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フィリピーナ - 2002年01月05日(土) 今日は日本に来てるフィリピーナのことに思いを馳せてみた。 彼女等は何のために日本に来るのだろう。それは多分、金を稼ぐ為で 何故、金が必要かといえば家族を養う為で自分の青春を費やしてまで 家族の為に働いてるわけだ。彼女等は逡巡したりしないのだろうか。 油ギッシュな親父達に「シャチョサン、スキ」などと言い、さらに 体を弄られたりして、それに耐えているのも金の為で引いては家族の為で すげえな、と思う。俺には無理だ。フィリピンの文化的背景が特殊なのかな とか考えたりしたけど、人間である限り、油ギッシュな親父は嫌いだろうし。 辛い事はしたくないだろうし。夢もあるだろうし。夢はフィリピンに帰った後に 稼いだ金を元手にやろうとでもしてるのかな、とか思ったり、日本人の旦那を ゲットする事だったりするのかな、とも考えた。その為に、辛い一日を 重ねているのだろうか。生まれてきた環境条件の中で俺たちに不幸である事が 大した不幸でないことは往々にしてあって、その不幸の中でも唯物論的に 見れば凄く豊かなで幸福である俺たちに比べても実は幸福であったりすることも 良くある事だと思う。そうじゃなければ世界は成り立たないし、俺達は こんなに苦しまないはずだし。でも、彼女等に比べれば物質的には随分楽で その分徳をしてるのは否めない。神様に感謝します。日本に生まれさせて くれたありがとう。仏教で言えば前世で業(カルマ)が少なかったってことかな。 でも、こういうのだって貧富の格差が大きすぎた昔、世界が不平等すぎた時代に 貧しい者達に諦めさせる為に富める者達が作った決まり事なんだけどね。 貧しい者達は前世に業が深かったんだと諦め、来世の為に清く生き、富める者は 前世に業が少なかったんだと今の立場に罪悪感を覚えることなく鎮座し、安寧して 暮らす事が出来る。上手く出来てるもんだね。今や、日本ではそんなものは 迷信になってるし、世界でもそうなりつつあるんだと思うけど。 でも、そういう精神を縛り付ける規律がないと、自由奔放になって、精神的に 開放された人々はどうしたらいいかわからんくなって、ストレスが溜まって 皆、気違いになって世界は崩壊して北斗の拳のような世界になるわけです。 って書いてて思うけどまずなんねえな。飛躍しすぎだ。 でも、昔はどうかしらんけど、今の人たちの精神ってかなり病んでると思う。 そんな中、フィリピーナ達は一服の清涼剤として油ギッシュな親父たちに 安らぎを与えてるんでしょうね。そんな親父達のように日本人の若い娘に相手を されないと言うか、圧倒されて近づけなくて、しょうがないから後進国の フィリーピーナ達で我慢すると言うか憂さを晴らすと言うか弱いものに向かって 鬱憤を吐き出すという風には断じてなりたくねえな、とは思うけどね。 そして、多分ならん。 -
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