時間が経ちました。 まだ一ヶ月、経っていないけれど。 まだ。 よく解らないけれど。
大切な人がもう存在しないというのはどうしようもないけれど、どうにかするしか出来なくて。
ある日突然の事で。 動揺して、みんなにメール送って。 後から考えて、何送ってんだよ、と考えたりもして。
だって、送られたって困るよねぇ。
こんなところでだけれど、葬儀に来てくれてありがとう。 返信メールくれてありがとう。 電話してくれてありがとう。
我が儘言って、無理無理泊まってくれてありがとう。
もう、大丈夫かな、と思っても。 まだ、揺さぶりがきたりして。 日常を生活するのに、その日常の中に、思いもかけないところに思い出があって。 まだ自分が信じてなかったことに愕然としたりして。
病院で、家で。 冷たくなってしまたっその身体を見ても、触れても。 それが信じられてなくって。 以前は“遺体”と云うものが怖かった。だってそれは生きていないものだったから。 でも、今は違う。 否。 きっと私の中のある部分での存在以外の人は駄目だろうとは思う。 けれど。 そのある部分だったその人だったものに触れることは、怖くなかった。 それどころか、それが生きていないことだなんて信じられなかった。 信じてなかった。
熱が急速に失われていくのを、とてつもなく冷たくてこんな風になってしまうのかと実感しても。 信じてなかった。 信じられなかった。 だって。 きれいなんだもの。
ただ冷たくて、ただ動かないだけで。
それでも、火葬されたあと、家族だけでその姿を見て。 骨だけになってしまっていたのを見て。 もう、本当にそこにいなくなってしまったのを知った。
今まで、その形を見たことだってあったはずなのに。 今始めてその姿を見たようで。 目に焼きついて。
そのとき初めて実感した。 そのとき初めて、もう会話することすら出来ないのだと、悟った。
この日記の前の分か、それ近辺の。 もう、ずっといつか解らないくらい先にあるはずだと思っていた。 ただ想像だけでも考えることが嫌だった。 大切な家族の死。
それが、唐突に現実となった。
こんな風に失うなんて知らなかった。 こんな突然当たり前が変わるなんて知らなかった。
介護なんてするもんかって、思ってた。 でも。 助かってくれるなら、どんな状態でも助かってくれるなら。 介護だって何だってしてやるって、思った。 どんなに迷惑かけられたって、それだって言葉を聴いてくれるんなら、 構わないとそのとき初めて思った。 それが本当だった。
今までのどんな思いも、言葉も、その現実を突きつけられて、初めて本当の言葉が湧き上がってた。
生きていてくれたらそれだけでいい。 生きてさえいてくれたら。
でも、それは駄目だったけれど。 泣けないことはなく。 泣き暮れることもなく。 ただ本当に、日常でふと思いもかけずに思い出にぶつかって、 そしてそれがもう叶わない事だと気づいたときに、本当にほんの少しだけ泣いています。
今さっきも、ちょっとだけ。 でも。 人間って忘れていくことが出来るから。 大切な思い出と、その悲しさは忘れないけれど。 それでも、笑うことが出来るから。
家族は大丈夫です。 だって、毎日甥っ子が日々新しいことを吸収して披露してくれているから。 それに。 生きて生活していかないといけません。 それが生きている私たちがしなくてはならないことだから。
いま。 ほんのちょっと、愛犬が心配です。 彼は亡くなったことが解らないから。 車のエンジンがかかった音。 携帯の音。 それで、期待して玄関まで行っては違う人間が現れて、その姿を見てがっかりしている。 本当に、そんな姿です。 『忠犬ハチ公』今だったら、どんな思惑の関連の話を聞いても、 彼が本当に毎日迎えに行っていたと、思える。 だって。 彼は忘れられないから。 居ないということは解っても、それがもうずっと続くと云う事は解らないから。
忘れられないなら、居ないということに慣れてくれたらいい。 彼のあんな顔は見たくない。 犬と言えど。 犬だからこそ。
それでもみんな生きていかなくてはいけないと知っている。 もうこれ以上誰も失いたくはない。
写真やビデオやそんな記録の思い出よりも。 今生きていてくれることが大事。
ねぇ、誰ももういなくならないで。
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