていないと言いました。
今後の世界・日本の行く末も、家族や大事な人々の生死さえも、信仰によって変えられると。
それを拒絶したあたしは自分のことしか考えていない人間だと言うのです。
もう何を言ってもきっと解ってはもらえないと思って弁解は諦めました。
大事な人たちを救いたかったら信じると彼らは言います。
まるであたしが家族なんかどうでもいいと。自分さえ助かればそれでいいと思っている人間だというような言い方をされ、さすがに頭にきました。
救えるもんなら救いたいけれど、ただその宗教によって救えるとあたしが思えなかっただけなのです。
その宗教は否定しません。ただあたしの考え方と合わなかっただけです。
何を信じる信じないは人の勝手です。
誰が何を信じていてもとやかく言うつもりはありません。
ただそれを人に押し付けてはいけないと思うのです。
自分さえよければそれでいいのか。無残な死に方をしてもいいのか。家族を守りたくはないのか。バチがあたると。
脅迫ではないと彼らは言いますが、あたしにとっては脅迫以外の何物でもなく、苦しくてしかたありませんでした。
断ったあたしにはいづれバチがあたるそうです。
「あたしはその話には乗れない。」と言ったとき、「じゃあバチで身を持って知ってもらうしかないね」と言った彼らがとても怖かった。
最悪の場合、信仰をしなかったあたしは9月半ばには死ぬそうです。
彼らの知人で、断ったその帰り道に事故で亡くなった方もいたそうな。
帰り際「生きてたらまた会おうね。」と言って別れるのはなんて寂しいことなんだろうと思いました。
「生きて絶対会おうね」なんて希望もあったもんじゃありません。
これであたしが死んだら、バチがあたったんだわと言われそうなので死なないように頑張って生きようと思います。
この日記は生存確認ですよ。
何を信じてもいいけれど、世の中にはいろんな人が居て、それを強制してはいけないのだとわかってほしかった。

一番辛かったのは、彼らがまったく知らない人間ではなかったが故に断りにくかったこと。そしてあたしをそのような人間なんだと思っていること。
普通に食事して楽しく話をすると思っていったあたしの考えが間違っていました。
だって本とか資料とか持ってきてたもの。明らかに話す気満々。
その話をするためだけにあたしを呼び出したのか。
あたしと親しくしたのはこれが目的だったのか。
それを考えるとなんだかとても悲しくてしかたありませんでした。











暗い話ですみません。
明日は通常日記です。

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