日々萌え。
月瀬さくら



 さようなら、また会う日まで。

2005年10月03日(月)
今年もまた、ひとつ歳を重ねました。こんばんは、月瀬です。
本日10月3日は、当サイトの4周年でした。いやー…でもね、今年は別館と統合してリニューアルしてるからあんまり関係ないかなとも思いました。




先週、8年9ヶ月続いた西川貴教のオールナイトニッポンが終了しました。中学の頃に聞き始めて深夜1時〜朝5時まで4時間ぶっ通しでやっていた時期もあったし、10時台にやっていたこともありました。飛び交う卑猥なネタについて行けないこともあったし、時間の遅さゆえに寝てしまうこともあった。高校時代はなんだか西川氏に対する熱が一番下がっていた時期で、ライブにも行けない日々が続いていたのでラジオも聴かなかった。大学に入ってライブにまた行けるようになって西川氏に対する熱が上昇してからまた聞き始めていました。「番組が終わる」と告知したときも彼は笑っていたし、そのあまりにもさらっとした告知と番組内容から「実は嘘です!」なんてことにならないのかな、と少しの期待をしていました。アクセスランキング1位の番組を、いくら番組改変時期だからといって終わらせることはしないだろうと、そう思っていた。
9月26日の最終回。原稿中だったためにBGMとしていつものように流していたけれど、今日だけはと原稿を中断してラジオを聴きました。番組冒頭ではいつものように振舞う西川氏だったけれど、リスナーからのメールを読むにつれて涙ぐむ声が聴こえてくる。私も、最終回にむけて彼にメールを送りました。一度も読まれたことは無かったけれど、それらの言葉は確実に彼に届いています。最後の最後、彼が泣きながら読んだリスナーへの手紙に、私も泣いてしまいました。自分の言葉を伝えることが苦手で、でも何かを伝えたくて歌い続ける彼の手紙は、とても彼らしいものだった。映像の無いラジオではより一層その「声」に意識がいくもの。私のように西川氏の「声」に惚れている人間にはもってこいのメディアなのかもしれません。もちろん映像があることはすばらしいことだけれど、ラジオならではのいいところが沢山あるのです。こんなにも、彼が話の出来る人だと思わなかった。テレビのトークだけじゃわからない、「喋り」をメインとしたラジオは西川氏の「喋れるアーティスト」というイメージを確立したと思います。中学生の頃聞いたことのあるハガキ職人の名前がいまもラジオで流れてくるのを聴くと、彼のラジオのリスナーの熱さを感じることが出来ます。中学生だった私が成人するまで西川氏のオールナイトニッポンを支えてきたことは、とても素晴らしいことだと思います。
今日も、深夜1時になるとコンポが起動した。1242kHz、ニッポン放送。始まった番組は、やっぱり西川氏じゃなかった。
再び、西川氏がラジオというメディアに戻ってくることを願って。8年9ヶ月、本当におつかれさまでした。

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