ボクは空に恋をした..もえ

* * * 恩師と島秋人 * * *
2006年04月03日(月)
今日は母が毎週通院してる泌尿器科の病院だったのだけど
中学の時の美術の先生に会いました。
萌は外出時いつものごとくメガネにマスクは欠かせないのだけど チラッと目が合って思い出しました。
中1の時美術部に入っていて 油絵を習いました。
中学3年間美術の時間はその先生で 部活でも美術で
一度あまり大きくないキャンバスだけど絵を描き上げたとき
先生が「雑で上手くはないけど個展で出したら充分な値がつく個性と味を持ってる」と部員みんなの前で誉めてくださったの。
余りに懐かしくて思い切って声をかけたのだけど
その時は先生思い出せるはずもなく 少し戸惑っていらしたけど 先に母の名前呼ばれて処置室に入り 処置の間外で待つのだけど そのとき母の名前を呼ばれて思い出して頂けたのか 出てきたら先生の方から近寄ってこられて 少しお話しさせて頂いたのです。現在は定年退職されてること。
先生のお母様もうちの母と同じ認知症で今は特養ホームにおられて大変だということ。
油絵の道具はずっと大事に実家においていたのだけど
実家から出るときには持ってきた覚えがないので
実家が引っ越した時捨てられたかな。。。
描いた絵は先生が立派な額にいれてくださって
暫く美術室に飾っていただいた。
そういえばあの絵は今何処?;;
なんか無性にまた油絵描きたくなったのでした。。。

*******ここまではミクシに書いたものからの引用です*******

絵心もセンスもないのだけど
当時数万円も出して買ってもらった道具は宝物だったな。。。
けど筆のお手入れとかすごく大変だった。

高校入学時は吹奏楽部に入りたくて 最初は入って
フルート習ったのだけど なかなか上手く音が出せなくて
やっと音が出せるようになったとき
自前のフルート購入しなきゃってことで
当時かなり両親共に険悪な時期になってたのもあって
フルート買ってといい出せなくて そのまま放送部に誘われて
高1の時は放送部にいました。
発声練習は毎日のことでかなり基礎は習えたはずなのに
この舌足らずな発音の悪さと活舌悪さは相変わらず〜

ん〜〜〜〜
小学生の頃国語の時間に朗読させられて誉められたことはあったんだけど
もともとのスローな喋り方が朗読にはよかったのかしらね。。。


美術の先生に誉められてその先生に卒業以来初めて会えたことで
なんでか死刑囚として何十年も前に処刑された島秋人のことを思い出した。
「遺愛集」という本は読んだことはないけど
その人の残した句には仏様のような心が感じられると思ったものです。
いつこバカにされたり怒られるばかりだった小中9年の間に
たった一度だけ誉めてくださった先生のことが忘れられず。。。
という逸話があります。

この澄めるこころ在るとは識らず来て
 刑死の明日に迫る夜温し

島秋人が執行前夜に残した句らしいです。
そして最期の部屋で処刑直前に残した一言は

「願わくば、精薄や貧しき子らも疎まれず」

という言葉だったらしいです。

その人が生きた時代と今は全く違う日本なのかもしれない。
だけど根本はかわってないんじゃないかな。

生れ落ちた時から悪の心を持ったひとはいないんだと思いました。
いろんな環境の中でそれぞれが病んだり壊れたりしていくんじゃないかなって 最近思うのです。

でも人は必ずひとつの光を見つけさえ出来れば
変われるものじゃないのかなとも思います。

いつの日かもえも変われる日がくるのかな。。。





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Edit by オレンジミルク 。