暁降
あかときくだち:
夜が更けいって、明け方近くになること。

2005年05月30日(月) 近況

時間が経ちました。
まだ一ヶ月、経っていないけれど。
まだ。
よく解らないけれど。

大切な人がもう存在しないというのはどうしようもないけれど、どうにかするしか出来なくて。

ある日突然の事で。
動揺して、みんなにメール送って。
後から考えて、何送ってんだよ、と考えたりもして。

だって、送られたって困るよねぇ。

こんなところでだけれど、葬儀に来てくれてありがとう。
返信メールくれてありがとう。
電話してくれてありがとう。

我が儘言って、無理無理泊まってくれてありがとう。

もう、大丈夫かな、と思っても。
まだ、揺さぶりがきたりして。
日常を生活するのに、その日常の中に、思いもかけないところに思い出があって。
まだ自分が信じてなかったことに愕然としたりして。

病院で、家で。
冷たくなってしまたっその身体を見ても、触れても。
それが信じられてなくって。
以前は“遺体”と云うものが怖かった。だってそれは生きていないものだったから。
でも、今は違う。
否。
きっと私の中のある部分での存在以外の人は駄目だろうとは思う。
けれど。
そのある部分だったその人だったものに触れることは、怖くなかった。
それどころか、それが生きていないことだなんて信じられなかった。
信じてなかった。

熱が急速に失われていくのを、とてつもなく冷たくてこんな風になってしまうのかと実感しても。
信じてなかった。
信じられなかった。
だって。
きれいなんだもの。

ただ冷たくて、ただ動かないだけで。


それでも、火葬されたあと、家族だけでその姿を見て。
骨だけになってしまっていたのを見て。
もう、本当にそこにいなくなってしまったのを知った。

今まで、その形を見たことだってあったはずなのに。
今始めてその姿を見たようで。
目に焼きついて。

そのとき初めて実感した。
そのとき初めて、もう会話することすら出来ないのだと、悟った。

この日記の前の分か、それ近辺の。
もう、ずっといつか解らないくらい先にあるはずだと思っていた。
ただ想像だけでも考えることが嫌だった。
大切な家族の死。

それが、唐突に現実となった。

こんな風に失うなんて知らなかった。
こんな突然当たり前が変わるなんて知らなかった。


介護なんてするもんかって、思ってた。
でも。
助かってくれるなら、どんな状態でも助かってくれるなら。
介護だって何だってしてやるって、思った。
どんなに迷惑かけられたって、それだって言葉を聴いてくれるんなら、
構わないとそのとき初めて思った。
それが本当だった。

今までのどんな思いも、言葉も、その現実を突きつけられて、初めて本当の言葉が湧き上がってた。

生きていてくれたらそれだけでいい。
生きてさえいてくれたら。

でも、それは駄目だったけれど。
泣けないことはなく。
泣き暮れることもなく。
ただ本当に、日常でふと思いもかけずに思い出にぶつかって、
そしてそれがもう叶わない事だと気づいたときに、本当にほんの少しだけ泣いています。

今さっきも、ちょっとだけ。
でも。
人間って忘れていくことが出来るから。
大切な思い出と、その悲しさは忘れないけれど。
それでも、笑うことが出来るから。


家族は大丈夫です。
だって、毎日甥っ子が日々新しいことを吸収して披露してくれているから。
それに。
生きて生活していかないといけません。
それが生きている私たちがしなくてはならないことだから。


いま。
ほんのちょっと、愛犬が心配です。
彼は亡くなったことが解らないから。
車のエンジンがかかった音。
携帯の音。
それで、期待して玄関まで行っては違う人間が現れて、その姿を見てがっかりしている。
本当に、そんな姿です。
『忠犬ハチ公』今だったら、どんな思惑の関連の話を聞いても、
彼が本当に毎日迎えに行っていたと、思える。
だって。
彼は忘れられないから。
居ないということは解っても、それがもうずっと続くと云う事は解らないから。

忘れられないなら、居ないということに慣れてくれたらいい。
彼のあんな顔は見たくない。
犬と言えど。
犬だからこそ。



それでもみんな生きていかなくてはいけないと知っている。
もうこれ以上誰も失いたくはない。

写真やビデオやそんな記録の思い出よりも。
今生きていてくれることが大事。

ねぇ、誰ももういなくならないで。


 通り過ぎた日々  INDEX  此から来る日々


ありづき [HOMEPAGE]

My追加