でたとこ勝負
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2002年01月17日(木) 震災の事

いつのまにか、一年に一度、ニュースなんかがきっかけで思い出す時以外、すっかり
私の中で風化してしまっている事に気付く。人は、自分に関係ないことは、本当に
すぐに忘れてしまう・・・あぁ、人はじゃ無くって、”私は”だな(^^;

みいつんの日記を読んで、あの日のことを思い出した。同じ阪神地区でありながら、
姫路は本当に、嘘みたいに被害が軽かった。

私は、あの朝、すごい揺れで目が覚めて、たんすの上に載せていた荷物が、ぼろぼろ
落ちてきて、それなりに恐い思いはしたけれど。ごく普通に、車に乗り、いつも通りに出社した。

会社には大きなテレビがあったけれど、地震の時に台から落ちたらしく、壊れて
映らなかった。普段からFMをかけっぱなしにしていた事務所で、その日も聞いて
いたけれど、音楽だけが流れていたような気がする。<ほとんど覚えていない。
もしかしたらニュースを読んでいたのだろうか???

いろんな所から電話が入り、社長が、こっちは全然平気ですと笑って答えていた。
あんな事になっているなんて、夜、家に帰り、TVをつけるまで知らなかった。
神戸の街が燃えている・・・真っ暗な街が、ただ燃えている映像だった。そこがどこで
あるかもわからない、ただ燃えている映像。

あれからしばらく、ラジオでは見つかった人の名前を、ただそれだけを伝え続けて
いたような気がする。神戸にも、大阪に行くのも、不可能になっていたし、西宮の
友達のことが心配で、定型文しか入らないポケベルに「トラブル ファイト 22
(22だと、私だと決めてあった)」とメッセージを入れた。数日して、避難している
けれど、元気だからと電話をもらい、ホッとした。

電車が、通じるようになり(それでも一部は不通で、代替のバスに乗り換える必要が
あった)初めて、その後の神戸を見たとき、とても悲しかった。短大時代、毎日通って
電車から眺めていた風景が、すっかり変わっていた。ブルーシートが掛けられた家々、
あらゆる空き地に立てられた仮設住宅。今はすっかりきれいになった街並みが、
あの時はすべて灰色をしていた。

いつの間に忘れてしまったんだろう?自分の幸せさにも気付かないで・・・
ルミナリエの始まった意味を、いつの間にみんな忘れてしまったんだろう・・・

あんなにせつなかった想いを、もう一度、胸に刻む。
哀悼の意味を込めて・・・


たえ |MAILHomePage

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