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■ 「世界の中心で、愛をさけぶ」を初めて見て、恋愛について振り返った。
昨日、
「世界の中心で、愛をさけぶ」(ドラマ) の再放送の1回目を偶然見た。
丁寧で純粋なストーリーに 感動した。
名前だけは知ってたけど…、 本当にこれこそまさに「純愛」だなって 思う世界だった。
役者さんが上手なのもあるけど、 主人公が健気で魅力的でした。
…でも、 とても大事なものを 愛せるものを得ても、
結局それを失うならば、 果たしてそれが、 「幸運」とよべるかな、と思った。
例えば、17年間も苦しみ続けないと いけないほどの痛手ならば・・・。
得たものが大きければ大きいほど、 それを失った時、「諸刃の剣」となって 自分の心を切りつける。
・・・・・。
あと、いいなぁって思ったのは、 やっぱり、いまどきではありえないくらいの 「純愛」かな?
女の子はそうじゃない人も多いかもしれないけど、 男の子(人)って(特に若い時は) 「恋愛=すぐに性関係」を求めてくる…。
たとえ女の方が、 「プラトニックの心の絆」を 恋愛に対して望んで、求めていようが。。。
・・・そして、
好きだから、 相手を失いたくないから、 相手との関係を壊したくないから、 自分の気持ちを多少曲げても、相手にあわせる…。
少なくとも私はそうだった。
・・・それは、とても悲しいことだと思う。
私はあの頃、「恋愛」するほど、 まだ精神的に、「性」に対しても「恋愛」に対しても、 目覚めてなかった。
心は完全に「子供」だったのだ。
それにも関わらず、
私は無理に「子供」から「大人」になった。
それゆえ、 とても苦しんだ。
心が病んだ原因もこれが大きい。
男の人も、強い性欲は「本能」だから つい急いでしまう、仕方ない面もあると思うけれど、
ましてや今は「性」に関して流されやすい時代だから 自分の気持ちを貫くのは、難しいかもしれないけれども、
男の子は少し立ち止まって、 「相手の気持ち」をも大事にしてあげて欲しい。
・・・と、思う。
もっとも 付き合いはじめ1年から3年くらいまでは、 お互いが手探り状態だし、 相手への理想化が激しい時でもあるし、 感情自体も、とても激しく、不安定だから、 とても難しいコトだけどね。
・・・・・。
私は昔、 「自分の”性”(ジェンダー、女であること)」を 否定して、酷く嫌悪していた時期があった。
だからこそ、 「性の感覚」が発動源にある「恋愛」についても 理解ができなかった。
「男(オス)」であるとか 「女(メス)」であることを 強く否定した価値観だったからだ。
つまり、男性をみても、 「”人間”としてみて、”男”と意識しない。」 状態を維持していた。
「恋愛」(オスとメスの性感情の付き合い)よりも、 「人間としての絆」をとても大事にしていた。
だから、 仲良くしていた男友達に「恋愛感情」をもたれると、 とても嫌な気持ちになったし、憤りさえ感じた。
自分の「友情」を裏切られた気持ちになった。
今までの絆が、「恋愛感情」というものの前に、 もろくも崩れることに、 そしてお互いが性の違いですれ違い、 お互い傷つき苦しむことに、 人生や生き物の仕組みそのものを酷く憎んだ。
大人になると、 異性を「恋愛対象」として見るのが当然で、 「友情」を優先することが「酷いとか可愛そう」とされる、 「恋愛感情優先主義」な風潮 を酷くうらんだ。
…今でも当時の自分を思い出すと 涙が出そうになるほど、苦しん苦しんで、 自らも自らを責めた・・・。
私はただ単に、「強い拘りや信念(ポリシー)」を 守っていたかっのと、 まだ性的に”未成熟”なだけだったのだけれど…。
話が少し脱線したけれど、
あの時私が異性に求めていたのは
「限りなく「友情」に近い「恋愛」」だと思う。 (友達以上恋人未満な関係)
今思うには、 やっぱり異性の間の友情は、 友情でも「同性との場合と違った友情」だと思う。 またバランスのとりかたが、とても難しい…。
「同性同士の友情」と「異性間の友情」は 種類が違うと私は思う。
決して、「異性間の「友情」は成立しない」 なんて、言いたいわけじゃない。 私は異性間でも「友情」は成立すると思う。
…ただ、同性同士より惹かれ易いし、 好きになりやすいし、楽しいから、
深くなれば「恋愛感情」になってしまう ケースが多いということだ。
私は、過去に何度か痛い目にあってるので、 男性と女性には接し方を違うようにしている。
男友達には、同性の友達に対してよりも、 距離をおいて冷たく接するように”努力”しないと、 同性の友人と全く同じように接していたら、 うまくいかなくなったり誤解をよぶ…と、経験から気づいたからだ。
・・・。
あの頃、昔…、
私は「男」と「女」が違うことを 認めたくなかった。
自分を「女」と認めたくなかった。
強い拘り(理性)が、本能の自然な発生をシャットアウトした。
だから「恋愛感情」も理解できなかった。 …というより、私には、「わからなかった」。
今はもう、内面も性的にも成熟して、 そうではないけれど、
・・それでも、
「純愛」に対する憧れは 今もまだ変わらない。
2005年08月22日(月)
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