前潟都窪の日記

2004年07月17日(土) 【すべてファージー、だが、心休まる国・・ポルトガル 】

▼ポルトガルの旅 リスボン、アルコ・パサ、オビダス、パターリア、コインブラ、アベイロ、シントラ、エボラ      
             2002年10月22日〜10月28日


平成14年10月22日(火)
 成田には予定通り到着して受け付けへ行くと窓口は開いていた。添乗員は土屋知美という若い女性であるが丁寧に一人一人個別に対応しているので時間がかかる。そこで素早く両替に行ってユーロを百ユーロだけ両替して貰った。両替が終わって帰ってきてもまだ説明は終わっていなかった。若いのに女性ホルモンが涸れてしまったような顔をした女性である。


 売店ではシーバースリーガルのウイスキーを一本買った。後で気がついて今回は相部屋なのでどんな人と一緒になるかわからないが、日本酒も買っておいたほうがよかろうと考え直して秋田の酒を一本買い足した。


 予定通りのフライトでスイスのチューリッヒ空港を経由してリスボン空港に到着した。時差8時間である。まだ現地は夏時間である。
 途中記録しておいた時刻を記録しておくと
 スイス航空  成田  始動12時00分
         テイクオフ12時11分
     チューリッヒ 着陸19時20分(時差7時間)
     リスボン向け 離陸20時59分
       リスボン 着地23時25分   
        バスに搭乗 24時00

 時差1時間につき時計を戻す。日本との時差8時間 飛行中は中国語のCDに聞き耽る。ワイン3杯、コニャック2本、スコッチ1本を飲んだ。夕食は一回パス。同室の人は伊沢一彰氏で絵をよくする宇都宮から来た人である。多少饒舌なきらいはあるが今年定年退職した62才の常識人なので助かった。

                      
平成14年10月23日(水)
 リスボンのホテルは市の南方約30分の海岸に面したリゾート地でプライア・マル・ホテルがその名前である。庭にはプールもあった。窓から望む海は大西洋である。天気は良かったが昨夜の就寝は夜中の1時になってしまった。

 9時にホテルを出発してベレンの塔、発見の記念碑、ジェロニモ修道院、ボテキントーリー・レストラン、エドヴァルト7世公園を見学してオビドスへ向けて出発した ジェロニモ修道院には折からアフリカの大統領が来ていて入場できなかったので帰路立ち寄ることにしてリスボンを後にした。


ベレンの塔




ジェロニモ修道院




 オビダスは小さな城郭都市である。ここではポルタ・ダ・ヴィラ、サンタマリア広場、サンタマリア教会を見学して町の中を散策した。この地の地酒のジンジャーニは甘口の酒でポートワインのような味であった。王妃イザベラが愛した直轄地であった。続いてナザレへ移動しナザレの海岸が一望のもとに見下ろせる断崖のあるシティオ地区へ来てノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会、メモリアル礼拝堂を見学後ブライア地区のホテルへ投宿した。伊沢氏は窓からスケッチにとりかかったが海岸通りを散歩して老人の写真を撮ったり、路地裏から沈む太陽を撮影した。夕食の鰯料理が美味かったので5尾も食べた。翌朝は朝市を出発前に見学した。


平成14年10月24日(木)


ナザレの海岸  




朝9時にホテルを出発してポルトガル人の心の故郷と言われるアルコ・パサへ立ち寄りペドロとイネスの悲恋の物語が残るサンタマリア修道院を見学した。

サンタマリア修道院




 続いてパターリアに立ち寄りサンタマリア修道院を見学。この修道院は正式名勝利の聖母マリア修道院である。構内にはエンリケ航海王の墓もある。未完の礼拝堂と柱のない広間が珍しい。


 慌ただしくコインブラへ向けて出発した。コインブラ大学では図書館を見学した。折から新入生を迎えて行事が行われており、黒いマントを羽織った学生達をちらほらと見かけた。構内の教会と坂道にある教会を見学してダウンタウンのサンタクルス教会を見学した。坂道の多い町である。

コインブラ大学





平成14年10月25日(金)
 アベイロへ立ち寄って駅舎のアズレージョを見て、運河の海草採集船を撮影した。塩田の後が残っている。

アベイロ駅のアズレージョ




海草採取船




 暫くバスドライブが続いてからいきなり橋の上を通った。ドロウ川の岸辺から丘の上に広がる町の景観は美しい。ボルサ宮、サンデマンワイン工場を見学した。


平成14年10月26日(土)
 ホテルの側の列車の駅から2等車に乗り込んでリスボンまでの列車の旅である。力持ちのポーターが一人で36人分の荷物を棚へ収納したのには驚いた途中アベイロ駅に停車した。懐かしいアズジージョの絵を別の角度から眺めることが出来た。


 リスボン駅に到着してからジェロニモ修道院を見学してからシントラへ向かった。ここでは王宮に入り煙突のある厨房等を見学した。このあとロカ岬までドライブである。幸い天気に恵まれて暑い位であった。ユーラシア大陸最西端の岬だというが、景色はいいけれども特別な感慨も沸かない。

シントラ宮





ロカ岬





 ホテルへ帰ってから改めてファドの夕べへでかけて痛飲した。多少口がすべってブラボウとブラバーをやたらに頻発して顰蹙を買ったようだ。反省。

平成14年10月27日(日)

コルクの木





 エボラへ朝から向かった。途中コルク樫の林がどこまでも続いており珍しかった。世界一のコルク生産を誇るという。城壁の町であり、丘の町であるここではサンフランシスコ教会を見学した。ショッキングだったのは人骨堂である。髑髏や手足の骨を素材にして立てられた礼拝堂は日本人の発想からはでてこない建造物である。大聖堂、ローマ時代の神殿の骨組みを見学。昼食には浅蜊と豚肉のからみあった料理を食べた。これで実質的に今回の旅行は終わった。






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